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【ネタバレ感想】下村敦史「アルテミスの涙」

心揺さぶられる小説に出会いました。

下村敦史「アルテミスの涙」です。

少し前に紹介されていたのを見ていて、医療ミステリと聞いて気になっていたのですが、ようやく読むことができました。

単なるミステリーを超えて、価値観・倫理観をゆさぶられる一冊でしたので、今回はネタバレありで感想をシェアしたいと思います。

※今回はネタバレを大いに含みますので、未読でネタバレを見たくない方はご注意ください。


性加害によって生まれた命とどう向き合うのか

本書は、閉じ込め症候群(ロックドインシンドローム)であり、意識はあるもののまばたぎ以外自ら動かすことができない状況にある、岸部愛華の妊娠が発覚するところからスタートします。

「誰が愛華を妊娠させたのか?」という問題はあるものの、愛華は性加害によって妊娠したことはほぼ間違いないとされます。

主人公である産婦人科医の水瀬真里亜は、自分の担当した範囲では、性加害によって望まない妊娠をした人は、例外なく中絶を望んだとのことでした。

しかし、瞬きと文字盤を組み合わせてなんとか意思表明できるようになった愛華は、「子どもを産みたい」と言います。

真里亜を含めた周囲の人々は動揺し、特に愛華の両親は堕胎するよう説得しようとします。
しかし愛華は、断固として拒否し、必ず自分の子どもを産みたいという意思を示します。


残念なことに、性犯罪によって望まない妊娠をしてしまう人は、現実社会でも少なくありません。
その結果、中絶という選択をする場合もあります。

望まない妊娠によって生まれてくる命に対してどのように向き合うべきなのかーーー。
確かに産まれてくる子どもは、親を憎むかもしれないし、社会的にも辛い経験をするかもしれません。
だからと言って、産まれる前から命を絶つことが必ず正しいとも言い切れません。

現実社会でも、このような状況に悩んでいる方もいらっしゃると思います。
社会規範に従うことが正しいとも思えませんし、ましてや私を含め誰かが答えを持っている訳でもありません。

ただ、現実で悩む人々がいる限り、私も考えることをやめないでいたい、と思いました。


「子育てできないのに子どもを産むのは無責任」というのは本当か?

本作では物語が進むにつれ、愛華の妊娠は性加害によるものではなく、同じく閉じ込め症候群の状態にある恋人との間の子どもだったことが分かります。

担当の高森という医師が、二人が親の反対で中絶を経験し、今度こそ子どもを産みたいという思いを持っていることを知り、二人の人工授精を行っていたのです。

愛華は、一度は諦めた愛する人との子どもを産むことを、閉じ込め症候群になった状態で実現しようとしたのです。


真里亜は真実を知り、人工授精を行なった高森にこう言います。

「ーーー周りの同意と理解がないと、出産は産んで終わりじゃないでしょ。一番大切なのは、赤ん坊をどう育てるか、じゃないの?」

P288

この言葉に対し、高森は答えることができません。
しかし、この問いを投げかけた真里亜も、自分が同じ立場だったらどうするか、答えることができませんでした。

物語はエピローグで、愛華は恋人との子どもを出産し、子育ては祖父母が行っていくことになります。


今の日本社会は、ただでさえ子育てに厳しい環境です。

育児休業の取得率は低く、出産・育児にかかる費用は膨大、なのに子育て支援制度は十分とは言えません。
本書の冒頭では、優先席に座る妊婦を怒鳴りつける中年男性が登場しますが、妊娠や子育てへの理解が進まないのは、現実社会も同じです。

そんな状況で、子どもを一切の責任を持って育て切ると断言できる人がいるのでしょうか?
むしろ、親に任せきりにせず社会で子育てしていく必要があるのではないでしょうか?

それは親に障がいや病気など、さまざまな困難があっても同じだと思います。
真理亜はどう育てるかが大切と言いましたが、環境によって出産を諦めなければならないのは、本人や周囲にとって悲痛なことです。
そう思ったからこそ、最終的には真理亜は愛華の味方となり、出産を支えたのではないでしょうか。


子どもを持ちたいと思った時に、親がどんな状況であっても安心して育てられる社会であること。
それが実現するために、私にできることはなんだろうか?
今後も考え、実践していきたいと考えさせられました。


今の日本社会を考える

本書は医療ミステリーというジャンルであり、「愛華はなぜ妊娠したのか?」という大きな謎が中心ではありますが、それ以上に考えさせられることが多い物語でした。

永遠に解決しない少子化、子どもの貧困、世界最悪クラスのジェンダーギャップなど、日本社会の問題は山積みです。

この物語自体は、非常に特殊な事例ではありますが、改めて現代社会で語られる「命の重さ」という意味を、再考させられる作品でした。

「命」を語る私自身も、また1つの命を生きる人間でしかない。
だけど、命について考えることをやめてはならないと思わせられる読書体験でした。

素晴らしい作品を、ありがとうございました。


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