「Thursday Afternoon」Brian Eno(1985)

https://www.youtube.com/watch?v=pZ6V8pH4HPY

http://kisonoabaraya.qcweb.jp/thursday.htm

(転載はじめ)
かすかに持続する低音のノイズ(ドローン)の上に、
シンセサイザーの澄んだ音が、まばらな星のように、
はじけて消えるシャボン玉のように、きらめき、たゆたう60分。

真剣に聴きいるための音楽ではなく、壁紙のような、
部屋に漂う香りのような、バックグラウンドとして制作された音楽。
目を閉じると、ほの暗い海の底で静かにまどろむ深海魚になった気分。
あわただしい日常から解放され、
ゆっくりほどけていく音の絵巻に身体をまかせる心地良さ。
自分という存在がだんだん小さくなってゆき、
あと少しで悟りが開けるんじゃないかと思いながら
30年ほど聴き続けています。
いまだ悟りは開けず、世俗の塵にまみれるばかりですが、
心の安らぎが欲しい時には、ふとこのCDをかけたくなります。

(転載おわり)

音楽は、聴く対象であり、「聴かれる音楽」と「音楽を聴く自分」には
境界線があり、そのラインは明瞭。
しかし、音楽を弱めにし、音楽を聴きとろうとしなければ、
弱めの音楽も、強い意識を持たない自分も、
その場に存在する「なにか」でしかない。 naka ♬

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養老さん言われる
「脳」が物で、「心」が機能とすれば、「音楽」とは機能となるか。
存在ではなく。。。