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わたしが避けているもの

どうも!なばすです!

犬に噛まれたことがあるわけでも、犬が嫌いなわけでもないのですが、なんとなく、道で散歩中の犬とすれ違うときには少し距離をおいてしまいます。。

なので、わたしが避けているものは「犬」です。

というお話ではありません。

はじめての自己紹介

Colorbathに入社してまだ日が浅いのですが、すでに何度か外部の方にはじめましての自己紹介をする機会がありました。

「初対面の人と会うときに、まず大事なのは自己紹介だからね。」
「逆に言うと、自分のことを話すタイミングなんて自己紹介のときくらいしかないから。」

そんなアドバイスをもらって臨んだ最初の自己紹介。

もらったフィードバックは...

「ちょっと物足りないかな。」

でした。

自分の中でも薄々感じてはいたのですが、「自己紹介大事だよ!」といわれて臨んだのに、納得のいく自己紹介ができなかったのは不甲斐なかったです。

自分は名前が珍しいこともあり、自己紹介をするとだいたい名字の話が膨らむのですが、そこではなく、もっと、一人の自分という人間について、相手に伝わったほうがいいよね、というのが物足りなさです。

自己紹介で出身大学を言わないのはなぜ?

もうひとつ、フィードバックとしてもらったのが、

「なばすは自己紹介のときに、あまり大学名を言わないよね。」
「特に意識してないなら別にいいのだけど、なにか意図があったりするの?」

というもの。

今日の本題はこっちです。

正直、これをnoteに書くのは結構勇気がいるというか、ちょっとしんどさもあるのですが、、
もしかしたら誰かのなにかの役に立つかも、という思いで書きたいと思います。

そこまで強く意識していたわけではないのですが、自己紹介のときには聞かれたとき以外はなるべく大学名を言わないようにしていました。

なぜそうしていたのかな、と自分でも改めて振り返ってみると、大学名を出したことで、「すごいね」的なことを言われるのが面倒だ、という思いが根底にあったことに気づきました。

たぶん、これまでに大学名を出して「すごいね」を言われたことが何度かあったのも、少なからず影響していると思うのですが、

これって裏を返すと、自分の出身大学を「すごい」と思っているということになるんですよね。

ほんと、自分で書いてて気持ちわるっ、と思うのですが、そこは「うっわ、うんこやな。」の精神でがんばります。
(「うっわ、うんこやな。」精神については、前の記事に書いてます。)

実際、今住んでいる関西の人にとって、東北大なんてそんなに馴染みがないし、言ったところで「そうなんですね。」で終わる話です。

それに、仮に大学名を知っていて優秀な大学だと思っていたとしても、その人が大学名で人を判断するかどうかは全然別の話であって。

これは、自分が勝手に「どうせ、経歴で判断される」という歪んだフィルター越しに相手を見ていた、とも言いかえられると気づいたのです。

どうせ経歴で判断するんでしょ?

自分はこのフィルターで、人とのコミュニケーションに一段回ハードルを設けていたのだなと、気づきました。

大反省会です。

自分フィルターを外す

今回、自己紹介での出身大学の話を例に上げましたが、似たようなケースは結構いろいろなところであるな、と気づきました。

自分が、相手に指摘をする際に、よく譲歩の言葉を使ったり、「かも」みたいに曖昧な表現を使ったりするのも、

「どうせストレートな言葉では相手は受け取ってくれまい」

というフィルターを掛けているから。

ストレート過ぎると強くなってしまうので、時と場合によって使い分けたり、バランスを取ったりするのは大事ですが、自分が信頼している人、逆に自分を信頼してくれている人は、意外とストレートに言ってもしっかり受け止めてくれるのかな、というのを最近実感し始めています。

本当に人に恵まれていて感謝です。

たぶん、気づいてないところにいっぱい「自分フィルター」があって、というか、基本的にすべて「自分フィルター」を通して物事を判断していて。

それは悪いことではないし、「自分フィルター」がその人の個性もつくりだしていると思います。

でも、常に「自分フィルター」が掛かっているという認識をしておくことはきっと大切で、ときに、それを外しにてみるという試みも必要なのかなとも、同時に感じています。

自分は何を避けてその言動をしているのか。

ちょっと痛みも伴いますが、元気なときには目を向けてみるといいのかもしれません。


つづく。

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