電気なしの小屋暮らし②

長いんだけれども、わたしがなぜ小屋を建てて
電気のない暮らしをしているのかの話。

つい先日、オイルランタンが手に入ったので、明かりとして使用してた充電式のキャンピングライトも手放せそうです。

私の生まれ育った家では、自然農や自給自足の生活を学びたいという研修生を受け入れていた。
何人かの研修生は4畳くらいの小屋をやまなみ農場の敷地内に建てて住んでいたのを見ていた。電気はコードリールを使って引いていたけど、水はタンクに汲んで来てたと思うなぁ。

わたしは誰の目にもつかないところでそれをやってみたいと思っていたし、できる自信もあった。

ここの地域に移住して来たばっかりのとき、周辺で畑付きの古民家でも借りようと考えてた。

父にこんな空き家があるよと数箇所案内してもらったが、結局借りるまで至る物件はなかった。
いや待てよ、借りなくてもいいじゃないか。
小屋造りを教えてもらうの、タイミングは父が近くにいる今しかないって気づいて決心した。

父が借りていた畑が奥まっていて街灯も車の気配もないところだったから、すごく良いと思って持ち主の人に交渉したら、好きに使ってくれと。

小屋を建てたはいいけどじゃあなんで、電気や水道ガスを使わない暮らしなのか。

8年前原発事故で避難を経験して、わたしがこれからすることを考えてた。
いや、もう分かっていた。
わたしは原発になんか頼らず、
なるだけ自然のまま暮らしたい。
わたしが喜び生きるには、自然を犠牲にする人間社会にいてはいけない。

近くの古民家で暮らしてる家庭では1000円もしない電気代らしいから、電気レスの暮らしにこだわる意味があるのかは知らない。
最初はソーラーパネルをつけることも考えてたんですよ。
でも自然のゴミになるものだから。
わたしがここを去って小屋を壊すという時、
どれだけのゴミが残るのだろうか。人間以外の生き物は自然に還らないモノを生み出しはしないのに。そんなことを考える。

自分で家を建てた人で「数年電気のない暮らしだった」って話は聞くんだけど、今現在まで続けてる人ってどれだけいるんだろうって思う。
まだ1組しか出会ってない。
でもわたしはその人とも違う生き方。

高校で毎年一回全校生が8組くらいに分かれて登山、キャンプをする行事があった。わたしは三回とも道無き道を行くキャンプを選んだ。
わたしがやりたい事は頂上からの景色を目指して先人が作った道を行くことじゃなくて、道無き道を掻き分けて、森を感じるだけ。
それは今も同じなんだなぁって思います。

わたしはタンクに水を汲んで来てるけど、一応掃除すれば使えそうな井戸がある。
使えるようにするかなぁ…。なかなか困らないから事が進まないです。

トイレ問題、避けては通れない生理的現象。

それはまぁ誰も来ないとこなんで、その辺で開放的に楽しんでます。つまりはトイレはありません。

実は車で五分のところに父の家があるから、水を汲んだりお風呂に入りに行ったりしてます。
父の家あってのわたしの今の生活です。

わたしはまだまだ手放していくものがたくさんある。
けど、何より自分がワクワクすることしかしてないんだから、楽しいに決まってる。

そんな感じです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?