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日記:ぼくはこんなことを考えている 6月編

ちょっとした考えごと、ツイートするには長いモヤモヤした思考…そんなものを排泄するために、気づけば半年以上続いている日記!

今月もまとまりがあるとは言えない文章の羅列ですが、読んでくれると嬉しいです。






5日 アニメファンの第二次性徴期


僕はアニメが好きだ。月何話見てる…みたいな量を基準とした指標は自慢以外になんの意味もなさないから特に言わないが、恐らく一般の人よりもアニメを見てる時間はまぁまぁ長いだろう。

それは自分のnoteページを見てくだされば分かることだろうと思う。
日記やエッセイも多いが、気合を入れて精一杯書いたアニメの記事がぽつぽつとある。

こちらのマガジンにまとまっているので、よかったら読んでみてください。


noteを書くのは、やはりしんどい。
単純に記事が完成するまで多くの時間がかかるし、誰かに届いている実感が得られるまではさらに長い時間が必要となる。
それを耐えられるだけアニメが好きで、さらにアニメを「語る」ことが好きなのだろう。


そんな「アニメ語り」をオタクとしていると、よく作品に対する評価が食い違うことがある。

僕は『リコリコ』擁護派なのだが、その場に嫌いな人がいたりする。
SF的な観点であったり、戦闘美少女ものとしての観点であったり、そういった視点から「リコリコは面白くない!」という意見がある。その意見も、中々共感できる点があるものだ。

ただ僕は、案外嫌いじゃないというか…むしろ好き寄りなんだよな〜『リコリコ』。

テンポの良いギャグと端正なキャラ作画が両立しているというだけで稀有だし、大体ハナっからこの作品に「本格〇〇」的な要素を求めていない。

作品内世界の設定とかに全く興味がない立場からすると、オチの何も問題を解決しないで逃避するという結末も、むしろ現代らしくて好印象だった。



僕はnoteだとよく「怒り」を原動力として記事を書きがちなので誤解されているかもしれないが、基本的に対人関係で怒ることや不快に思うことはあまりない。

だからたとえ友達と作品の好みが食い違っても、むしろ自分には無い意見を知ることができて楽しいくらいである。


そうして色んな方の意見に耳を貸すと、「好き」にも様々な形があることが分かってくるのだ。

ただの「好き」ではない、その多様さに気づいた瞬間が、アニメファンにとっての第二次性徴なのではないだろうか……そんな事を考えていたりして。


例えば、『化物語』というアニメ。

2009年に放送された、TVアニメ史に残る、押しも押されぬ大傑作だ。

監督・新房昭之、シリーズディレクターを務めた鬼才・尾石達也らを筆頭に超一流の演出家が集合。
奇抜な文字を用いた演出や「黒駒」カットをインサートする手法など、従来のTVアニメとは明確に一線を画す強烈な演出は枚挙に暇がない。ブームを巻き起こした、時代を代表する作品と言えます。

圧巻のレイアウト


それでいて戦場ヶ原さんや羽川さんなど、どのヒロインも魅力的で萌え〜、かつ時にセクシー。
『めだかボックス』とかが好きだった自分にとっては、西尾維新キャラの小気味良い会話もまた楽しいものだ。

『化物語』は演出が圧倒的に素晴らしいだけでなく、声優の演技が生む会話の面白さを突き詰めた「会話アニメ」でもある、というのは意外と語られていない気がするな〜


演出ばかりで『化物語』を語ると如何にも高尚なアニメという印象を持つ未見の方も居るかもしれないが、神谷浩史さんを筆頭に声優さんの演技が耳に気持ち良い一大娯楽作という側面もある。

とんでもない演出でコアなファン層を圧倒しながらも、エンタメ作品としての矜持を一切失わないところが、僕が思う『化物語』ひいては尾石達也という演出家の魅力だ。



これだけ語れば察するだろうが、『化物語』は僕の大好きな作品。つーか尾石達也が大好きなのだ。尾石さんは自分が「演出家」を意識するきっかけを与えてくれた天才の内の1人だ。
『ぱにぽに』op 3部作は全アニメオタクが見なくてはならないとされています。


閑話休題。
『化物語』に関しては誰が見ても圧倒的だと分かるアニメーション作品としてのクオリティの高さが、確実に「好き」を後押ししている。
これは「クオリティがあからさまに高い為、好き!」という、まぁ誰もが最初に辿り着く感情だろう。


しかしアニメを沢山見ていると、決してその魅力が「あからさまなクオリティの高さ」に裏打ちされていない作品もある。

最近のアニメで例えれば、『トニカクカワイイ』がそれに当たるだろうか。
サンデー連載の人気原作をアニメ化したもので、中国マネーの恩恵で続編が作られまくっている。


僕はこのアニメがかなり好きだ。アニメを見た後に畑先生による原作漫画も読んだが、「どちらが好きか」と悩む程度にはアニメが好きなのだ。

とはいってもこの作品はこれまで自分がnoteで紹介してきたような、何がしかの方向へ尖った魅力を持つ作品ではない。

むしろ凡庸で、何か粒だった魅力があるかというと言葉に詰まるくらいだ。
漫画版をただアニメ化しているという感じで、魅力的な翻案が無い。それって原作ものアニメとしては、割と終わりの部類に入るのだ。


昨今ラブコメアニメで流行しているようなリッチな撮影処理が見られるわけでもなく、作画が取り立てて良いわけでもない。
演出も非常〜〜に普通。原作にあるようなデフォルメと、ときめくシーンでのイメージBGやエフェクト効果……このあたりが目立つ演出だ。

ごく一般的な(なんなら一般的にも高クオリティとは言えない)TVアニメである。

(↑ただ『女子高編』は素晴らしかった…!)


アニメに慣れていない人どころか、アニメ好きにもオススメすることは金輪際ないだろう。
今から一気見する価値があるかと言われると、「無い」と断言できる。


でも、自分にとって『トニカクカワイイ』のアニメは魅力的なのだ。これだけ貶しておいて今更、と思うかもしれないがこればっかりは僕にとっての真実なのでしょうがない。

じゃあどこが魅力的なのか?

その魅力を一言で表すなら、「視聴者に期待をせず、尚且つきちんと作っている」所と言える。

深夜アニメとは、往々にして仕事や学校終わりの疲れた人たちの受け皿になる。

そんな人たちに「圧倒的な高クオリティ」で応えることは、いうまでもなく素晴らしいことだ。自分も疲れた時に素晴らしいアニメを見て励まされた経験は数えきれない。


しかし「クオリティの高さ」だけが、そういった疲れたオタクの心を癒すのではない。
『トニカクカワイイ』に類する作品はクオリティなどとは関係のない箇所で、オタクの心を癒せる作品なのだ。


目新しさはないけど笑える……特に斬新ではないけど萌える……なんならながら見しているけど声優さんの演技が耳に心地よい……そんなアニメがあっても、良いじゃないか。
全員が山田尚子や、尾石達也や、今敏のような名匠を目指さなくたっていいんだよ。

全てのアニメーションが作家主義を志向しなくても良い。もちろん作家性の高いアニメは大好きだが、少しふ〜っと息を抜けるようなアニメもまた価値のあるものだ。

『トニカクカワイイ』はそんなオタクが持つ心の機微を理解している、非常にクレバーなアニメである。


深夜にアニメを見る人間のそうした心持ちを理解した上で、スタッフさんたちが全力を挙げて「ちょうど良い」味わいを作り上げているのだ。
深夜にアニメを見る人間の気持ちを分かっている深夜アニメ作品ほど心地よい娯楽は、中々ない。


少し前になるが『怪人開発部の黒井津さん』なんかも、こうした素敵さを持つアニメの筆頭だろう。
目新しさは特にないが、そのやり尽くされてる感じがむしろ心地よい。気の抜けた次回予告とか、毎週見るのが密かに楽しみだった。


「ほどよい」アニメの魅力がその絶妙な「ほどよさ」にあるということ、これに気づいた瞬間がアニメオタクとしての第二次性徴なんじゃないだろうか?


そしてその上で、先述した「クオリティが高くて好き」な作品すら、数ある高クオリティアニメの中からそれを選んでいる時点で、「ほどよい」アニメを好きになる感情の亜種に過ぎない……

その事実に気づくことが、アニメオタクとしてのスタートラインなのかもしれない。
僕は少し前にこの段階に来たので、この先を知っている先輩オタクはぜひ僕に「その先」を教えてくださいね。



18日 絶望した!自称陰キャの幅広さに絶望した!


アイドルアニメは大好きなくせに、声優さんの顔を見るのが苦手なせいでリアルライブに行けないオタクとは俺のこと。

しかし、ことアニメラジオに関しては人並み程度に好きである。何か特定の番組に執心だったというわけではないけど、最近なら『ぼっち・ざ・らじお』は寝る前に聴くのにちょうど良い面白さだ。


そんな心地よいアニラジ『ぼっち・ざ・らじお』を聞いていて印象的なのが、「こんな陰キャな自分は、〇〇してしまいました…」というタイプのお便り。

まぁ大元の作品からして、そういう「陰キャ」みたいな概念との距離が近い作品だからこういうお便りが多いのは納得。

実際に彼ら彼女らのお便りには少し共感できるものもあったし、パーソナリティーである青山吉能さんはこうしたお便りの躱し方が並外れて上手いので、肩の力を抜いて気楽に聞けるのがこのラジオの素敵なところだ。


そんな青山さんが頻繁に言っているが、そんな「俺は陰キャで…」というお便りを送ってくれている人たちは、往々にして家庭を持っていたりお付き合いしている相手がいたりする。………信じられない、凄いよな!?
皮肉とか斜に構えたことを言うつもりじゃなく、これは本当に面白い事象だと思う。

「コミュニケーション苦手」な人たちの中でまぁまぁな割合が、異性と深く関わったりして健全に人間生活しているということだ。
世間の広さというか、『ぼっち・ざ・らじお』が持つ裾野の広さというか…色々と思い知らされる。

恋愛沙汰もなけりゃ建設的な勉強も一切してない自分からすると、そんな人たちのどこがダメ人間なのか?と思う時もある。
大槻ケンヂじゃないけど、この世に1番ダメな自分だけが残されたような気分だよ。


でも、そんなことに思いを馳せながらこの『踊るダメ人間』を聴いていたら、不思議とこうした「陰キャ」自称人たちに敬意を示したくなった。

「陰キャ」を自称する人たちの中にはその使い古された陳腐な概念を、「自虐している俺」アピールとして使っている不届き者もいるだろう。
そういう人は本当に、身の振り方を考え直した方が良い。死後の世界で閻魔大王に詰問された時に言い訳できないから。

ただ、きっとそんな自虐アピールをしたいだけの人たちばかりではないはずなのだ。
ここで自分が「"陰キャ"なんて言葉を使う奴は自虐アピールの太ぇ野郎だ!!」と決めつけるのも、あまりに不寛容な態度…という気がする。


きっと、こういうお便りを送る人たちの中には本っっっっっっ当に心の底から自分の陰気さに嫌気がさしている人もいるのではないか?
結果的にお付き合いをしていたり、家庭を持っていたりはするけど、そうした事実自体に馴染めないような方もいるんじゃないだろうか?

そういう妄想を膨らませてみると、急にこうしたお便りの味わいが増すように思える。


人と話すのが心から苦手で、そんな不器用な自分に対しても絶望感を持っていて、混じり気なく真剣に「俺は、俺が、嫌だッッッッッッ!!!」という自我と相対しているのかもしれない。

そしてそんな状態で、何故か様々なことが好転して人と世帯を持つことになったのかもしれない。想像するだに恐ろしいことだ。


そんな自称「陰キャ」たちが、自分に不相応な家庭や友人関係と一生馴染めないままに、大槻ケンヂよろしく「それでも、生きてゆかざるをえない」と日々苦しみながら頑張っているのを想像すると………この世はいいもんだなぁ、と場違いな感情が湧いてくるのだ。


自分はそこまで人と話すことに苦痛を感じたりしないタイプではあるけど、この妄想をきっかけに、こういうタイプの人に対して謎の連帯感が芽生えたように思う。

一歩引いて見てしまう事象に対して突っ込んで考えてみると、案外それらに親近感が持てることもある。
くっさい自己啓発本みたいになっちゃったが、これは本当にそうだよね…という日記です。



27日 朝日新聞クロスサーチ


「朝日新聞クロスサーチ」という、昔から今までのあらゆる朝日新聞の記事が読めるサービスが大学のWi-Fi圏内ならば使えるらしいと今日の講義で聞いたので、早速使ってみようとPCを開いてみた。
(今月の日記はしかし、まともな生活の話をしているのがこの日だけだ。ひどいね。)


そもそもの話にはなるが、大学生というのは何かと権利を有しているものだ。公共施設に格安/無料で入れたり、講義も話半分なボンクラ身分の癖して頑張っている大人よりも安く映画を見れたり。


他にも弊大学がさまざまなサービスの会員になってくれているので、我々大学生は一生開かない辞書や読むことのない古典文学、何語かもわからない文献にアクセスできる権利を保有しているわけ。


とはいっても自分は普段からdアニメストアの視聴権利を行使するのに忙しいので、こういった大学が契約してくれているサービスを利用してくれていることがなかった。

興味のない古語辞典を読むより、『スマイルプリキュア!』第43話の傑作ぶりに恍惚とする方が、オタクにとっちゃ絶対に有益!!!


だから行使している権利と言えば、せいぜい図書館にひたすらアニメ評論家・藤津亮太さんやアニメスタイル関連の本をリクエストして、未来のアニメ好きな後輩たちのために蔵書を充実させているくらい。

弊学は芸術系の学科があるというのにアニメ関連書籍が弱いので、身を挺して書架を充実させる必要があるのだ。

権利はただ持っていても、ひとつも懐は温まらない。貧乏性かもしれないが、高い施設設備費を払ってもらっている以上、しっかりとこうしたサービスも利用していきたいところ。


そんな心持ちで利用してみた「朝日新聞クロスサーチ」だが、実はこのサービスの利用には条件がふたつある。

ひとつは先述したように、「学内Wi-Fiが繋がる範囲内でしかログインできない」という場所を制限する条件。
そしてもうひとつは、「同キャンパス内で5人までしかログインできない」という人数制限だ。

「誓約と制約」がものすごいぞ。他の大学サービスはそんなこと書いていないのに、このサービスだけ明らかに縛りがキツい。
違和感を覚えて調べてみると、どうやらこのサービスは同時アクセス可能数に応じて月毎の利用料金が変わるらしいのだ。


そうだとしても、「同時に5人」なんてケチくさい話である。10人とか20人とか同時接続できたって良さそうなものだ。ウチに学生が何人所属していると思っているのか?
100人かそこらなら分かるが、キャンパス全体ならもう何人いたか分かったもんじゃない。

こちとら高い施設設備費払ってんだから、もっと同時接続させてくれや…と不満を持つのも、自然な感情だろう。

「1879年の創刊から現在までの記事や広告を検索できるデータベース」なんて、便利にも程がある。
シンプルに「天声人語」を時代ごとに読むだけでかなり面白いだろうし、社会学とか歴史学を勉強したい人はダイレクトに記事を参照したいタイミングも多いだろう。

新聞ってのは、時代ごとの風俗を表すメディアだ。今とは異なる時代の息吹を感じられること自体、刺激になることだろう。


ある程度値段が張ったとしても、そこは教育機関としての意地を貫いてほしいじゃないか!
このやろ、節約しやがってからに…いくら新聞のデータといってもせいぜい月額2〜3万なんだから、そこは払えよ!

なーんて思っていると、どうやら利用登録をしていない人間でも月額いくらかの料金表が閲覧できるようだ。
どれどれ、弊学がどんなにケチかを見定めてやりますかね〜

5アクセス120,120円!?!?!?!?!?!?!?!?!?

すごい、ちょっと色つければ『ドラクエⅣ』のレコードが買えてしまうじゃないか!!!それを毎月!!!!!

欠品があってこの値段である


UNEXT便利だけど月額2000円は高いよねぇ…とか嘆いてる自分がアホらしくなるほどの高額に思わず目を見開いてしまった。

井の中の蛙、大海を知らず。
サブスクにもピンからキリまであるのだなぁと知った、そんな梅雨のある日…………




ちなみにこの後ちょくちょく「朝日新聞クロスサーチ」を利用していますが、定員オーバーでアクセスできなかった事はないです。うん、じゃあいっか。


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