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トランスジェンダー女性に対する職場の女性トイレの使用制限

最三小判令和5.7.11裁判所Web


1.事案と裁判の顛末

 経済産業省に勤務する国家公務員であるXは、生物学的な性別は男性であるが、幼少の頃からこれに強い違和感を抱いており、平成11年頃には性同一性障害である旨の医師の診断を受け、同20年頃から女性として私生活を送るようになった。また、Xは、平成22年3月頃までには、血液中における男性ホルモンの量が同年代の男性の基準値の下限を大きく下回っており、性衝動に基づく性暴力の可能性が低いと判断される旨の医師の診断を受けていた。なお、Xは、健康上の理由から性別適合手術を受けていない。
 Xは、平成21年7月、上司に対し、自らの性同一性障害について伝え、同年10月、経済産業省の担当職員に対し、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等についての要望を伝えた。これらを受け、平成22年7月14日、経済産業省において、Xの了承を得て、Xが執務する部署の職員に対し、Xの性同一性障害について説明する会が開催され、担当職員は、Xが本件執務階の女性トイレを使用することについては、数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えた。そこで、経済産業省において、Xに対し、その執務階と上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める旨の処遇(以下「本件処遇」という。)を実施することとした。
 そのため、Xは、平成25年12月27日付けで、国家公務員法86条の規定により、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置の要求をしたところ、人事院は、同27年5月29日付けで、いずれの要求も認められない旨の判定(以下、「本件判定」という。)をした。
 Xは、本件判定の取消しを求める(第1事件)とともに、経済産業省における本件処遇または同省職員によるXへの「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」等の発言が国家賠償法1条1項に規定する違法なものであるとして損害の賠償を求め(第2事件)、国Yを相手に本件訴えを提起した。
 第一審(東京地判令和1.12.12労働判例1223号52頁)は、第1事件については取消しを認め、第2事件は損害賠償請求の一部を認めたので、XY双方が控訴した。控訴審(東京高判令和3.5.27労働判例1254号5頁)では、第2事件にいての第一審判断はそのまま維持されたが、第1事件については、経済産業省において、本件処遇を実施し、維持していたことは、Xを含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を果たすための対応であったというべきであるから、本件判定は、裁量権の範囲を逸脱しまたはこれを濫用したものとはいえず、違法であるということはできないとし、本件判定の取消請求を棄却した。
 そこで、XはYに対して、トイレの使用に係る本件判定の取消しを求め、上告受理の申立てをし、これを受理した上告審では、次の理由により本件判定の取消しを認めた。

2.判決理由

 Xは、性同一性障害である旨の医師の診断を受けているところ、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けているということができる。
 一方、Xは、健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与や≪略≫を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に、Xが本件説明会の後、女性の服装等で勤務し、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また、本件説明会においては、Xが本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、Xによる本件庁舎内の女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するか否かについての調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。
 以上によれば、遅くとも本件判定時においては、Xが本件庁舎内の女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、Xに対し、本件処遇による上記のような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、Xの不利益を不当に軽視するものであって、関係者の公平並びにXを含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。

3.本判決のチェックポイント

(1) 本判決の論理と補足意見

 本判決は、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用したり、執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないことなどを、Xが日常的に受けている不利益とし、このような不利益をXに甘受させるだけの具体的な事情が見当たらないことを実質的な理由とするものである。これは、抽象レベルでのXの法的利益を問題にすることなく、あくまでも本件事案に則して、具体的事実を比較衡量するもので、大きく注目されてわりには、判例としての先例的価値はそれほどでもないように思われる。
 ただし、第三小法廷を構成する5人の裁判官全員が補足意見を付しており、法的価値判断も含めて論じている点は注目されるところである。
 これらを読むと、共通して「個人が自認する性別に基づき社会生活を送る利益」が強調されており、この価値観を尊重する一方で、これによって、シスジェンダーの女性職員が抱くかもしれない違和感・羞恥心等について、どう配慮していくかというバランスが問題にされている。
 例えば、学者出身の宇賀判事は、前者について、「性別適合手術は、身体への侵襲が避けられず、生命及び健康への危険を伴うものであり、経済的負担も大きく、また、体質等により受けることができない者もいるので、これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべきといえる」としたうえで、後者について、以下のように述べる。

 「Xが戸籍上は男性であることを認識している同僚の女性職員がXと同じ女性トイレを使用することに対して抱く可能性があり得る違和感・羞恥心等は、トランスジェンダーに対する理解が必ずしも十分でないことによるところが少なくないと思われるので、研修により、相当程度払拭できると考えられる。Xからカミングアウトがあり、・・・女性トイレの使用を認める要望があった以上、本件説明会の後、当面の措置としてXの女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかったとしても、経済産業省は、早期に研修を実施し、トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ、かかる制限を見直すことも可能であったと思われるにもかかわらず、かかる取組をしないまま、Xに性別適合手術を受けるよう督促することを反復するのみで、約5年が経過している。この点については、多様性を尊重する共生社会の実現に向けて職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえないように思われる。」

宇賀判事の補足意見抜粋

(2) 本件事案の憲法上の問題

 自認する性別と異なる社会生活を強制させることについては、憲法13条に基づく「自己のアイデンティティの尊重に関する権利」の問題として論じられており、ここでは、自らの性自認にしたがった取扱いを受ける権利は、憲法13条で保障されるという学説がある(曽我部眞裕・法学教室485号80頁参照)。自己決定権に類似するものとして位置づけられよう。
 関係する判例としては、性同一性障害特例法による性別変更の要件の合憲性を巡る問題に関していくつか公表されており、結論として合憲とする立場がとられている。最近の事件に、性別変更について「現に未成年の子がいないこと」を求める同法3条1項3号の規定は憲法13条等に違反するものではないとするものがある(最三小決令和3.11.30裁判所Web、宇賀判事の反対意見が付されている)。
 「個人が自認する性別に基づき社会生活を送る利益」についても、これが権利として認められてはじめて当事者の生きづらさの解消につながることが期待されるが、現状では心もとない限りである。議論の進化に期待したい。

(3) 企業法務の観点から考えられる当面の課題

 本判決が、自認する性別と異なる男性用のトイレの使用を余儀なくされていることを、Xが日常的に受けている不利益とし、このような不利益をXに甘受させるだけの具体的な事情が見当たらないことをもって、職場管理者の対応を違法としたことは重要な意味を持つものと思われる。
 すなわち、トランスジェンダー女性Xの「個人が自認する性別に基づき社会生活を送る利益」が尊重されるべきものであることを前提に、その保護によりシスジェンダー女性に生じる弊害(違和感・羞恥心等)を具体的に評価し、その解消を図っていくことになるのではなかろうか。
 そうすると、本件事案に関する限りでは、Xの「個人が自認する性別に基づき社会生活を送る利益」が、Yにおいて十分に尊重されるべきものとして認識されていなかったことに、大きな問題があったように思われる。