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【雑談】冬休みの過ごし方

 比較的コンスタントに記事を投稿していたのが、年をまたぐタイミングで間があきました。そのあたりのことについて雑談風に書いてみます。

事の始まり

 私の子どもたちを見ていて……いわゆるデジタルネイティブだな、と思うことがあります。(容量も気にせず)ガンガンアプリをダウンロードして、(機能の全体像を把握することなく)直感的に操作することを通して使い方を身に着けていく。アップデートに(文句を言いつつも)柔軟に受け止めるのが普通。どれも私の常識とは違いますが、小学生がマイクラの「コマンド」を使いこなしているのを見るのはなかなかに壮観です。親としては、デバイス(スマホ、タブレット、ゲーム機、およびソフト、テレビ番組が映らないテレビ)等を、可能な範囲で整えてあげたいと思っています。
 しかし、そうすると必然的に次の現象が起こります。
 さまざまなデバイスをWi-Fiにつなぎまくる→通信が途切れる→お父さんにクレーム
 まぁ、原因はハッキリしているし、どうすればいいかも知っています。ようするに現状のWi-Fi5をWi-Fi6か(それ以上)にすればいいわけです。だからルーターを新調しました。適切なLANケーブルだって持ってます。
 ところが、私はハード面には、ある程度の知識がありますが、特にネットワーク関連の知識は本当に表面的にしか知りません。現状のWi-Fi5は、ONUと一体型でした。だから、その隣に新調したルーターをぶっ刺しただけでは、いわゆる「二重Wi-Fi」になってしまいます。その解決を単純に書くと、ONU側のWi-Fi機能をオフにしつつ、新ルーターのアドレスを割り当てて機能させるってことなんですが……もう、それを調べるところから実現するまで、おそらく2日ぐらいかかりました。結果として成功したからいいものの、すごく疲れました。何度ONUやルーターのリセットボタンを押したことか(遠い目)

皆さんに提供できる情報(目安)

 細かいことはおいておいて、皆さんに提供できることとして……
①デバイス側がWi-Fi6に対応していなくても、ルーターをWi-Fi6(6E、7)にすることで、5比較で、かなり通信環境が快適になる。
②ルーターの性能は値段に比例するが、15000円超えぐらいのもので戸建て3階なら全体をカヴァーできる。

取り組んでいたもの

アガンベンの紹介記事を断念

 アガンベンは、フーコーの読書ノートの中でも何度か言及しているし、まぁ、それなりの冊数の本を持っているしで、これまで通り紹介記事を書きたいと思っていました。ところが、存命ということもあってでしょう。時系列のはっきりした背景事情や、何をしたのかという事実関係について、複数の本(その中には、本人著の『書斎の自画像』も含まれます)を読んだんですが、明確にできませんでした(怒)
 それならば、紹介記事のスタイルではなく、アガンベンの解説を書くか……というと、これは私がやるより、まさに解説本があるのですから、そっちの方が優れてます。ということで、費やした時間は、少なくとも記事には結びつきませんでした。

社会主義についての本を読んでいた

 以前にアナーキズムの記事を書いたのは、(ずっと)前にある程度アナーキズムとアナーキストの文献に打ち込んだことがあったからです。ところが同時代の運動であるところの社会主義については、ほとんど知識がありませんでした。今だから思い至るわけですが――学生時代の先生たちは(その種の革命的思想について)意図的に避けさせていたんだと思います。おかげで、「学生」ははるか昔……良い機会だったので、主に年末年始は社会主義について勉強しながら過ごしました。持っていたけど読んでなかった日本人が著者の本にも複数あたることができました。
 でもまぁ、社会主義についての記事は、いらないですよね。リクエストがあればお応えするということにしましょう。ただ、アナーキズムにしろ、社会主義運動にしろ、その政治的、運動的側面を(時間というろ過器を通すことで)脇に置いておくなら、それらは間違いなく理念です。19世紀初頭の、メジャーだった理念体系であり、哲学――明らかに過去の哲学だ、とは言えます。

自己(の放棄)/主体というテーマについて

 フーコーの読書ノートの最後の方でキュニコス派のあり方の一つに「自己の放棄」というものがありました。
 以前に予備考察的に取り上げた『ありのままの私』との関係性を念頭に置きつつ、最近の、それぞれ別ながらひとつのまとまりを成した〈組織−個人〉に関する言説(ある種の流行り)が構成コンスティテューションしようとしているもの、漠然とですが、それらの間の強烈な断絶――同じような言葉を使っているのに正反対ともいえる非連続性……その分析を稚拙ながらしつつ、いくつかのアプローチ(いずれも変化球的なもの)で記事原稿を書いてみたものの、しっくりこないで悩んでいました。
 これについては、近いうちにまとめれたらいいなと思っています。

直面したもの

 以下は、輪をかけてつまらない話になります。
 10年来使っていて、Windows11に非対応なメインPC(昔に自作/都度何度か改修)を刷新する必要がありました。
 一般的に、PCを買うのに色んな選択肢があります。マウスコンピュータとかDELLとかで買ってもいいです(敢えて言うなら家電屋で買うのはオススメしません)。手のひらサイズの小型PCも以前から興味がありました。私のニーズは、無駄な機能を減らして結果として省電力なデスクトップPCでしたから、値段も含め小型PCでいいじゃん、と思っていたんですが……やっぱりこだわりがあったんですねぇ。何かが違う。
 Wi-Fiの規格「5じゃなくて6がいい」とか、メモリは最低でも「16GBのデュアルチャンネル」とか、CPUは「ぶっちゃけインテルさんが安定だよね」とかですね。どれも長く使いたいからってのが目的なんですが。
 そして、それを満たす構成のものを買おうとすると、10万円を余裕で超えるんですね。不景気な話で恐縮ですが、私的に14万円とかは無理。
 それで、試しに12世代CPUを基準に、調達できるパーツを選んでみたら、全部足しても6万円ぐらいだったんです。もちろん、OSとかケースとか電源は手持ちのものを使うので、全部新調するより安くて当然なんですが、この値段差は大きい。年末年始で時間もあるし、面倒がらず、自作することにしました。
 そして、結果、失敗。具体的には電源をぶっ壊しました。
 自作は、融通がきくけど、やっぱり失敗リスクがありますよね。初めてじゃないから知ってはいましたが……敢えていうなら初めてじゃないが油断となりました。
 サブのノートPCでは原稿を書く気にもならず……さらに言えば、スマホでは書けない(フリック入力非対応)という自分の「オジサン性」にも直面しつつ、よく考えたら記事にできるネタがそもそもないことに気づいたり、色々ありました。
 電源を調達し直して、7,8,9日の連休に再構築して無事起動しました。もちろん、必要なアプリやドライバを入れるなど環境を整えるのに、手間が掛かりましたけど、これは新品を買っても同じことなんでね。
 そして、新しくしてどうだったというと、平凡ですが「サクサク動くのは快適」この一言ですね。

皆さんに提供できる情報(憶測)

①世界的な経済情勢などを考慮して、お使いのPCが古いなら、今は買い時だと思います。しかし、今がお買い得という意味ではありません。今後、入手性が極めて困難になる可能性がある、という意味でになります。
②自作パーツは、最新のものでないなら、意外と安い(最近は諸事情で値段が高騰しているものと思い込んでいました)

その他の他

 基本的に、おおよそ一般的な年末年始を家族や親族と過ごしましたよ。むしろこっちが主で、上記が「その他」だったわけです。ただ、こうやって思い起こしてみれば、「その他」に限っては、あまり楽しい時間ではなかったですね。色んな意味でためにはなりましたけど。
 まぁ、今後も公私に限らず、諸事情で記事の投稿に間があくことはあると思いますが、なにとぞ宜しくおねがいします。少なくとも、今回のような私事中心の記事はあくまで例外で、それで間をつなごうとは、今のところ思っていません。

さいごに(道具・趣味・生活)

 自作PCは、それが楽しいと思える人以外、全くおすすめできません。でもメリット的なものはあって、そのうち概念的なものだけ(雑談なので)言及したいと思います。
 日本ではあまり話題になりませんが、「修理する権利(Right to repair)」を導入にしてみましょう。この権利を「所有」にむすびつけるのか、アガンベン的な「使用」に結びつけるのかは、哲学的に検討の余地がありますが、要するに、「ぶっ壊れる→メーカーに修理依頼→高額な見積もり→買い替えた方がよい」という悪魔的ループをディフォルトにさせないぞ、という一種の理念です。
 とはいえ現状、実際は主にスマホで該当する話で、スマホの修理って機材がいっぱい必要なので個人として縁遠いんですね。でも、デスクトップPCは、正味、ドライバ一本でOKです。それで、修理だけでなく「メンテナンス」もできます。そして、これが重要なんですが、(実際にそれをやるかどうかではなく)「修理できる」「メンテできる」ことによって、はじめてそれは、道具ツールであると思えるってことです。
 「道具であると思えること」を、何に結びつけるのかはお好みです。イリイチに結びつけてもいいし、ハイデガーに結びつけてもいい。いずれにせよ、自分と道具との一体感、――パーシグがオートバイの修理にこだわるように、身の回りのモノを所有/あるいは使用していくことが、世界との関わりという意味で……まぁ、一応、存在論的に大事なことだと、私は思います。土地、なんてのもそういうふうに考えることができるでしょう。
 固い言葉になったので、言い換えをさせてください。「ハックする」とは、端的にはこういうことだと思います。ライフハックという言葉は比較的馴染みのあるものになってきましたが、その言葉の通り、人生/生活に関わることなんです。そして、どのような形であれ、それらは趣味的な……余暇的な、こう言ってよければ些細なことですが、それゆえ、(原則的には)仕事ではないんですね。
 たまに「ワークライフバランスなんて必要どうか含め個人が決めることだろ」って、言説がありますが、その人のおっしゃりたい意図は、それはそれで尊重でき得るのですが、他方で、まさに個人の話じゃないということが見落とされているなら、その言説は、ライフ(人生/生活)を話題にしていないよねと、これはこれではっきり言えます。
 ワークライフインテグレーションという言葉は……まぁ、「統合」という言葉が直接書かれている点で洗練さに欠けていますね。もちろん、「バランス」という元の言葉のチョイスはセンスのないものです。それはその通りなんですが、じゃあ統合だ、というこの短絡。(私の記事にしばしばある、口の悪さを許容していただけるなら)この言葉を考えた人は、ワークライフバランスという言葉を考えた人の次にバカです。
 そして、冒頭の話に戻ります。あくまで予想ですが、おそらくデジタルネイティブ世代は、ライフハックが上手(というより無意識のビヘイビア)で、結果として上記の「統合」的な考えは、古臭く扱われることでしょう。なぜなら、はじめから分かれていないものは統合されえないからです。

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