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天を敬い人を愛す

宮様のように、
「何も主張することなく行動で示す」
生き方をしたいと思っておりました。

しかし、それは初めから特別だとされた者にしか許されない生き方であると知りました。
清冽な生き方をするためには、誰かがその道をつくり、維持しなければなりません。
もちろんその生き方も、様々な我慢を強いられることは重々わかっていますが、そもそも誰も見て(評価して)くれなければ、折れてしまいます。無関心と身の程という無言の圧力によって、壊されていくさまを見て来ました。
ほかならぬ私も、その中の1人でした。

年齢、もしくは立場が上となった者がそのようであれば、後に続くひとたちに自然とそれを強いることになります。
理不尽を当たり前のこととして、引き継がせてはならないと思います。

変えることは過去を否定することと同じといわれました。

私は完全にそうとは思えません。
なぜなら、時とともにひとは変わり、誰しもずっと同じ価値観では居られないからです。
過去打ってきた手がひとつひとつ効いていることを実感している今、尚更。

もちろん、私のやり方もいつかは時代遅れになるでしょう。でも、それでいい。


8年前、先生に送った手紙は、こんな日を夢見て書いたものでした。
「夢を見るひと、懸命に頑張ったひとがバカにされたり、悲しむことなく、多少でも入ってよかったと思える部活にしてほしい」

おかげで、うつくしく去れませんでしたが…

維持の面から考えても、常連校のように充実した体制は築けない。
ただ「文武両道」を以てすれば。
それは、埃を被っていましたが、諸先輩方が既に開いてくださっている道。

頭をつかえば、実力が上の者に対しても、戦略によって勝てる経験をしてほしい。
個々人の力では限界がありますが、集団で補い合えば、大きな力になる。
聞き慣れたことばの本当の意味は、他者と認め合うことによって、プライドをいい面で作用させることができるということです。

で。その先、まだ見たことのない世界を見てほしい。

今夫楊、
横樹之則生、倒樹之則生、折而樹之又生。

「戦国策」巻七・魏策(上)

たとえダメでも、やってみなければわからないでしょう?

怠惰と諦念は、青春の一番の敵。
自分の身の程は自分で決める。

「これでいい」ではなく、
「これがいい」にしませんか。