nanohana

障害のある娘がいました。今はお空に転居。彼女を通して見えたことを中心に、ちまちま書いて…

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障害のある娘がいました。今はお空に転居。彼女を通して見えたことを中心に、ちまちま書いています。無断転載、引用はご遠慮くださいね。私なりに一生懸命書いている、大切な記事たちです。

最近の記事

ハワイにはパワーがある

 唐突だが、ハワイ旅行に行ってきた。新婚旅行ではない。(私の新婚旅行は地獄谷だった。今思えばあれが地獄の始まり、という伏線だったのか?それは置いておくとして。)  ハワイ旅行は私の両親の希望だった。どうしても私と弟を連れて、4人で行きたいという。私も弟も良い年だし、私は今ひとりだから良いとして、弟は結婚して子どももいるから、彼だけ抜けがけできるのか、と心配もしたが、できた。良かった。  旅行代金は両親が出してくれるという。今は円が安いので、海外旅行はとても高価だ。けれど「

    • 不妊治療について思うこと

       私は不妊治療で、身体の不自由な娘を授かった。最先端の治療だからといって、必ずしも健常な子どもを授かれる訳ではないのだと、経験した今はわかる。ネットの記事によれば、自然妊娠と不妊治療による妊娠で、障害児を授かる確率は同等。不妊治療での妊娠の方が危険という訳ではなさそうだが、発達障害など、すぐには見えにくい障害の発生率については、まだ研究段階とのこと。きっと読む記事によって結果が違っていたりもするのかな。  不妊治療を受ける前に通っていた自然派のクリニックでは、先生から「不妊

      • 私ひとりが背負っているもの(おばちゃんだってたまにはボヤきます)

         この記事は、まだ娘が存命中に書いていたもの。溺れそうになりながら、毎日必死で生きていたあの頃のこと、昨日のことのようにまだ新鮮に覚えている。このすぐあとに娘を失うなんて、思いもよらなくて、夢の中にいるみたい。呆然としてしまう。ただ愚痴を並べただけの文章ですが、勢いがあるので、その時の私を成仏させるために、公開しようと思います。 ↓ここから記事本文  毎日生きるのに必死で、深く考え込んだりはしないけど、ふと、私ひとりで背負っているものは、結構たくさんあるなあ、と思う。

        • アルビジアさんの指輪を買った話

           アルビジアさんというのは、正式にはAlbiziaさんという、天然石を使った宝飾品を作るブランドの名前だ。私がアルビジアさんを知ったのはSNSで、「すっごく大きくてきれいで強そうな、石のアクセサリーを作るブランドがあるんだなあ!」という印象。その大きさはといえば、ゴージャスセレブである某夫人とか、某姉妹とかが着けているのに負けないくらいの、指から大きな石がはみ出る、インパクトのあるデザインで、しかもひとつひとつが個性的で2つとして同じものがない。「ダブレットストーン」という、

        ハワイにはパワーがある

          棺はきっと天国への船

           これまで葬儀といえば、自分の祖父母と、職場関係の人ぐらいのものしか立ち会ったことがなかった。棺には花とお守りにするための硬貨を少し入れる以外に、ものを入れるという発想もなかった。けれどどうだろう。娘が棺に入った時、あれもこれも目いっぱい、入るだけの小さなお土産で、娘の周りを埋め尽くしている自分に気がついた。  本当ならあの小さな棺に、私も一緒に入って焼いて欲しいと思ったぐらいだ。もちろんそんなことは不可能で、火葬場で必要以上のドラマを、繰り広げたりはしなかったけれど。

          棺はきっと天国への船

          障害児の着るもの無い問題

           (この記事は娘が亡くなる前に下書きしていたものに加筆しています。)  諸事情により娘は病院に入っていたため、数ヶ月の間、大好きな西松屋に行けていなかった。毎日のように、通り道にいるマスコットキャラクター「ミミちゃん」の笑顔を横目に見ながら、私は西松屋に通った日々のことを切なく思い出したりしていたわけだが、この度娘が私服の必要なところに移動した。娘は新たに気管切開と胃ろうを装備したため、「前開き」という指定。これまで買い揃えた沢山の服は、ほとんど着られなくなってしまった。「

          障害児の着るもの無い問題

          統合失調症はどうやら生きるのが大変そうだ

           どうして唐突に統合失調症のことを書こうとしているかというと、私のnoteを読んで毎回感想をくれる高校時代からの親友Cちゃんがある日、「nanohanaちゃん、今度私の病気のことも書いてよ」と言ってくれたからだ。彼女は二十歳になる少し前から統合失調症を患っていて、患者歴はかれこれ20年以上となる。  Cちゃんは文学部卒で詩集を自費出版したりしている才女だし、何より当事者なので、私が書くより自分で書いた方が良いのでは、と思ったりもしたが、何度か「書いて」と言われているうちに、

          統合失調症はどうやら生きるのが大変そうだ

          障害児の親は本当に「強くて明るい」のか

           (この記事は娘が亡くなる前に下書きしていたものに加筆しています。)  娘が重度の障害児であることを知っている人たちから、「nanohanaさんは強いね」と何度か言われたことがある。私は娘の母であり、フルタイムワーカーであり、夫が出て行ったので、まだ婚姻中だが事実上はシングルである。強いね、と言われて私は別に悪い気はしない。そして私が見てきた障害児の親たちもまた、それなりに強く明るく見えていたと思う。でも本当にそうだろうか、と考える。そんなわけはない。  私が小学5年生の

          障害児の親は本当に「強くて明るい」のか

          「障害児」という言葉

          「障害児」、「障害者」という言葉は、インパクトのある言葉だ。「害」という字が入っているし。でも私はいつも便宜上この言葉を使う。手っ取り早く伝えるために。私が伝える主な媒体がTwitterで、文字制限があるのと、皆何を指す言葉なのかを明確に知っているから。一人一人が抱くイメージは、異なっているかも知れないけれど。  最近は、「障がい」とか「障碍」とか、違う文字を当てたりもするらしい。それで自分の気持ちが前向きになる人は、そうするのがいいと思う。私にはあんまり違いがわからない。

          「障害児」という言葉

          「なんにもできない」娘が、私に教えてくれたこと

           こんなことが私の身に起こる日が来るなんて、考えたこともなかった。人生には本当に、色々なことが起こる。身体の不自由な娘が、突然天国へ帰ってしまった。  前日の面会では、娘はニコニコとご機嫌で、久しぶりに抱っこして、新しい絵本を読んで笑って、楽しく一緒に過ごしたばかりだった。あまりのことにまだ気持ちがふわふわしている。悲しみを感じ続けることを無意識がブロックしているみたいに、変に高揚したり、感情が無になったりする。あとからガクンと、来るのだろうか。  娘は身体がとても不自由

          「なんにもできない」娘が、私に教えてくれたこと

          あきらめること、手放すこと

           知らず知らずのうちに、きっと人生ってこういうものだろうと勝手に予想して、私もそんな風に年を重ねるのだと期待していたことは、ちっとも当たらなかった。結婚も、出産も、子育ても、人生は全然、思い通りにならない。きっとみんなそうなのかもしれないね。思い通りにならないことが、人生なのかもしれない。わかっているつもりでいたけれど。それにしても。  娘が不自由な身体を持って生まれたことで、私が漠然と思い描いていた、子どもや子育てに対する願いは、ことごとく手放さなければならなかった。「一

          あきらめること、手放すこと

          別れはたくさんのありがとうだった

           娘はまだ小さくて、しばらく入院で自宅に帰って来られない日が続いたので、葬儀場へは行かず、自宅でお別れをすることにした。ずっと家から離れて心細い思いをしていたのに、さらに知らない葬儀会場へ連れて行くというのは、いたたまれないと思ったから。  自分が誰かの葬儀を挙げる日が来るなんて、この歳まで一度も考えたことがなかった。けれどそういう機会は、本当に突然訪れる。私は戸惑いながら、ネットで検索して見つけた地元の葬儀会社に電話してみた。電話に出たのはそこの社長さんだったらしく、素朴

          別れはたくさんのありがとうだった

          神様、そういうことやないんや

           私は、娘が生きる人生がどんなに大変な道のりでも、きっとギネスに載るくらい長生きして、娘を無事に見送ってから自分もいく、と思っていたんや。  娘の人生がこんなに短くて良いとは言ってないんや。  どうして伝わらんの?  確かに障害児の育児は大変だったよ。これから娘が大きくなったら、きっと介護感が一層強まって、移動も何もかもが、もっと重労働になるだろうと少し恐れてもいたよ。でも今、やっと新しい生活が落ち着きはじめていて、これから少しずつ色んなことに慣れて、新たに加わった気管

          神様、そういうことやないんや

          ここで今一度西松屋への愛を語ろう

           先日、「西松屋で伸びる生地の前開きの服を作ってほしい」、とツイートしたら、思いの外色んなご意見をいただきすぎて、びっくらこいてお腹を壊したりしたわけだが(もう治りました)、私は西松屋にイチャモンをつけているのではない。むしろ、この上ない西松屋ラバーとしてこの数年を過ごしてきた者として、ここで私の西松屋愛をおさらいしておきたいと思う。  私は西松屋が好きだ。本当に好きだ。数ある子ども用品店の中でも群を抜いて好きだ。これは愛。紛れもない真実の愛だ。どうしてそんなに西松屋が好き

          ここで今一度西松屋への愛を語ろう

          保育士さんたちへ愛を込めて

           娘がお世話になるようになってから、いつもいつも保育士さんたちの仕事ぶりに感動している。私は自分が働く人なので、「娘の保育士さん」というよりは、「保育士という仕事をする人たち」として彼ら彼女らを見てしまうのだけれど。  私の娘は体が不自由なので、私の育休中には療育園に通ったし、娘のリハビリ入院の際にも、保育の時間があった。療育園やリハビリ入院は親も同伴しなければならないので、私は保育士さん達の仕事を間近で見るという、今思えば育休中で、しかも障害児の親でなければできない、貴重

          保育士さんたちへ愛を込めて

          入院付き添い親の人権を考える

           娘には嚥下障害があり、飲み込みが著しく下手だ。全身の障害により筋力がとても弱く、嚥下に必要な筋肉もまた、同じようにとても弱いらしい。こんなにたくさん不自由があるのだから、少しくらいオマケしてくれたら良いのにと思うけれど、神様の仕事にはぬかりがない。  嚥下がうまくできないというのは実に不便で、口からものが食べられないのはもちろんのことだが、唾液の処理がうまくできず、娘は常に大量のよだれを垂らしている。風邪を引くと自力で痰が出せず、むせこんで気管に入ったりして、肺炎になりや

          入院付き添い親の人権を考える