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50年前の少女漫画に救われている話:ぴ さん

ぴ(@matsugez)さんに、コンテンツとの関わりについて、インタビューしました。

70〜90年代の少女漫画は、「読者をなめてない」

ーーぴさんのいち押しのコンテンツはなんでしょうか?

70年代〜90年代の少女漫画です。これまでかなりの数を読んできましたし、今でも毎月発掘しています。

ーーきっかけはなんですか?特に70年代の漫画だと、なかなか接点持ちづらいのかなと。

8年ほど前、大学の友人に萩尾望都先生の『トーマの心臓』を薦められたことです。そこから一気にハマりました。

もともと母親が『ガラスの仮面』など自分が子供のころに読んでいた少女漫画を集めていて、小さいころから親しんでいました。それで、少し前の少女漫画に対する抵抗もなかったんです。

ーー『トーマの心臓』にはどのような魅力があったんですか?

『トーマの心臓』は、現代の漫画にはあまりないような重厚なストーリーで、初見では理解しきれない複雑な内容でした。1回読んだだけでは全然わからなかったので、ネットに上がっている考察などをちょっとずつ見ながら、繰り返し読みました。

読むのを挫折しなかったのは、“わからなさ”が苦ではなかったからです。支離滅裂だからわからないのではなく、キリスト教の考え方や近世の時代背景など、自分に教養がないからわからない。もっと知りたい、わかるようになりたい、という気持ちからどんどんのめり込んでいきました。

萩尾先生の漫画って、現代のエンタメ全般に慣れた人間には不親切に感じると思うんですよね。

私もエンタメ系の仕事をしているのですが、とにかく現代は尺が短くてわかりやすいもの、キャッチーなものが歓迎される傾向があるじゃないですか。

それとは真逆で、時代性もあるかもしれませんが、「読者をなめてない」ように感じます。

とにかく多様な少女漫画、ピタリとハマる作品がきっとある

ーー入口は『トーマの心臓』で、そこから萩尾先生の作品を読むようになったんですね。

はい、萩尾先生、そしてその同期に「花の24年組」というスター作家集団がいらっしゃいまして、その方々の作品も徐々に開拓して行きました。私に取っては“アベンジャーズ”のような方々です。当時の作品はかなりの数を読んできましたが、お話しした通り、理解度はまだ全然追いついていないと思います。

特に萩尾先生の作品は、読むとすごく疲れるんですよ。映画を1本見たような疲労感。話を追うのがまず疲れて、そこにいろいろなディティールや感情が載って、ワーッと襲ってくる。しばらく読み返す気にはなりません(笑)。一度じゃ全然消化できないからひとまず置いておいて、数ヶ月後に再読するんです。

ーー萩尾先生の作品で好きな作品は?

単純にキャラが好きなのは『ポーの一族』シリーズです。絵も綺麗ですし。

それから、共感できたり、救われたりするような作品が、短編ですが『イグアナの娘』『半神』ですね。どちらも現代的なテーマを扱っている作品です。『イグアナの娘』は母娘関係、今で言う毒親問題を平成頭から取り上げています。『半神』はルッキズム的な容姿差別、自分らしさとは何か、という話に切り込んでいる。現代の人間が読んでも、とても響く作品だと思います。

ーー少女漫画というと、恋愛のイメージが先行していました。

70年代〜90年代の少女漫画はジャンルが多彩なんですよ。いま世間で盛り上がっている現代的なテーマが、実は描き尽くされている。読んでみると、「何十年も前にこのテーマを取り上げている人がいたんだ!」という驚きがきっとあるはずです。本当にたくさんのテーマと切り口で描かれていて、そこから自分にぴったり合う作品を見つけるのは楽しい作業です。

実は大学生のときは、「絵が好き」「話がかっこいい」ぐらいで読んでいたんですが、30歳になってよりハマるようになって。

たとえば、“母娘問題”を取り上げた『イグアナの娘』。若いときはあまりピンときていなかったのですが、いま親元から離れて母親との関係について改めて考えたとき、神格化された役割としての“母”ではなくて、1人の人間として彼女もいろいろと考えていたことがあったんじゃないかとふと思い当たったんです。

で、『イグアナの娘』を読み返すと、私のその感情がすでにばっちり描写されているんですよ。そうしたテーマを鋭く見つけて発表する萩尾先生は“神”だな、と思いましたね。

「自分だけの悩み」を創作が救ってくれる

ーー先ほど、多様な少女漫画に「救われる」とも話されていましたが、それはどのような?

個人的な話なんですが、私は30で、仕事も楽しくて、結婚もしている。ある意味、それなりに聞こえが良いというか、順調のように見えるじゃないですか。でも、いろいろな悩みがある。

ーーはい。

学校に通っているころは、似通った人間が同じ状況にいて悩みも似ているので、孤独感はそれほどありませんでした。でも、社会はいろいろな人がいるので、自分と悩みを共有できる人の存在がとても貴重です。ずっと仲良くしてた友人も結婚・出産して子供ができたり、あるいは別の方向に行ったりして疎遠になったりします。

そんな、どうしようもなく孤独で不安になる時、すごく多様なテーマの中から自分にぴったりはまる漫画を読むと救われるんですよ。「自分だけじゃない」とか「こういう道もある」とか「人それぞれだよな」とか。そういうことを、再確認できる。

少女漫画の多様性が、日ごろ社会から押しつけられる普通という価値観から、一時的にでも解き放ってくれるように思います。

ーー多様性に富んでいる分、悩みに応える度量も大きいということでしょうか?

私、小さいころから絵を描いたりと、創作が好きでした。今の仕事もその延長戦にあります。

でもそのときは、たまに耳にする“創作に救われる体験”ってよくわからないな、と思っていたんです。けれど、この年になって少女漫画を読んで、その気持ちがわかった気がします。

目はキラキラしてるけど、少女漫画は怖くないよ

ーー素敵なお話をありがとうございます。そうした自身の内面のお話に限らず、70〜90年代の少女漫画について、誰かと話す機会はありますか?

2020年代の現代に流行っている漫画と、1970〜90年代の少女漫画。物語の華やかさ、キャラのキャッチーさなどエンタメ性という点でもちろん違いはあるんですが、なによりも大きな違いは、まったくネットで盛り上がっていないことです(笑)。

今盛り上がっている漫画なら、いろいろな人が感想呟いたり、絵を書いたりしていますし、アニメ化・グッズ化などの展開が公式発表があるんですが、それもほぼないので……。

読んだ後にワッと話したくなる衝動に駆られるので、そう言う時に話せる友達がいたらいいな、と思ったりもします。

でも、漫画好きを見つけたら誰彼かまわず薦めていますよ。「漫画読むんですか?これいいですよ」と。

読んでくださる方は実際にいて、感想も話してくださるんですが、でもまだ理解し切れていない状態だなとも思ったり。律儀な感想をもらうと、申し訳ない気持ちになるんですよね。もう1回寝かせてから読むといいぞ、と言いたくなって。

ーーそのときに薦めるのは、やはり萩尾先生の作品ですか。

そうですね……でも、入門編として適切なのか、萩尾先生の作品は悩むんですよね。1回読んだだけではわからない作品を勧めると、この時代の少女漫画に苦手意識を持ってしまうので、なるべく90年代のものを……。

どの作品から薦めるのか、シミュレーションもたまにやるんですよ。前の職場にたまたまいた萩尾先生ファンとも話したんですが、このシミュレーションやる人多いみたいですよ。「やっぱり『11人いる!』からじゃないですか」とそのときは話したんですけど。

ーーとても慎重ですね。

入り口で嫌いになってほしくないんですよ。そこから、70年代〜90年代の少女漫画の良さをどんどん知っていってほしいと思っています。目は多少キラキラしているけれど怖くないよ、「少女漫画は恋愛ものでしょ」と敬遠しないで、と。

<了>

取材協力:ぴ(@matsugez)さん

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