見出し画像

みんなが察してちゃんでうまく仕事が回るわけない。


教わる側は、教える側が教えやすいように質問の仕方を考えよう!
確認をお願いする側は、確認する側が確認しやすいようにどこを確認してほしいのか、わかりやすいようにお願いをしよう!

ということは散々言われているのに

教える方はわかりやすいように教えよう!
指示する側は指示された側に明確に指示が伝わるように、わかりやすく指示しよう!
新参者に現状を迅速に把握できる仕組みづくりをしよう!

という風潮がないのは何故なのだろう??

教わる側にばかり想像力や汲み取ることを求める。
教わる側の方が立場が低いのだから当然だ。ということなのか?
しかし、外部の人間同士でもなく、同じ職場で仕事を分担する同僚である以上、仕事を振り分ける段階で立場をわざわざ気にしていては、進むものも進まないのではないだろうか。

内容を把握していない、わからない人間に対しては明確にわかりやすく指示することで、最終的には教える側の人間のためにもなり、お互いに効率よく仕事をすることになるのではないだろうか。

何も把握していない段階から汲み取ることを求めすぎても何も生まれない。
人は与えられて与えることを覚えるものだと私は思う。
最初から与えられたことのない人間に、自ら与えることだけを意識したとしても、戸惑い、困憊するだけのように思う。
助けられる経験をすると、自分も同じように誰かを助ければ良いのだと。こんな風に力になれば良いのだなと。与えられる人間に気づきを与えることができるのではないだろうか。与えることは甘やかすことと必ずしもイコールにはならないと思う。与えられることでまた自分もこのように他者に与えれば良いのだと、良い循環が生まれるわけであり、逆に上の立場の人間が与えられることが当たり前のように動いていては、助け合いの精神が途切れて、教わる側が全てを汲んで当たり前、気がつくことができて当たり前、を下のものに求めることを後世に繰り返すことになるのではないだろうか。

効率よく仕事をする上では対等に与え、対応に汲み取り、対等に助け合う精神が重要なのではないだろうか。

よろしくおねがいします⁽⁽ ( ˊᵕˋ ) ⁾⁾