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【 更年期(障害)ちゃう!?〜病名が分かるまで〜】

自分の生活で手一杯で
うっすらの記憶しかないので…
母の闘病ノートを読み返してみました。
(5年半経って2回目です)


✏️は母が実際に記していたメモ(原文まま)です。

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H23.1頃   ✏️お腹胸部ぱんぱん 
     ✏️そんなに食べてないのに太ってる

      .3.11     東日本大震災発生

   当時、私は中国へ短期留学していました🇨🇳
 母は祖父の看病のため、大阪の高度医療センターへ毎日出向いていました。
 帰国後、震災当日の様子について、
 院内の高層階に居た母は、
 「あの日はニュースを見るまで
 1日中めまいがするなぁという感じやった」
 と教えてくれました。

  .4.19       祖父が天国へ

 私の祖父 母からすれば義父
 母は祖父の長らくの介護・看護を終えまし  
 た。

「子どもらもあと数年で学生を終え、これから父とセカンドライフでも楽しもか〜!」という時でした。


   しかし、夏頃 

  ✏️階段、長距離の歩行や坂等で
   しんどく、動悸、息切れ、息苦しく、
   休憩し水分補給しだましだましきてた。


H24.2.7       父の誕生日に食事へ

   ✏️店に着くまでに数回しんどくなる
   ✏️食事中はなんともなく
   ✏️休憩し数分水分補給したらましになる

  2.8       総合診
  2.22     甲状腺
      循環器
  5.9       眼科
      内科
    ✏️左胸部鈍痛
    ✏️息苦しい
    ✏️数分歩行しんどい
    ✏️お風呂 階段しんどい
    ✏️咳
    ✏️嗄声

  6.4       脳神経
  6.7
          ✏️車椅子で検査に回るのもしんどい、
動けない、嘔吐あり、尿量↓


2012年6月7日
その日、病院は満床でした。
しかし、付き添った父が

『明らかにおかしいからなんとか入院させてくれ!』

と懇願し、なんとか入院させてもらえ、
母の命を繋いでくれました。

父がお願いしなければ、
母は3日持たなかったかもと後々聞かされました。。。


   6.8       転院(ICUへ)
✏️もう息苦しい、腰痛、咳でしんどくて動けない
✏️しんどさピーク 正直入院できてよかった。
✏️優しい、熱心なDr. NSに恵まれてよかった。
✏️病名が判明してよかった。
✏️長期治療頑張って帰るぞ!!

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