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気のおけない関係を生むもの

ふと相手の価値観に触れる経験

長年付き合いのある友人とご飯を食べている時、
ひょんなことから、主に親御さんや兄弟、中学校時代に苦労したことなど、
友人の価値観を形成した話を聞き、改めて尊敬の念が生まれた経験がありました。

人から薫陶を受けることは、そう何度もあるものではなく、あくまで数年に1度、自分統計では5年に1回しかないのですが笑、

そんな経験を通じて、「付き合う時間の長さではなく、どう相手と接して、どのようなコミュニケーションを取っているか、が人との関係を築くのではないか。」

そう考えるようになりました。


関係性に対する考え方

人によって好き嫌いが分かれそうですが、同僚であれ、友人であれ、パートナーであれ、互いの価値観を知り、尊敬や尊重で繋がる関係性が理想だったりします。

ただ、当然、数年来の知り合いだった親友であっても、意外と深い話を知らないことがある。

周囲全員と、そこまで深くあれるはずもないのですが、自分が理想として描いているのであれば、そこに到達する方法は知りたいなと思いました。


さっそく人との関係における論文を読み漁ってみた

例えばこのあたりが、特に参考になりました(詳細な内容は、機会を変えて書いてみます)。
信頼が報われる条件
対人関係における自己開示
自己開示の深さを測定する尺度の開発
親密度の異なる友人に対する自己開示抵抗感に関する検討
否定的内容の自己開示への抵抗感と自尊心の関連

紐解いていくと、人との関係構築は、どうやら「その人自身の人としての成熟度、そして相手との関係値によって可能になる ”自己開示”がカギである」そうです。

「自己開示はパーソナリティの健全さのしるしであり,また,それを獲得するための究極的な手段である。すべての不適応者は自分を他の人々に知らしめることをせず,その結果,自分自身をも知らない人間である (Jourard, 1971)」


人との向き合い方

また、あるとき姉に言われた話も印象的でした。

よく女子会で彼氏のこと色々言う人いるけど、友達じゃなくて彼氏に言うべきでしょ。男子もそう。きちんと相手と話しあえる関係を作れていないだけ。もっとコミュニケーションを取った方がいい。

歳を重ねる度に、何もせずして他者と足並みが揃うことなんて無いと感じます。親友でも、パートナーでも、家族でも。

「話聞いてくれないか、変に思われないか不安」
「何となく、この話は伝える相手を選んでしまう」
「この話はできない」

往々にして相手によって言葉を選んでしまうものですが、自分のプライドやこだわりを捨てて、相手を信頼して言葉や行動にするしかないですよね。
(それが踏み絵となって、深い部分で合う合わないが出てくるのかなと)

言うは易し、行うは難しですが笑、人生通じても、片手で数えられる関係性は、このような姿勢から生まれるのだろうなと感じます。

また、色々と調べてみる過程で、単に「関係が浅い時だけでなく、友人関係の時間が経過するほど自己開示ができなくなる」といった話も目にしました。

が、そういった人間関係の慣性を超えていく体験を作っていきたいなーと思う次第でした。

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