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当たり前の交換でみえたもの

先日、我が家で「喫茶ワタナベ」と題して、
お客様を数人お招きして畑で取れた野菜を使ってタコスパーティーを開催しました。

現在通っている、世界文庫アカデミーの古賀さんに
なんかいつもzoom授業の背景(我が家の様子)が素敵だから、イベントやってみたら?というのがきっかけで、クラスメイトを数人招いてのイベントでした。

我が家は築80年ほどで、水回りや電気など自分達で出来ない工事以外は夫と少しずつ手を加えながら改修した家に住んでいます。

ものを選ぶときも、お金がなくて好きなものが買えない時が長くあったので、買う時はなぜだかいつもこだわってしまう。夫には少し面倒くさがられるほど…笑

そんな事はわたしにとっては当たり前のことだったので意識をした事がなかったのですが、今回のイベントでみんなを招き、感想や反応に耳を傾けると、どうやらわたしの当たり前はみんなの当たり前ではない事に気がつきました。

セカアカのクラスメイトには可愛いアクセサリーを
作っていたり、素敵なデザインができたり、ある事への知識が飛び抜けていたり。
わたしにはそんな個性がなくて、みんなはすごいなぁと尊敬の眼差でした。

わたしには何もないから、ただ毎日暮らす事だけが続けられる事だから「くらし家」、でもそれが本当にわたしの個性という事をイベントに来てくれたみんなが教えてくれました。

当たり前てっ無意識なので、自分ではわかりませんが、クラスメイトの当たり前の話を聞き、自分の当たり前の話しをする。人の事を知ることで自分のぼやーっとした輪郭が見えてくる。

自分だけの個性、自分だけの道を見つけようとひとりで突っ走ってきたわたしには新鮮な感覚でした。

自分のことを知る前にもっと人の事を知ることが大事だったんだなぁ〜と、今回のイベントで気がつきました。

自分の当たり前を人に共有してみる。
誰かの当たり前に耳を澄ましてみる。
ただそれだけで自分も好きになれるし、人も好きになれる。

わたしも含めて社会の中で生きる多くの人は、変な秩序の為に個性を殺してしまいがちだけれど、もっと職場の人や身近な人の声に耳を傾けるのは楽しい事なのかもしれませんね。

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