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評価と贈与の経済学

内田樹 岡田斗司夫
徳間書店
2015年初刷

内田樹(以下内田)はフィジカル(身体性)の人だ。
対する岡田斗司夫(以下岡田)はデジタルの世界を生きてきた、ソフト(オタク)の人。
一見相容れない二人の対談が、最終的に同じ結論に行き着くのが面白い。

論理的に進められる会話が、自分にとってはとてもリアルに、実感を持ってうんうんと読むことができた。
自分の中で言語化できなかった部分に言葉を当てはめてもらったような感覚。
整理しながらメモを取っていく。

第一章:イワシ化する社会

岡田は、現代の若者はイワシ化しているという。
情報化社会の中で、マスメディアの作る大きな流れに逆らわず、みんなが向いてる方向が正しいと解釈する風潮があると。
群れの中で泳いでいることが気持ちよくて、逆らうには大きなエネルギーが要るし、間違えると一生のキズになる。
だから若い世代は深追いしないし、燃え上がることも稀。
自身の"こうありたい"という欲望は大衆の前にかき消され、一般化していくと。
それは個人の心理にもあてはまり、自分が好きだと思ったものに対して、それと近しい情報だけを取り込み、群れを成して並走させることで安心する(つもりになる)。

一方で、身体はもっと敏感で、外力に対して機敏に反応するから、身体が発する欲望を、頭で無意識的に押さえつけてしまうことでギャップが生じる。
資本主義経済において、大量生産、大量消費が当たり前、いかに効率よく、大きなリターンを得るかが最重要視される、という潮の流れに乗っていると、
当たり前のように働いて、正しく数値を目指していたつもりが、そのうち身体の反応と齟齬が起きて身を削り、"心が折れ"たりする。

躁うつや適応障害は、"メンタルが弱い"のではなく"メンタルとフィジカルが一致していない"ために起こる自分自身の軋轢の結果ということなのだろう。

内田は、生きる力を強く保つためには、頭でする判断が、周りの意見に対してどうかではなく、自分の身体にとって心地よいかどうかを都度見極めて進んでいくことが必要なのではという。
迷ったら自分の身体に聞いてみる。
そんな判断ができるようになれば、自分の調子を整えながら心身ともに豊かになる。
そのためにも、自分の身体のコンディションを常に把握し、不調があればわかるようにしておきたい。


第三章:拡張型家族

内田は、縮小する日本社会のあり方として"贈与経済"を提唱している。
個々人が経済的に独立して生きることが自立的で良しとされてきた現代日本社会はもう終わり、
一昔前(1960年代くらいまで)の"サザエさん一家"のような、一人の働き手が複数人を養う核家族の原理に立ち戻り、かつそれを血縁以外に拡張した"拡張型家族"として最小経済圏を形成すべきなのでは、という理論。
要は運良く資金を持った者が、弱者を養うために分け与える構図。
資本家が途上国に募金するのとはまた違う、もっとローカルなスケールでのコミュニティになる。

拡張型家族とは少し異なるかもしれないが、シェアハウスの構図に近いではないだろうか。
一つ屋根の下、寝食を共にし、夜な夜な将来について語らい、共同で家事を行うという肉体ベースのコミュニケーションを交わすことで、
血縁ではないが家族同然の、"拡張型家族"となる。
家族の家族はまた家族、というように、雪だるま式に拡張していくのもおもしろい。
"あいつが良いやつって言ってるなら良いやつだろ"、みたいな、手放しで信頼できる関係。
互いに金銭ではなく贈与によるやり取りを重ねることで、ちょっとやそっとのことでは切れない縁ができる。
逆に、その縁が切れるときの原因は金の問題くらいだろう。
"シェアハウス"というとポップでどこか怪しい、という印象がどうしてもあるが、
個々人が経済的に独立するほど豊かな社会でない以上、住居という資産を共有し、食や職の時間を共にするという選択は至極妥当ことだと思うし、ポテンシャルがあると思う。

また、贈与経済をブーストさせる可能性として、SNSなどのソーシャルメディアが、その人がこれまでしてきたことを代弁して、この人なら贈与してもいいかな、と思わせるきっかけにもなり得る。
先日友達と、インスタって名刺だよね、と話していた。現代人はメディアを駆使してセルフプロモーションしているから、SNSを見ればなんとなくその人の人となりがわかるものだ。
逆に、自分はこういう人間です、とより明確に曇りなく伝えるために、対外用のアカウントを作っているひともいる。
そうやってインターネットによって個人の人となりまで情報化された社会で贈与経済を想定するとき、"いいやつ"と思われることはかなり重要で、沢山の仲間を作って色んな拡張型家族の一員になることで、贈与が自走してゆき、贈与の連鎖の中だけで生きていくこともできるかもしれない。
パーマカルチャーデザイナーのソーヤー海氏は誰がどう見てもいいやつだし、仲間が多そうというイメージがあるが、実際ドネーションだけで生活しているそうだ。

相手に見返りを求めずに時間や労力を与えられるひと、というのはどこか余裕があるし魅力的に感じる。
贈与を受けると、受けたものの価値以上の豊かさを同時にもらえる気がするし、それを返したいとも思う。
それは、ともすれば一時代前の向こう三軒両隣的なはんなりコミュニティと捉えられがちだが、
IT化が進行しシンギュラリティが近づく時代だからこそ、その有用性が浮き彫りになっている。

多方面で"贈与"とか"ギフト"とか"シェア"という言葉を聞くようになって、
社会全体が草の根的に無銭経済にシフトしていっているのを感じる。
SDGsやサスティナブルブームも相まって、この流れが大きな波になっていくことを期待している。