松岡鉄久

notoでは、西欧哲学を中心に、哲学者の人物紹介や代表的著作などについてまとめていきま…

松岡鉄久

notoでは、西欧哲学を中心に、哲学者の人物紹介や代表的著作などについてまとめていきます。 二児の父。経営心理士。会社員。 「新しい会社組織と幸福な生」(共著)『生きる場からの哲学入門』新泉社、2019年 所収。 就農経験あり

マガジン

  • 哲学とビジネス

    ビジネスのトピックスについて哲学的にアプローチしたものをまとめています

  • 雑記など

    哲学者紹介・ビジネスと哲学に分類されないけれど、どちらか、あるいは両方に関係する内容の記事のまとめです

  • 予備考察

    主体概念や共同体など、継続的に検討したいテーマに関する記事を集めます

  • 哲学者の紹介

    有名な哲学者の人物紹介を中心に、オススメの一冊を紹介していきます。

  • 松岡のパレーシア――Kynical-weilarian

    私が本当に思っていること(パレーシア)についてのマガジンです 哲学の言葉をなるべく使わず、率直に語ります 働かなくさせて無効にする・その働きをやめさせる・取り除く・廃棄する

最近の記事

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(予告?)新企画について

 私は、カビ臭く、不完全な遺産を持っています。  それは、私の叔祖父(大おじ)に関するアルシーヴで、信書、関連書籍、名簿等です。  私の叔祖父――一人の少年戦車兵は、昭和二十年三月十七日にルソン島サラクサク方面の戦闘において戦死した、と「死亡告知書」にはあります。 公開していくもの まだ、正確には決めていませんが、主に信書を記事にしていこうと考えています。つまり、いわゆる戦史、経緯などは対象ではありません。個人が個人に宛てて書いたもの、あるいは手記。それらを必要に応じて部分

    • 本の紹介:『ダーウィンの呪い』(3)

       今回は『ダーウィンの呪い』(以下、本書)における著者の主張と思われるものを中心にまとめます。それは即ち、現代的意義(あるいは社会課題への提言)と言えるものです。さらに、最終回ですから、私の見解も(著者の主張を弁別しつつ)書いてみたいと思います。  ちなみに、シリーズものですが、この記事だけ「ビジネスと哲学」ジャンルとしておきます。理由はもちろん、現代のビジネスに関わることが含まれているからですが、この記事で不足している(と思われるかもしれない)情報の多くは以前の記事で触れて

      • 本の紹介:『ダーウィンの呪い』(2)

         今回は読者にとってトリビアとなるであろうものを紹介風に並べていきます。繰り返しになりますが、私のこの本(以下、本書とします)の理解度は完全ではありませんが、(ラフな記述は勘弁してもらうとして)内容的な読み違えがないようにできる限り努力しています。疑問点などあれば、コメントをお寄せください。  それではジャブ気味に多くの人が知っているであろうから…… 進化は進歩じゃないそれなのに、まさに「進歩」「目的(に向かう)」というニュアンスが含まれて日常用語で使われているよね、という

        • 本の紹介:『ダーウィンの呪い』(1)

           今回は、本の内容についての前に外堀を整理したいと思います。 詳細と経緯 千葉聡著、講談社現代新書、2023年(11月)……ということで私にしては珍しく最近出版されたものです。出版社からお分かりの通り「現代ビジネス」(講談社)で、実質的にこの本の紹介である著者の記事を見ることができます。そもそも、私も現代ビジネスの記事で興味を持って、買って読んでみました。  そういうわけで、「ビジネスと哲学」ジャンルである、と思うかもしれません。ただ読後の簡単な感想としては、まぁ、いい意味

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        (予告?)新企画について

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        • 哲学とビジネス
          15本
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          19本
        • 予備考察
          12本
        • 哲学者の紹介
          28本
        • 松岡のパレーシア――Kynical-weilarian
          1本
          ¥200
        • [読書ノート]フーコー講義集成
          32本

        記事

          暴力の連鎖を法によって断ち切ることはできない

          はじめに ここでいう「法」は、いわゆる国際的に認められたもの(=正しい暴力)です。そのため主権(者)が明らかになっていて、多くの場合は国、あるいはその連合です。  この記事は、もちろん昨今の世界情勢を念頭に書かれるものではありますが、敢えて約20年前の本――酒井隆史『暴力の哲学』河出書房新社、2004年の引用から始めましょう。  先に言っておくと、この本の欠点は、いわゆるネオリベ批判に重きを置いていることによる時代遅れなところと、著者を知っていれば分かることですが、結局アナー

          暴力の連鎖を法によって断ち切ることはできない

          読書ノート:「個性とは幻想である」

          いきなりハイライトから 「生きることの困難を取り扱うのが精神医学」――ここで取り扱うと中立的に言及されているものの、その目的は当然困難を少なくするため。だからサリヴァンは「(個性という)幻想を取り除くことができれば、生きることはずっと素朴に、そして喜びの多いものになります」と言う。  医学の側面から言い換えられているのが、「新しい医学(=精神医学)の進歩」の「最大の障壁」が―― ということになる。続く文脈でさらっと触れられている(ものの重要なの)は―― 愛や優しさという

          読書ノート:「個性とは幻想である」

          サリヴァン読書ノート:まえがき

           次の記事は、20世紀の前半を生きたアメリカの精神医学の先駆者、ハリー・スタック・サリヴァンの一つのテクスト(初出は講演)について読書ノートとします。今回は、その外堀の情報整理です。……追記で関連する短い出来事を参照してみました。 テクストの読解(の不完全性)について 「個性」という幻想――を読んでみます。内容に関わることですが、文字通り明白なので言及しておくと……サリヴァンはこのテクストで「個性」や「自己」といったものを幻想=科学的に根拠のないものと主張します。「人格」に

          サリヴァン読書ノート:まえがき

          ハングリーであれ。愚か者であれ。

           今回は、ジョブズのスタンフォード大学の卒業式でのスピーチ(2005年)を題材にしたエッセイです。 はじめに このスピーチ、あるいは「Stay Hungry. Stay Foolish.」という言葉は、それなりにビジネスに寄って話題にできるテーマです。実際、ジョブズは人生の大部分を占める「仕事(work)」との向き合い方を語っています。しかし、それは、3つの話(three stories)の中の2つ目です。3つの話の1つ目は、いわば、運命や未来を信じることについて。3つ目は

          ハングリーであれ。愚か者であれ。

          雑記:声/音への不快感――公共について

           今回はエッセイ風に「声」あるいは「音」について、最近のちょっとした話題に触れつつ、つらつらと書いていきます。 声と音は同じ いきなりですが、私は声と音は同じものと考えます。  とはいえ、もちろん基本は使い分けられるものでしょう。ざっくり言って人が発する言葉が声で、言葉以外のものを音でしょう。私はてっきり「神の御言葉」は「ゴッドボイス」であると思っていましたが、英語ではword of god(神の声の場合はvoice of god)なんですね。ライディーンが原因であろう勘違

          雑記:声/音への不快感――公共について

          スキルやアビリティについて:「受動的」に関する考察

           リスキニングという言葉の旬は過ぎたかもしれません。もっとも「学び直し」かどうかは別にしてビジネスにおいてスキルを身につけていくことは、新入社員に限らず大事なことです。  今回は、そのようなスキルといわゆる能力(アビリティ)について、哲学的に――つまり言葉の面からアプローチして考えてみたいと思います。内容(主張)としては、これまで何度か記事の端々で触れてきた、ビジネスの場で能動性/能動的であることが重要視……というよりも再考の余地のない前提となっていることについて「バランスを

          スキルやアビリティについて:「受動的」に関する考察

          ハイデガー:『「ヒューマニズム」について』

           私の中で特定の条件を満たしたので大物ハイデガーを扱うことにします。ハイデガーについては様々な媒体で過剰なほど情報を得ることができるので、紹介記事としては目新しい内容は多くないと思いますが、ひとまずいつもの形式で書いていきます。 はじめに 「特定の条件」というのは、現代的水準に(よい意味での)偏らせつつ、ある程度の距離を持ってその哲学的意義を評価できること。およびそれを感じることのできる一冊を限定できること。です。これがね、なかなかできませんでした。ポストモダンでは無理でし

          ハイデガー:『「ヒューマニズム」について』

          番外編:イタリアのポストモダンにおける「共同体」についての3つのテクスト

           文字数が多いながらも言葉足らずのタイトルになりました。その説明もしますが、3つのテクストとは――ジャン=リュック・ナンシー「無為の共同体」(1983年)をキッカケにして数カ月後に書かれたモーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』、そしてアガンベンの「到来する共同体」(1990年)です。 記事の位置づけ「哲学者の紹介」における「番外編」  これらのテクストは、イタリアン・セオリーの前史にあたる「イタリアのポストモダン」の終わりの時期に書かれたものです。あえて原則から外れて書

          番外編:イタリアのポストモダンにおける「共同体」についての3つのテクスト

          有料記事のお知らせ

           以前検討していた有料記事について、方針などを整理して企画し直しました。 有料にする理由  誰でも見れるわけじゃない記事を書くため。これが一番の理由です。  私は本名で記事を出しています。そのせいで、程度はどうあれ「本当に思っていること」を「率直」に書けない事柄がなくはないです。そのような制約は、記事投稿にとって良い効用でもあるのですが、一方で、「率直さ」や「本当に思っていることを語ること」――これらはまさにパレーシアに関わることであるがゆえに、歯痒い思いもあったんですね

          有料記事のお知らせ

          自発性隷従を働かなくさせる

           この記事では「自分」という言葉を取り巻くいくつかの事柄について考え、関連する「予備考察」(マガジンの記事たち)の延長線上にある、私が本当に思っていることを率直に述べること(パレーシア)を行いたい。 導入 LGBTQについて考えることが少し活発になったことが背景だろうか。学校での服装(男女で別の制服の是非)が議論になっているというニュース記事などで目にすることが増えた気がする。いわゆる哲学書を読むことがあまりない人にとっては意外なことかもしれないが、服装についてはかなり以前

          自発性隷従を働かなくさせる

          ヴェイユに捧ぐ#2:集団と人格

           河出文庫『アンソロジー』所収の「人格と聖なるもの」の偏った読解です。  「人格と聖なるもの」には、いろんなテーマが盛り沢山で、今回は「集団」に関することを中心にしたまとめになります。読解ではありますが、堅苦しくならないように、基本的には私の言葉を中心に書いていきます。もちろん、破壊的なセンテンスは引用のかたちで拾っていきますよ。あと、あくまで読解なので、いわゆる解釈はしますが、私の意見は含めません。なぜこういうことを書くかというと、今回の記事は「ビジネスと哲学」のマガジンに

          ヴェイユに捧ぐ#2:集団と人格

          ヴェイユ:「神への愛と不幸」

           「哲学者の紹介」でヴェイユを扱えることを嬉しく思っています。ヴェイユについてはウィキペディアでも詳細に書かれています、事実関係についてはある程度の重複をお許しください。 時代背景 最近は大戦後の哲学者を紹介してきましたが、ヴェイユは二つの世界大戦の時代に生きた人です。私にとって性別はどうでもいいことではありますが、女性です。したがってアーレントが思い浮かぶわけですが、実は同時代人なんですね。だから、フランスとドイツという違いこそあれ時代背景はすごくよく似ています。しかし、

          ヴェイユ:「神への愛と不幸」