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「私の二十歳の頃」結構キツかったです

 成人年齢も、20歳から18歳に変更されましたが、成人の日の集いは、20歳のままの自治体が多いんだとか。

 本日は、成人の日で、東京は天気も良く、晴れ着姿もよろしいんじゃないでしょうか。

 石川県能登地方など、地震の被害に遭われた方々は、それどころではないかもしれませんが、成人の日を迎えられた方は、とりあえず、おめでとうございます。

 「私の二十歳の頃」は、大学生にはなっていましたが、成績は超低空飛行で、おまけに授業料は、親が出してくれませんでしたので、A新聞の新聞専売所に住み込んで、新聞配達をしている頃だったと思います。

 世間に対して、反感までは持っていませんでしたが、「ずいぶんと世の中の(最)底辺にいるなぁ」と感じていました。
 ※こう言っちゃぁなんですが、新聞専売所にいる面々は、かなりうらぶれた人が多かったんですよ。経験は語る…。

 でも、私は、新聞専売所に住み込んで、契約した年季奉公の1年間、やり通して、大学も無事進級し、新聞奨学生としての奨学金もゲットしましたから、ちったぁ、根性があったんだろうと思っていますよ。

 新聞専売所での生活は、毎朝4時に起きるなど、大変規則正しくせざるを得ない生活で、-と言っても、周りの仲間と夜、よく安酒を飲んでいた記憶がありますが-生活にピシッとした筋を入れるには、適したものだったかもしれませんね。

 今でも、私は運が良かったと思うのは、大学の期末試験の日、それを受験しなかったら、進級できない試験の日、大雪が降ったんですよね。

 ただ、私は、大変運の良かったことに、その日は、新聞配達の非番の日だったのです。

 夜通し、徹夜で勉強し、朝一番の試験を受験できたのですが、新聞配達した人は、配達を終えたのが、朝の10時までかかった始末で、もし、あの日、新聞配達をする日だったら、私は試験を受験できておらず(当時は、再試験なんて制度はありません。)、そうすれば、進級も適いませんから、私の人生はだいぶ変わったものになっていたかもしれません。

 と言っても、その試験の成績がものすごく良かったわけではないのですね。

 進級に適うギリギリのラインでしたから、えばるレベルではありません。

 私の大学時代は、特に前半の駒場時代は、成績が超低空飛行でしたから、エラそうなことを言えるわけではありませんが、ただ、ひとつ、「最低のレベルの中でも、救いのあること」がありました。

 それは、「どんなに準備不足であっても、試験受験から逃げなかったこと」です。

 本当に準備不足だと、「答案に解答を全く何も書けない。」という事態がまま起こりますが、どんなに屈辱的であっても、私は逃げずに受験しました。

 よく準備不足だと、受験から「敵前逃亡」する人がいます。前線の兵士だと、「敵前逃亡」は、銃殺刑です。私は、例え「0点の討ち死に」であっても、受験しました。

 世の中には、成績が超低空飛行の人が一定いるのは、よく認識していますが、そういう人へ、「例え、結果“0点”であっても、受験しなさい。」と言いたいです。

 「敵前逃亡」はクセになります。例え、ダメダメであっても、逃げなければ、次があります。「敵前逃亡」を繰り返すと、当然ながら、卒業はできません。

 私は、試験から逃げる人を、同情はしますが、擁護はしません。負けてもいいから、受験しろと言いたいです。きっと次がありますからね。経験は語る…。

 超低空飛行から、生き残って、なんとかかんとか大学を卒業できたのは、自身のことながら、まずもって立派だと思っています☆彡。

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