保育士さんたちへ愛を込めて

 娘がお世話になるようになってから、いつもいつも保育士さんたちの仕事ぶりに感動している。私は自分が働く人なので、「娘の保育士さん」というよりは、「保育士という仕事をする人たち」として彼ら彼女らを見てしまうのだけれど。

 私の娘は体が不自由なので、私の育休中には療育園に通ったし、娘のリハビリ入院の際にも、保育の時間があった。療育園やリハビリ入院は親も同伴しなければならないので、私は保育士さん達の仕事を間近で見るという、今思えば育休中で、しかも障害児の親でなければできない、貴重な体験をすることができた。

 保育士さんたちはどうしてあんなに、いつも優しいんだろう。どんな子ども達も、笑顔で迎えてくれる。保育士さんだって人間なのに、いつも安定した笑顔で、子どもが泣いていても、床に寝そべって怒っていても、大きな心で寄り添ってくれる。なんならアップダウンの激しい障害児のママやパパたちの心にも寄り添ってくれて、実にありがたかった。私の泣き言まで、広い心で受け止めてくださり、その節は本当にお世話になりました。

 保育士さんは歌う。朝も帰りも、遊びの中でも、だれかのお誕生日にも。保育士さんたちは、その季節にふさわしいたくさんの歌を優しく歌いながら、子ども達に笑いかける。子どもと一緒に歌を聞きながら、時には一緒に口ずさみながら、私は自分のではないもう1人の子ども時代を、傍で追体験する。

 保育士さんは踊る。可愛い歌のCDに合わせて、ジャージ姿で控えめに踊るその愛らしい姿に、私はいつもきゅんとしてしまう。こうやって子ども達に披露する前に、いったいどれくらい練習するんだろう。振り付けを全部覚えるのには、どれくらい時間がかかるんだろう。子ども達が帰った後の保育室で、みんなで曲に合わせて練習している姿を妄想しては、ありがたいなあ、素敵だなあ、と思う。

 保育士さんは作る。子ども達がこれから作る工作のお手本や、園内を彩る季節の飾り、行事で使う大きな大きな仕掛け、ペープサートの可愛いお人形。お誕生日の子のための、綺麗な文字が並んだメッセージカードと、ピカピカ輝く王冠を。大人が本気で作った工作の、美しく、温もりのあること。子ども達を優しく守るその手で、丁寧にきれいな色の紙を折ったり切ったり貼ったりする姿を想像する。

 保育士さんたちが準備、片付けをしてくださる、家ではできない遊びの数々。例えば大量の豆!大量の小さなボール!大量の片栗粉と水!大量の美しいお花紙を心ゆくまでちぎった破片!これらの中で子ども達は、恐る恐る触ったり、寝転んだり、浴びたり、うちわで舞い上げたりしながら、色んな気持ちに胸を膨らませる。親たちは、自分たちもそれらに触れて、その意外な感触を楽しみながら、子どもたちの驚く顔、不思議そうな顔、楽しい笑顔を見て心が踊る。どの子のどの顔も、とてもとても可愛い。娘はなかなか泣く以外の表情の出ない子どもだったが、保育によってたくさんの人と触れ合い、色々な体験をするうちに、笑ったり、びっくりしたり、困ったり、豊かな表情が出るようになった。

 私の母に保育で感動した話をすると、「豆と片栗粉、買ってあげようか?」と言う。ありがとう。でも、そういうことではないのよ、母さん。だって考えてもみてほしい。大量のこれらの物たちを、買って、遊ぶところまではできたとしても、片付けて、収納したり捨てたりする訳でしょう?どこで遊んでどこへ片付ける?どうやって捨てるの?片付けが苦手な私には、その後のカオスが容易に想像できる。下手したら、一生豆の撒かれたままの床を、上手に歩くスキルを先に身につけてしまうかもしれないほどだわ。危険すぎる。

 そして、保育士さん達の体力。私の子どもは肢体不自由なので、誰かに運んでもらわなければ移動ができないのだけれど。保育士さん達は、年齢の割にすごく小さいとはいえ、体重が生まれたての赤ちゃんの3倍近くはある娘をひょいと抱えて、ブランコに乗り、滑り台を滑り、トランポリンで跳ね、なんとプールにまで入れてくださった。床から立ち上がるだけで腰を押さえて「いでででで」と声が出ている私とは違い、保育士さん達は俊敏に、軽快に、色んな配慮が必要な子ども達を抱き上げて、全力でたくさんの経験をさせてくださる。

 娘がこうやって遊ぶ姿を見て、私はいつもちょっと泣きそうになってしまう。生まれてすぐに、1週間生きられるかどうかわからないと言われたあの赤ちゃんが、なんと生き延びてこんなことやあんなことを体験している。これって大冒険じゃない?すごいことなんじゃない?すごく楽しいんじゃない?高齢出産の母は、涙腺が緩い。でも、私が泣くのは年齢のせいばかりじゃないと思う。

 「家庭保育」という言葉もあるようだけれど、家庭で普通のお母さんが家事をこなしながら、自分の子どもを「保育」することができるとは、私は全然思わない。保育士さんが仕事として行う保育は、プロの技であり、育児とは違う。良し悪しの話ではなく。仮に、保育園に子どもを預けることに罪悪感を抱く人がいるとしたら、それは全く必要のない思いだと大きな声で伝えたい。保育士さん達の仕事はすごい。そんな保育を受けられる子ども達は、家で過ごすのとはまた違う、色々な体験をたくさんさせてもらって、ぐんぐん逞しく成長する。

 いつか療育園の園長先生とお話しした際、「娘といつかコミュニケーションが取れるようになりたいのですが、何か教えたり、使えるものはあるでしょうか。」と聞いたことがある。例えば絵カードや、視線入力のPCソフトなどの、何か手っ取り早くて今どきの、私にもできることはないかと思って。その時の園長先生の答えに、私はハッとした。「何よりも、とにかく保育なんですよ。」急いで何かを身につけようとするよりも、毎日の声かけや、歌や遊びや感触や、全てのあらゆる経験が子どもたちの感覚を耕し、世界を広げ、人と関わるための心を開く。

 保育士さん達の待遇が良くないのだと、色々なところで耳にするようになって久しい。2022年に保育士さんの給与が見直され、9,000円アップしたそうだが、桁がひとつ足りないと、私は思う。子ども達は宝。子ども達は未来。どうかこの子達に関わる大切な保育士さんたちに、健康で楽しく、長く仕事に励んでもらえるように、その環境が良いものであってほしい。障害をもつ娘の母として、仕事をもつひとりの人間として、私は保育士さん達からたくさんのことを学ばせていただき、彼ら彼女らを心から、心からリスペクトしている。いつも本当にありがとうございます。愛を込めて、ビッグなエアーハグを送ります。

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