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ハイデガー:『「ヒューマニズム」について』

 私の中で特定の条件を満たしたので大物ハイデガーを扱うことにします。ハイデガーについては様々な媒体で過剰なほど情報を得ることができるので、紹介記事としては目新しい内容は多くないと思いますが、ひとまずいつもの形式で書いていきます。

はじめに

 「特定の条件」というのは、現代的水準に(よい意味での)偏らせつつ、ある程度の距離を持ってその哲学的意義を評価できること。およびそれを感じることのできる一冊を限定できること。です。これがね、なかなかできませんでした。ポストモダンでは無理でしたが、イタリアン・セオリーの視点で反省的に見ることで、私なりに納得できたので「条件を満たした」ことにします。
 テッロージの言葉を借りると、現代的な水準でハイデガーを読むならば――「ナチスのプロパガンダ言語や、彼の出自である神学的・保守的環境の謎めいた修辞学との関係を洗い出し、高尚であり低俗深遠でありキッチュでもあるハイデガーを発見しなくてはならない」と言えます。「キッチュ」ってあんまり見ない言葉だと思いますが、ドイツ語です。意味は色々ありますが、この文脈だと「インチキ」といったところでしょう。

時代背景

 二つの世界大戦。こう言ってしまえばそれまでです。しかし、よく知られているようにハイデガーはナチスへの加担という形で(他の多くの時代に翻弄された哲学者と違い)時代をつくる側にいたという点で特徴的です。とはいえ、それは非常に限定的な一場面です。この時代背景に翻弄されない人などいません。

どんな人物・なにをした

農民然

 ドイツの田舎のカトリックの家庭に産まれ、農民然とした若者に育ちます。この「農民のような」、格好であったり態度というのはハイデガーの人物像として一貫した一側面でした。それが際立ったのは、カッシーラーとのダヴォス討論でしょう。一方に富裕なユダヤ商人の家庭に生まれ「新カント学派」の代表であり、貴族的気品を漂わせていたカッシーラー。他方に背が低くスキー・ウェアのハイデガー。農民然というのは、上流階級の慣習の拒否でもあったのです。この討論を傍聴したレヴィナスは「一つの世界が創造され、一つの世界が終焉を迎える場に立ち会っている」と思ったそうです。つまり、しぶとく生き残っていたカント哲学がやっと退場する場面を見たということです。

『存在と時間』まで

 さて、時間を戻して……ハイデガーはカトリックの聖職者になることが前提の奨学金でギムナジウムに進学します。もちろん、彼は聖職者にはならず、「偉大な」哲学者になるのですが――この流れって、ヘーゲルと一緒ですね。さらに哲学者としての「偉大さ」が弟子たちにつくられたものであることも、実際の事情や哲学の中身は全然違いますが、同じです。ドイツ人の癖なんでしょうか。
 卒業後、フライブルク神学部に入学します。このとき、喘息をともなう心臓障害で神学の勉強と聖職者への道を放棄せざるをえなくなる……らしいのですが、ちょっと意味が分かりません(聖職者は哲学者より強い心臓が求められるということでしょうか)。ここでは、ハイデガーの学問的出自は神学であることを覚えておきましょう。
 数学に強い関心があり、自然科学・数学部に転学し、その後哲学部に移ります。このタイミングで(まだ面識のない)フッサールの『論理学研究』を精読していました。もちろん、現象学の入り口になるものですが、それよりも当時の哲学事情が重要です。当時(ヴントなどの)心理学主義が大きな存在感を持っていてそれは一次大戦後では実験心理学のみが唯一の哲学だというまでになります。そのような心理学主義を徹底的に批判していたのがフッサールでしたし、この時のハイデガーは明らかにそのような観点で読んでいるわけです。そして実際、ドイツ哲学が心理学主義の一強になる可能性を潰すことになるのですが、これは哲学にとっての貢献に数えられるでしょう。
 「数学への偏愛」は「歴史への嫌悪」をともなうものでしたが、それは割とすぐに手放されます。大学の教授資格取得のための試験講義で、例えばディルタイなどが取り上げられます。このとき既にハイデガーにとって「時間概念」は重要なものになっていたということです。
 第一次大戦が始まると、当然召集されますが、心臓障害のために兵役を解除されます。でも戦争は続くので、また召集されます。それに対して同じ理由で今度は連隊の附属病院に入院して、退院後は国民兵として郵便検閲業務にあたったそうです。ようするに前線を経験することはありません。
 大学では教授資格論文が通過、その後フッサールと実際に面識を持ちます。彼の助手となるのは一次大戦後ですが、すでに大学で私講師として授業やゼミも受け持っています。そしてゼミで知り合った女性と結婚。
 敗戦国として終戦。天文学的な賠償金など様々な要因で国の経済はガタガタです。ハイデガーはフッサールの助手としてなんとかやっていくわけですが、経済的には非常に厳しい時期になります。もちろん国の経済状況が大きな理由ですが、もう一つに、ハイデガーが論文も本もまったく出さないってのがあります。だから教授になれません。この経済的困窮には(結果的に)二ついいことがありました。一つは、実は既にフッサールの現象学とは哲学の筋が違うことが明確だったんですが、しばらくフッサールのもとに留まる動機になったこと。もう一つは、(戦勝国である)日本の留学生にドイツ語を教えるアルバイトをするはめになったこと。この留学生って三木清とかですからね。ハイデガーも外貨(円)でボロ儲けできたので良かったわけです。また、この時期ヤスパースと知り合い哲学上の共闘関係といえる程の仲になります(アーレントを送りつけるのが哲学上の共闘に該当するのかは不明)。
 経済的に困ってはいるものの、ハイデガーの授業は大人気で教師としては完全に成功の道を歩んでいったといえます。成功しすぎて多くの弟子が集まり、まるで預言者のようだったそうです。とはいえ、弟子の中にはハイデガーを盲信するだけではない人たちもいて、彼/彼女らは後に有名な哲学者になっていきます。
 アーレントとの愛人関係の話が出てくるわけですが名誉(誰のかは不明)のために言っておくと、ハイデガーにとっては多くの愛人の中の一人です。これ、パートナーは激おこだと想像するわけですけど、必ずしもそうでもないです。例えば、次男(後に全集の編集に携わった)はハイデガーの実子ではないです。ま、色んな家族があるってことですが、少なくともハイデガーはただの浮気男ではなくって甲斐性もあった、のだろうと思います。
 さて、大学はマールブルク大学に移っていて、マールブルク大学はこの人気教師を教授に昇任させようとします。それに対して文部省は「10年間印刷物を出してないよね」と言って却下。これ当たり前。それで大急ぎで研究していたことについて執筆して、フッサールが編集する現象学研究年報に掲載してもらいます。温めていた研究構想の「前半」に当たるもので、単行本としても出版されました。それが『存在と時間』です。そして「後半」が公表されることはありません。つまり『存在と時間』とは未完の本なんです。

一年未満の学長

 ともあれ、本が出たのでマールブルク大学の教授になります。そして、フッサールの後任としてフライブルク大学の教授に就任。……後任って書いてますけど、ナチスの関与ありです。ギリギリ穏やかなレベルではありましたが。さらに、学長になってくれと打診されます。
 この一幕とフッサール、そしてヒトラーの関係について……それぞれ複雑で文字数が増えていく一方なんですが、ざっくりですが整理しておきます。
 まず、ハイデガーが政治的関心を持っていたかどうかですが、おおよそ間違いなく(学長以前は)「特に持っていなかった」ようです。つまり、学長を引き受け、その後ナチ党に入党して以降にプロパガンダ的な発言をしていったということです。では、その種の発言はハイデガーの本心だったかというと、これもおおよそ「そうである」といえます。ただし、ナチスについては早々に見切りをつけています。しかし、学長辞任とこれとは別の話なんです。ハイデガーはナチスの考えが嫌で学長を辞任したというより、彼の打ち出す「大学改革計画」があまりにもラディカルだったので学内や文部省と相容れなかったから、というのが実際のところのようです。一方でここは大事なところですが、ナチズムのイデオロギーについては講義の中で皮肉るぐらい明確にダメ出ししています。ところが、ヒトラー個人に対しての期待は長く持ち続けましたし、それを悪いとも思っていないとハッキリ言っています。
 次に哲学――主にフッサールとの関係ですが、ちらっと書いたようにハイデガー本人は早くから「筋違い」と認識していました。この違いは、シンプルです。本質主義的で第一哲学を目指すような現象学と、近代的主体・主観主義批判の存在論は、相容れないというより敵対関係といった方が正確なぐらいです。そしてそのことはフッサールも少なくとも『存在と時間』の時点で気づいていました。気づいていたけど、業績の助けをしたし、一緒に仕事をしようと持ちかけてもいたわけです。
 それから、余談ではありますが、ハイデガーの(妄信的な、あるいはそうでない)弟子たちの大半はユダヤ人でした。だから、学長時代の発言にはびっくりしますし、離れていくことになります。しかし、ハイデガーはユダヤ人の弟子たちの亡命を手助けしています。さらに亡命先の地位まで世話しているケースも少ないですがあります。これも事実として知っておきましょう。

戦後:中断された研究の継続

 ハイデガーにとって「学長」騒ぎは、自身の研究を中断するようなものでした。したがって辞任後(まだ戦中ですが)は研究をすすめるわけですが、『存在と時間』の続きが書かれることはありません。主だったテーマとしては形而上学批判があります。それはハイデガーの哲学の筋としてよいテーマだとは思うのですが、そういう目線前提でニーチェ研究をします。だから当然、ニーチェの哲学は形而上学だという結論になります。このことは、私たちにとっては不思議――ニーチェ−ハイデガーはむしろ組み合わせで深みが増す――ですが、ハイデガーの立場に立つと当然の選択です。つまり、ナチスが利用していた哲学(=ニーチェ哲学)の批判……そういうことです。こういう事情ですから、ハイデガーのニーチェ解釈の水準が低いのはしょうがないと許容しましょう。
 さて、二次大戦が終わります。ドイツはまた敗戦国です。ハイデガーも戦争責任を問われ、フランス軍政当局は教育など大学でのすべての職務を禁止します。戦後のハイデガーは多くの時を山小屋で過ごすことになります。後にこの禁止は解かれ、名誉教授としての活動は許されることになります。
 歳をとれば老いてゆく。ハイデガーの死は穏やかなものでした。途中、脳卒中の発作に襲われるも回復、その数年後の死でした。伝えるべき人に遺言を伝え、自宅で息を引き取ります。

現代的評価:★★☆☆

薦める本がない

 いろいろ例外が重なりますが、「読むならこれ!」がありません。だからずっと記事にできなかったんですが、「ない」ということに確信が持てたので、今書いています。でも……一冊挙げるとするなら『「ヒューマニズム」について』かなと思います。大事なことは、『存在と時間』ではないということ。まぁ、処女作なので全ての本が『存在と時間』以後になるわけですが、ニーチェ批判についてはもう評価しました。あとは、全集でしか読めないようなものを除いて、後期のハイデガー思想を知れるなら……みたいな選定です。書簡の体ですし、文庫本なので、いいと思います。

どう評価するか

 問題は現代的意義をどのように評価するかです。まず、ポストモダンだろうがイタリアン・セオリーだろうが、ハイデガーの影響はとても大きいです。とりあえず「はじめに」で書いたテッロージの指針は必須と言えます。これについても詳しく書くとキリがないのですが、ようは御神託のように読んではいけないってことです。ところが、実際にはレベルの高い哲学者であっても、ハイデガーのテクストを「解明すれば有益な示唆が得られるもの」として扱ってきましたし、哲学書を読む人なら多かれ少なかれ、それに付き合わされた経験があると思います。今ならそういうのには付き合わなくてもいいと断言できます。
 一方で、ハイデガーを読むことは全く無意味かというと、こちらも間違いなくそうではありません。読むならば、最低でも★★の有用さは保証できます。上手くすれば★★★★まで期待できる――こんなところでしょう。

さいごに

テッロージの示唆に富む引用で締めたいと思います。

たとえば、犯罪者が素晴らしい着想を抱くこともあるだろう。犯罪者だからといってその思想をすべて無効にする道理はない。けれども犯罪者の思想のすべてを認めると、彼の観点から眺めるわけなので、その犯罪をも正当化することになる。したがって、比喩ではなく、ハイデガーやシュミットも含めてこれら右翼の思想家たちも興味深い思想をもちうるし、その思想を理解し発展させることも正当だろうが、その思想の全体を正しいと考えることはできない。あのような選択へと向かったのだから、そのなかには明らかに正しくないことがあったのだ。シュミットについては、現代の批評はつねに慎重な取捨選択をおこなってきた……しかしハイデガーに対しては異なり、誰もが無批判に受け入れてきたのである。イタリア思想、一般に大陸思想のこの数十年ほどの状況のなかで、これは真の不条理と言える。

『イタリアン・セオリーの現在』431-432頁

 最も重要なのは「しかしハイデガーに対しては……」以降の文章です。もう少し具体的に注意点を知りたいということなら、存在論は古代ギリシャの時代から常に「生成」の逆、つまり観念的イデオロギカルなものであって、「神学」(的言説)になる。神学と宗教を混同してはいけない(アガンベンは混同している)……といったかんじです。

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