姫野 居夏

(´-`).。oO(心に"くろねこ"を飼っている私。

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最近の記事

大一大万大吉

"One for all, All for one." "Un pour tous, tous pour un." 好き嫌いのわかれることばですが、筋の通ったことば、と私は思います。 日本史上でも、ほぼ同じ意味のことばがあります。 我が友Yちゃんが好きだった武将。 「大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)」 戦国武将のひとり、石田三成の旗印です。 「一人が万人のため、万人が一人のために、そうすれば皆が幸せになる」 根底では相通ずるものがあります。 ひとを超え、時

    • 人を残すは一流

      かつて、先生はおっしゃいましたね。 「彼は向日葵、僕は月見草」 ↓(元となったことば) Iくんのお父様が向日葵に模されていましたか。 同じ方が残したことばです。 ↓(元となったことば) 大切なことは、手間をかけて教え育てることではないかと思っています。 継ぎ足をしないメン、肥えた今は苦戦していますが、武器になりました。 あのとき一番叱られた私は(時間はかかりましたが)それなりにやっています。 誰よりも叱られて、信念以外は、ほとんどのことを変えて来ました。 だから、最

      • 阿呆の「かち」

        適切な方法でじっくり手をかけたら、どんな素材でも、それなりのものに仕上がる。 私はかなりの阿呆であるから、時間とお金と根性をもって、それなりになった。 それがあり、限られた条件で、恵まれない環境で、地道な努力を怠らず、成し遂げたひとたちの凄さを常日頃から感じている。 もちろん、必要以上の圧力がかかったひとたちもね。 「簡素こそ至高」「直道こそ究極」「継続こそ奥義」 共存できるのに、お互いの我で潰し合う。 どちらも凄いでええやんか。 結局、阿呆のみがその価値を知る。 下が

        • 天を敬い人を愛す

          宮様のように、 「何も主張することなく行動で示す」 生き方をしたいと思っておりました。 しかし、それは初めから特別だとされた者にしか許されない生き方であると知りました。 清冽な生き方をするためには、誰かがその道をつくり、維持しなければなりません。 もちろんその生き方も、様々な我慢を強いられることは重々わかっていますが、そもそも誰も見て(評価して)くれなければ、折れてしまいます。無関心と身の程という無言の圧力によって、壊されていくさまを見て来ました。 ほかならぬ私も、その中の

        大一大万大吉

        マガジン

        • (´-`).。oO(いじめと不正行為。
          14本

        記事

          "宙船"

          「 おまえが消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな 」 初めて聴いたのは、小学5年生のとき。 マラソンの記憶とセットのこの唄。 歌詞に込められた意味は今、身に沁みてわかる。 私から去るのです、お間違いなく。

          没有黑夜,就没有黎明

          「今までの生徒は感謝してくれている。いまだに文句を言って来るのはお前ぐらいだ」 「いまだに…?」 「…」 「なるほど、前にもいらっしゃいましたか」 「…それはともかく」 「はい」 「どれだけ大騒ぎかわかってるのか」 「いや、わからないです」 「そうか」 「はい」 「いい加減先に進まないとな」 「はい」 「お前ひとりでも、ここは変わらないぞ」 「…そうかな?」 「酔ってるのか」 「いいえ、今日はグレープフルーツ(ジュース)しか飲んでいません」 「

          没有黑夜,就没有黎明

          出藍の誉れ

          「懸命に後進のために頑張っても、先生が踏み台にされるだけではないですか…?」 踏み台。それは恥ずべきことではない。 真っ当に努力した子たちだ。私が見ることのできなかった世界を味わってほしい。 認められることは、いつだって嬉しいことだ。 そのチャンスを掴むには、本人の努力以外に、周りの環境づくりが大事なんだ。 「剣道が楽しい」「仲間ができた」「この部活に入ってよかった」 言ってしまえば、それだけのため。 相手が根を上げるまで粘りまくって、土台を確立させるまで闘い抜いて、勝ち

          出藍の誉れ

          十年を連れて行こう

          以下、投稿のトップ写真です。 (※現在は一部非公開) ☆プロフィール(アイコン) →高遠城址公園の桜、描いて頂いた、姫野居夏(創作) ◉マガジン「(´-`).。oO(いじめと不正行為。」 →出身校のとある場所 ◉「初めまして。」 →描いて頂いた、セキセイインコの小夏 ◉「理不尽が生んだ軌跡」 →苺の万年筆とムーミンのブランケット ◉「胡桃のおかし」 →広島県福山市の海沿いの道走行中、助手席より ・「知らなくても、大丈夫。」 →長野県上水内郡飯綱町のコスモス畑 ・

          十年を連れて行こう

          話せばわかる

          (以下、敬称略) 犬養毅のことばとされる。 しかし、彼はその後、日本軍の若者に「問答無用」と撃ち殺されてしまう。 思い出すのは、勝麟太郎と坂本龍馬。 状況はほぼ同じであった。 しかし、坂本龍馬は帰った。殺さずに。 どちらにも、それなりの「正義」があったはずだった。 しかし、若者の名前は後史に残らず、坂本龍馬は残り続ける。 敵に対する「傾聴の姿勢」の有無。 たった一点が違いを生んだ、と思う。 それなりのひとでありたいなら。 相手の反応をおそれ、極端な行動に走る前に、直に

          話せばわかる

          「ありがとう」と「ごめんなさい」

          "今までは問題なかったのに"と男の子は言った。 女の子が泣いていた。 サボってばかりいる男の子の尻拭いを、リーダーの女の子がしていたのだが、、、 そこには「自分さえ我慢すれば」という、和を重んじた犠牲があった。 いつも我慢する人はおんなじで、その人がやることが当たり前になると、次第に感謝はなくなっていく。 それでは、ある日突然、崩壊する。 「好きでやってるんでしょ。嫌だったら頼まなかったのに/やらなくていいのに」 「今まで言わなかったじゃないか」 「知らなかった」「気づか

          「ありがとう」と「ごめんなさい」

          ちいさなうつわ

          浪人していた街の、横にある街。 書籍であふれる大好きな場所だった。 つらかったときを、古本がなぐさめてくれた。 ある日、頻繁に通っていた書店が改装するとのことで、大きな広告が出ていた。 それは思わずリツイートしてしまったほど、素敵なものだった。 いいなあ。絶対にまた行こう、と思った。 後日、本当にたまたま。知ってしまった。 今まで、どんな背景があっても、素晴らしいものは認められると思っていた。 それができない器の小さな人間に、なりたくない。ぼくの唯一の矜持だった。 ダ

          ちいさなうつわ

          忘れられぬひと

          能楽で一緒だった、年下の小さな女の子。 はにかんだ笑顔を覚えている。 卒業してから偶然すれ違ったとき、手を振ってくれた。 それが最後になってしまった。 彼女の乗っていた船が転覆して、亡くなったことを知った。 様々なことに心の底から憤りを覚え、投書した。 午前中に部活が終わり、塾で自習をしていた。 窓側の席の方から、「自転車が…」ということばと、啜り泣く女の子たちの声が聞こえた。 そのときは何があったのかわからなかったけれど、異様な雰囲気で、その女の子たちに尋ねることはで

          忘れられぬひと

          助けて!と言えないなら

          手を伸ばしているけれど、間に合わない。 どうにかして助けたいので、、、 「うきわネットワーク」で検索してください。 そして、生の声を送ってください。 努力のしんどさはともかく… 我慢と辛抱は、当たり前じゃないんです。 SOSを出すことを恥と思わないで。 本来、助けに行けない(なぜか行かない)「大人」たちの力不足で、それを恥じるべきなんです。 子どもを犠牲にしてまで、失いたくない役職/得たい評価があるなら、あなたを安全地帯へ移動させてから、教職なんて辞めてしまえ、と直に言っ

          助けて!と言えないなら

          「伝統」という鎖

          先輩から引き継がれた習慣を、「伝統」と呼んで、後輩に強制していませんか。 その言葉は案外重いものです。 何だこれ?というものがあったら、あらゆる手段で確認してみてください。 おそらく、どんなに続いていても、そのほとんどは教育基本法が施行された1947年以降に成立したものです。 校則や生徒会資料と照らし合わせ、教員等と相談し、全員にその是非を問い、本当に続けるべきか検討してください。 時代に即さないもの、過剰な不快感を与えるもの、差別のひどいものは、パワーハラスメントとなっ

          「伝統」という鎖

          凛と咲く花であれ

          この世の中、男性と女性のみにわけることはどうなのか…とは思うけれど、今回だけは便宜上、ご容赦ください。 今回は、同じ高校の後輩から相談されたことに答えます。 女の子は、容姿(若干、雰囲気)で差別を受けることが多いように感じます。 その中で、私は「可愛くない」に分類されがちな人生を送って来ました。 それでは、始めたいと思います。 最初の経験は、小学2年生。 幼馴染みと夏祭りに行って、クレープを買ったとき、お店のおじさんが幼馴染みに、 「可愛いからおまけ!」 って、イチゴをお

          凛と咲く花であれ

          ダブル・スタンダード

          私をいびっていたときみたいには、あの子たちに注意しないんですねえ。 いじめをしても、不正行為をしても、そのことが露見して叩かれ、弾かれ、逃げ惑い、病んでいても。 「もうやめた方がいいんじゃないか?」と、他人事を装って、被害者の私に圧を掛ける。 私のときには言わなかったその台詞。よくほざけるよな。一緒にいじめていたくせに。 ろくに言い分も聞かず、私1人を集団で暴行したあのときみたいに、一方的に「注意」できないのか?いじめと不正行為をした、加害者たちの心を折るまで、叩かないの

          ダブル・スタンダード