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バカみたいな「手紙魔」の時代を経て☆

 大学の同級生の結婚式で、私は、その友人に対するスピーチを行いましたが、それはちょっと変わったもので、私が書いたはがきに対する彼の返事のはがきを読み上げるものでした。

 今の時代、はがきや手紙をやりとりする人は極めて少ないでしょうが、30数年前のバブルの頃は、携帯電話もなく、はがきや手紙を送り合うという習慣が少しはありました。

 彼の新婦は、北海道生まれで、彼の私へのはがきは、北海道からのはがきであり、かつ、将来への希望を書いた未来指向のものであったことも、はがきを読むきっかけとなりました。
 ※その当時は、もらった手紙類は全部取っていましたが、結婚して何年かして、一部を残して処分してしまいました。サッパリしていいような、もったいなかったような…。

 私は、大学時代から、結婚前までの間、とにかく、ものすごい手紙魔で、年間、控えめに言って(!?)、千通以上のはがきや手紙を出していました。

 郵便代だって、バカにならないはずなんですが、よくお金が続きましたね。当時は、全く違和感を抱くことはありませんでした。

 そのはがきを読むというスピーチを聞いた別の大学時代の友人が、「面白い。木下の結婚式のときには、木下の手紙を読んでやろう。」と言っていました。

 今、こうして書いているnoteにもつながる雑文手記を、ワープロ(当時はPCではありません。)で打ち、夜間、自転車を走らせて、コンビニでコピーをし、多いときには、28人ほどに郵送で送っていました(手紙の場合)。

 果たして、私の結婚式のとき、私のスピーチの感想を述べた友人は、私の手紙を読みました。

 「木下君には、不思議なくらい、恋愛の話を聞かなかったんですが、たくさんある手紙の中から、恋愛に関係のありそうな“3%”というタイトルのものを読んでみますね。」

 内容は、「捧げる愛の3%ほど愛の返しがあれば良い。私の手紙に関する返事のように。」という当時の消費税の税率に絡めた内容だったわけですが、まぁ、今の結婚生活を見てみれば、大体において、外れていないかもしれませんね(^^;)。

 私の結婚は、見合い結婚だったわけですが、奥さんに対して、例のごとく、はがきを送りつけたわけでした。

 私は、セーブしてセーブして、1日1通に留めておこうと言い聞かせて、1日1通超(つまり、2通以上)にならぬよう、つまり、ただでさえ変なのに、余計に変に見られないよう、自制していましたが、相手の家族には、それでも、「ちょっとおかしいんじゃね。」と思われていたようです。

 私のはがきは、1枚に、ありんこ文字で、1,000字ほど入れるほどの分量で、かつ、読み切りでしたが、セーブしないと、平気で1晩に10通以上、連続で書いてしまうからです(ちなみに奥さんから返信は1通もない。)
 ※私の記憶では、ある友人には、1晩で連続14通のはがきを認めたことがありました。

 まぁ、そんなバカみたいな手紙魔だったわけですから、私の結婚式のスピーチに、友人が私の手紙を読むというのは、誠に適当な手法だったわけです。

 それが、結婚したら、途端に手紙をぱったりと書かなくなり、手紙魔を返上しました。

 かなり口数の少ない奥さんですが、そこにいるだけでも、人生の不足感が満たされたのでしょうね。全く不思議なものです。

 今、手紙を書くのは、年賀状と礼状くらいです。私は、モノなどが送られてくると、即日で、はがきに礼状を書いて、翌日には投函します。直筆を目にする機会が激減していますから、直筆の礼状というのは、逆に希少価値があるように思いますよ。

 そういう手紙魔だった過去があるから、このnoteにも切れ目なく、書けるわけです(^^)。

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