「東京」の無い20周年ツアー
「東京」といえば、メジャーデビュー曲として、じわりじわりとくるりの認知度を広げ存在感を焼き付けた、いわずと知れた名曲であり定番曲であった。
これまで幾度となく参加したツアーやフェスでもかなりの確率で演奏されてきたし、やはりそれだけ認知度も評価も高く、バンドにもファンにも思い入れのある曲であった…と、思う。
しかし、くるりのこれまでの歩みを振り返る今回の20周年ツアーで、その初期の最重要曲のうちの一つであるはずの「東京」が演奏されることは無かった。そのことについて、ずっと考えている。
京都から東京へ上京して、デビューし、活動してきたくるりは2011年の震災を機に拠点を京都へ移した。
2010年~2011年はじめ頃の私は、鍵盤関連のあれこれのもやもやが積もりに積もってだいぶ幻滅モードに入っていて(犬とベイビーとか、遡ってハム食べたいなどにもかなりアレルギー症状が出ていました…)かといって、昔のどうしようもなく好きだった曲達は大切で捨てきれないし、どうすればいいんだろうというところに、志村さんの急逝後(今となっては信じられないけど)全くその後の活動の見通しが立たなかったフジファブリックの総くんが、くるりのサポートに入るということで、半ば総くんのギター目当てでライブには通う、という感じでいました。
音博も武道館も、総くんがんばれモードで参加し、総くんのギターやっぱり好きだわという印象が強く、後は色んなもやもや感の残像しか記憶に残っていません…
だから、そんな武道館の直後に起きた311、そして引き起こされたあまりにも多くのことやその傷跡に翻弄されている中で、いつの間にかくるりが新メンバーを3人加えた、そのうち2人は京都出身者だというニュースを目にしたときの印象は、「ふーん」という冷ややかなものだったし、そして彼らが京都へ戻ったということを聞いて思ったのは「くるりは東京を捨てたんだ」「(東京や東日本にいる)私(たち)は捨てられたんだ」ということだった。
これは勿論私の屈折した思考が生み出した印象である。
今すぐにでも抜け出したいのに他に行く場所が無い自分
東京を見限り(安全な)西に即座に動いた彼らに対する嫉妬
ここではない場所にきちんと戻れるホームがあって、そしてそこへ戻っていく・行ける彼らが心底羨ましかった。
SNSを遡ったところ、2011年8月5日に新体制で行われたくるりのライブに参加したときの様子が以下のように書かれていた。
・今回のライヴは、これまでの自身のくるりとの繋がりを振り返りながら聴いた。それは自分の問題だけではなく、やはりくるりも、これからのくるり像を見せようとしていたように思う。
・活動拠点を京都に移し、上京してから12、3年住んだ東京から京都に戻り京都市民になるというのはあまりに大きなことである。新メンバーのうち二人は京都&舞鶴の人で、そこからもやはり並々ならない意志を感じる。
・今のくるりや岸田氏には311が大きく関わってるんだなとひしひし感じた。ある意味「東京」を捨てたんだと思った。住むところ、いるところという物理的問題のみに留まらず、東京中心の日本の経済社会システムやその中で成り立つ音楽シーンの在り方などを含んだ広い意味で。
・アンコール最後の東京は、さよなら東京、という別れの歌にも聞こえ、東京者としては少し寂しい感じがした。でも、今、京都に戻るというのは、岸田氏らしいしくるりらしいやり方だと思った。
・何となく自分も気持ちの整理がついた気がした。寂しいけどちょっとすっきり。
「さよなら」されて「さよなら」したという感じでしょうか?
そして私は、ちょうどやっと活動の情報が出てきたフジファブリックへと気持ちがシフトしていった(フジについてもこの後紆余曲折あるんだけれども)。
その後しばらく、くるりはほとんど聴いていなかった。
でも、やっぱりあれだけ大事だった存在から卒業してしまうというのは心残りだったのか、「坩堝の電圧」が出たときには(不本意ながら?)手にとってしまったし、何だかんだでインストアイベントにも行っているし、ライブがあれば参加したりしていた。
その頃はすっかり新体制で(ドラムはまたすぐに抜けてしまったけれど)、例の件はもはや無かった感じになっていたし、坩堝の中にはいくつか好きな曲もあったし、ライブも体制が馴染むにつれて良くなっていったので、ライブがあればかけつける元熱烈元卒業ファンみたいな感じでしばらく過ごした。
そして、NOW AND THEN企画を聞いた頃には熱烈時代の古傷(?)がうずうずし始め、そしてNOW AND THENを実際体験すると「やっぱりくるりは素晴らしい」モードが復活し、特にvol.3で完全ノックアウトをくらい、そのまま過度な思い入れと共に参加した音博の途中中止でまたもや雲行きが怪しくなるものの、NOW AND 弦で持ち直す…といった、非常に面倒な状態を経て「チミの名は。」を迎えたのである。
非常に興味深かった。
京都に拠点を移し、東京やそれを中心とする商業体制などからもより自由になってやりたいようにやっている(ように思える)くるりは、だからといって京都ばかりに閉じこもっているわけではない。
今まで通りに全国ツアーもするし、フェスにも出るし、曲だって、あの濃厚な京都の音楽シーンを反映させつつも、全国的な流通に乗りうるところをうまく突いている。
京都へ戻った後は引き払ってしまったのかと思っていたペンタトニックスタジオも健在であるらしいし、そこでの作業の話なども時折発信されている。
一方、ファンクラブの体制を変えたりするなど、新しい形を取り入れたりしている。
きっと新も旧も捨てず諦めず、うまく融合させながらやっていくんだ。京都に戻れて、きっとそういう意味でより自由になったんだ。
「NOW AND THEN」や「チミの名は。」を経て、色々なことを思い出したり考えたりして、今、何だかそんな風に思えた。
やっぱり「ホームがある」っていうのは強いな。
そういう意味では、岸田氏が最近「家族」の話をよくしているというのは当然のことなのかもしれない。ここのところLiverty〆が続いているというのも象徴的だ。
きっちり根っこをはって、誰かのために働いたりして、生きていく。
そういう形でこれから生まれていく新たな曲を私がどう受け止めるのかは正直わからないし、やや不安がある。
けれども、何だかんだで私は、くるりを見続け聴き続けていくんだろうな、という気がしている。
うまくまとまらないけど、そんなことを考えた。
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