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哲学と自殺(実存主義/構造主義)

今回は雑記に近いものとしてお読みください。さっそく雑談から始めましょう。

個人的な思い出

 私が大学で哲学を学ぶことを母親に伝えたときの反応が、記憶に残っています。人間の記憶とはかなり柔軟なもの(反芻されるうちに脚色されるもの)ですが、「自殺だけはせんといてよ!」と言われたとそれなりに鮮明に覚えています。一方で、それを言われた自分の反応は不鮮明です。ただ単純に、哲学と自殺がなぜ関係するのか分からず、鳩が豆鉄砲を食ったようなものだったのではないでしょうか。これは私個人の思い出の一つですが、ある世代には哲学と自殺が結びついているというのを体験で知った機会でした。
 というのも、昔(1903年)に「華厳滝の自殺」という事件があったんですね。いわゆる厭世自殺だったんですが、その遺書に哲学……特に実存主義的な内容が書かれていたわけです。検索すればすぐ見つかるでしょうが、一部引用しておきましょう。

萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。

「巌頭之感」藤村操

 この事件は有名になって、その後、華厳滝は自殺の名所になったぐらいです。もっとも、日本に自殺の名所って他にもいっぱいありますけど。
 私の母親が直接この事件を知っていたかどうかは分かりません。なんとなく「哲学をした若者は、人生の意味を見いだせず死んじゃう(こともある)」ということだったかもしれません。言われてみれば、なんとなくそんな気もする……といったところですが、もちろん統計的なエビデンスは無く、哲学と自殺の関連性なんてありませんよ。そもそも、華厳滝の事件だって、ぶっちゃけ普通の失恋だったんじゃね、という説もあります。

『シーシュポスの神話』

 とはいえ、自殺をダイレクトに哲学的テーマにした本があります。カミュの『シーシュポスの神話』ですね。
 「真に哲学的な問題は一つしかない。それは自殺についてである。」が、まえがき直後の文章です。これに対して、「メンドクセ」と思う人もいるでしょうし、「自殺を肯定するのか否定するのか、答えを知りたい」と思う人もいるでしょう。これも検索すれば出てくるので、ネタバレにはならないと判断して、カミュの出した結論を書いてしまうと、明確にノーです。
 カミュといえば、『異邦人』や『ペスト』が有名ですね。これらは、ジャンルとしては文学作品で、『シーシュポスの神話』は、エッセイに分類されているようです。ちなみに、シーシュポスの神話は、カミュの作った話ではなくて、ギリシャ神話の一つのエピソードです。それを題材にした、哲学的論考だから、エッセイということなんでしょう。カミュお得意の不条理をキーワードにしながら自殺についての論考を進め、世界には意味がないということについては、イエス(受け入れる)。でも、そういう世界に反抗するために自殺についてはノー。こんな感じです。そして、神話の主人公であるシーシュポスは、不条理な世界を肯定的に生きるヒーローとして描かれます。

カミュの実存主義

 『シーシュポスの神話』は、そんなに長くありませんし、読みやすく、面白いのでおすすめですが、私が面白いと感じるのは、カミュが、実存主義を「形而上学への逃避=哲学的自殺」とバッサリ切っているところです。つまり、カミュ以前の実存主義は(実際に死ぬかどうかは別にして)自殺に関係しており、カミュは自殺について明確にノーと結論したことによって、実存主義の頂点に立ったといえるでしょう。
 問題は、反抗のために生きるとして、何に反抗するのかということになりますが、それはつづくエッセイである『反抗的人間』のテーマになります。ま、こっちもざっくり言ってしまうと、例えば主人による奴隷に対する支配への反抗です。ようするに「〜からの自由」のための反抗なんですが、それが個人的体験を超える(つまり、他者の共感を得て政治的連帯になっていく)プロセスを経て、まさに反対物である自由を縛る全体主義につながっちゃうという分析が『反抗的人間』の中心的な部分になります。ちょっと雑ですが、実存主義が実存主義であるためには、個人という単位で止めないといけない、というのがカミュの主張であると、考えておきましょう。

サルトルとの論争

 そうだとすると、(同じ実存主義の代表者である)サルトルは、これを気に入りません。なんといっても、社会参加/政治的参加(アンガージュマン)を大事にする人ですからね。アンガージュマンって、英語にするとエンゲージメントなんですが、サルトル的には、特定の「状況に関与して、自己を開放しつつ、新たな状況のうちに自己が拘束されること」を引き受ける、というニュアンスが込められた言葉です。カミュは、そのニュアンスの前半だけを肯定し、後半を否定した、ということで「カミュ=サルトル論争」ってのがあったんですが、サルトルは、カミュを「曖昧」と批判します。それは、哲学的な態度決定としても曖昧であるし、当時の政治的状況に対してカミュがとった立場の曖昧さでもありました。
 論争というのは、リアルタイムにおいては、ある意味決着がつくものですが、現代からみれば勝ち負け含め、正直どうでもいいことです。というのは、サルトルの哲学だって、直後の構造主義者(特にレヴィ=ストロース)からボコボコに批判されますから。もっとも、それだって、現代から見ればどうでもいいことです。

実存主義は過去の哲学か?

 なぜかというと、(レヴィ=ストロースがきちんと理解していたかどうかは別にして)サルトル哲学の中心的理論である「弁証法的理性批判」はこねくりまわされているものの、しょせん本質主義です。その点では、構造を本質と見る構造主義と同じレベルで使い物になりません。

※本質主義が経験を大事にするということについての記事はこちら

本質ってなによ|松岡 鉄久|note

 サルトルといえば「実存は本質に先立つ」んじゃなかったっけ、と思った人。それでいいんです。先立つって表現するぐらい(実存を)大事にするよってだけのことで、結局本質を目指すんです。
 サルトルの実存主義、イギリス経験論の新形態としての構造主義(ソシュール、レヴィ=ストロース、ラカンなど)はそれぞれ違いはしますが本質主義であり、現代的意義は無いです。少し丁寧に扱うなら、構造主義は、思考や分析手法としては使えなくはないです……もっともシニフィアンとかシニフィエとかは見るだけでイラッとしますけど。そういうテクニカルタームに目をつぶるとして、方法としては役に立つ場面がありますが、彼らが目指した目的は、明確に形而上学的なものでした(「一般言語学」なんて構想すること自体が無意味で、しがたって携わる人たちの労力の無駄です)。
 そして、カミュに戻るのですが、カミュは、そういう目的としての形而上学を、(ポスト構造主義以前に)的確に捉えて、そうなることを否定したと評価することができるでしょう。サルトルの「曖昧だ」という言葉に返すとするなら「あんたが思っているほど現実は単純じゃないよ」といったところでしょうか。
 したがって、実存主義は確かに過去の哲学ですが、カミュにおいてその頂点に達した輝かしい過去である、と私は思います。私が思うだけでは説得力が無いということでしたら、レヴィナスの訳者として大変有名な内田樹さんが、著書でカミュを高く評価していることをお知らせしておくとしましょう。
 蛇足になりますが、文学が(無意味に小難しい)哲学に勝った瞬間としても、輝かしいですね。いや、サルトルも文学作品を書いているのは知っていますよ。でも、文学としての出来は、私が評価するまでもないと思います。読んだらどっちが面白いか明白ですから。ただ、本人は自覚があったと思いますよ。ノーベル文学賞を辞退してますから(紳士として恥ずべきことだが、正直なところ今の私は……『嘔吐』の恨みをはらすために、皮肉を言うのだッ!)。

さいごに

 構造主義が流行った時代。デリダやフーコーが構造主義に分類されていたというのは、いかに彼らの書いたものが理解されていなかったかということの例です。そのような世間の誤解に対してデリダは当惑しながら否定し、フーコーは鼻で笑いました。じゃあ、彼らはポスト構造主義に分類されるか、というと……まぁ、そうっちゃあそうですが、「ポスト(〜の後)構造主義」って、分類としては実質意味を成していませんからね。
 ということで、特にご要望がなければ、哲学者紹介でこれ以上実存主義を取り上げることはありません。また、構造主義は、それそのものは哲学じゃありません。次回は、そういう切り口ではなく、フランスにおける現象学の受容という角度から複数名を紹介したいと思います。デリダはその中の一人です。

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