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好きな系統


2010年頃、SSW:ミアン・ティアラ(レーベル:Demajors)の曲を聴いてからかと思う。ポップ・インドネシアを聴いていくのは。
インドネシアのポップを、インドネシアでは「ポップ・インドネシア」と言うそうです。また、シンガー・ソング・ライターの人の曲も好きです。
大雑把な説明ですが。
ワールド音楽マニア:レコ・オヤジさんからは
『おやじが、ポップ・インドネシアを聴くなんてね』と言われていたけど、聴きたいものは止めようがない。
(ポップ・インドネシアの歌手:monita tahaleaのアルバムについては、
 レコ・オヤジさんの要望があり、焼いて送ったが。)


自分に何があったか分からないが(中年クライシス?)、2010年代後半からの数年間、ワールド・ミュージックが聴けなくなった。
歌の意味の分からないまま、音楽を聴いていることになにか疑問が生まれたのかもしれない。生きているこの世界に「意味」を求めたのかも。
その頃の数年間は、映画をよく観、ブック・ワールド「千夜千冊」に手を出しつつあった。
2020年頃から、音楽がまた近づいてきた。ポップ・インドネシアも聴くようになり、SSW:ワンギ・ギタスワラの曲が、静かに響いた。


2010年代後半、音楽からいっとき離れたが、山口百恵さんの歌を聴くようになり、徐々に、また音楽を聴くようになった。新内節も聴いた。
(音楽から離れる前の、最後のあたりは、浪曲を聴いたりしてた。)

最近では、日本の演奏家の古楽(ヨーロッパ中世、ルネサンス、バロック音楽)、笹久保伸(アンデス音楽と、ちょっとジャンルで言いにくい音楽)ときて、marucoporoporo(日本のSSW)を。テイストが、ポップ・インドネシアのSSW、ミアン・ティアラ、ワンギ・ギタスワラに近いなぁと思った。

社会人になると音楽を聴く人が少なくなる。私の周りでは。
音楽を聴きたい人は、空中に放たれる音のように、
地球のしがらみから離れたいのだろうか。
逆に、私が音楽から離れた一時は、
自分が「この世界」から離れないように、「自分のようなもの」に楔を打つイメージで、おそらく「世界の意味」を求めた。
幽体離脱しそうになっていたのかもしれない。