ハイエク『致命的な思いあがり』(1988年)

旧共産圏において読まれ、その解体に際して影響を与えたと言われるハイエクの、最晩年の著書を読んでいます。

Wikipedia “ハイエク”の頁にはこうある。

ハイエクの著書は旧共産圏においてこそ熱心に読まれ、その改革の指導者達に大きな影響を与えた。「鉄のカーテンの向こうの共産圏でもっとも影響を与えたのは間違いなくハイエクであった。そこでハイエクの著書は翻訳されアンダーグラウンドにブラックマーケットで行き渡り広く読まれた。ハイエクの思想がソビエト連邦の内部の世論を変え、それを崩壊に導いたのだ。」(ミルトン・フリードマン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/フリードリヒ・ハイエク

重要と思える箇所からの抜粋。考えの根本が見て取れる。

フリードリヒ・ハイエク『致命的な思いあがり』(1988年)

第二章 自由、所有、そして正義の起源

 何人も、個別的所有を非難しながら文明の尊重者を語る自由はない。その二つの歴史を切りはなすことはできない。   ヘンリー・サムナー・メイン

1 自由と拡張した秩序

人間を野蛮から引きあげたのが、知性や計算する理性であるよりもむしろ道徳や伝統であるとしたならば、現代文明の特徴的な基礎は、古代、地中海沿岸地域で築かれた。そこでは、長距離にわたる交易の可能性によって、個人がその個人的知識を自由にもちいるのを許されていたコミュ二ティは、ローカルな共通知識や支配者の知識が万人の活動を決定していたコミュ二ティに優位する地位に就いた。われわれの知るかぎり、地中海地域は承認された私的領域を自由にする個人の権利を認めた最初のところであり、かくして個人は、異なるコミュ二ティ間の商業的関係からなる緊密なネットワークを発展させることができた。その種のネットワークは、ローカルな首長の見解や願望とは独立に機能した。というのも当時、船を駆る交易人たちの動きを中央で指令することはとうてい不可能だったからである。高く尊敬される権威(かれは市場秩序を贔屓しているのではない)の説明をいれるとすれば、「ギリシャ・ローマ世界は、数エーカーであれ、ローマ元老院と皇帝の莫大な領土であれ、本質的かつ正確に私的所有の世界、すなわち私的交易と製造の世界だった」(Finley, 1973: 29) のである。

日本の現代アートは、これに逆行してローカル(=中央指令的)ではないでしょうか? どう見ても明らかに。

他ジャンルも、おそらく。

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