深夜がんばり隊|お節介を引き寄せる体質

こんばんは。

深夜がんばり隊。

先日、15年の付き合いになる友達に言われた。

「あんたの周り、みんなお節介だよね。」

「すっごいめんどくさそう」


お節介(おせっかい)
出しゃばって、いらぬ世話をやくこと。
また、そういう人や、そのさま。

goo辞書

おっしゃる通りで、本当にお節介が多い。

私が何も言わず、よく人に甘え、教えを乞う体質だからかもしれない。

だから、お節介を無碍にすることもできず、甘んじて受け入れ、感謝し、ストレスをためる。

都合のいいときだけ使うわけにいかないから、お節介と感じても断らない。甘んじて、受け入れる。

「そうさせた、私が悪いのだ」と。

私は人にあれやこれやと口を出されるのが苦手、私のペースを何よりも大切にしたい、でも助けてほしい。

要するにワガママだ。


「お節介が多い」と言われるまで、そう感じることはなかった。たまにはあったかもしれないが、忘れてしまうほど些細なことで気にしていなかった。

ただ、友達に言わせれば「お節介が多くてめんどくさそう」であり、そう言われれば、そう思う。

なんでもひとりでこなせる人はいない。

特に私は、そうじゃないと思っていた。


ただ、実はそこまで不甲斐ない人間じゃない。

実はひとりでどこにでも行けて、何でもできてしまう。お金はなくとも、ある程度のところで生きていける私もいる。

ただ「ひとりで生きていける私」は、他者から見るとやや破壊的で無謀な生き方をするらしく、やたらと心配され、お節介を引き寄せる。

1日1食しか食べない、外に出ない、多少の不便(他者にすれば大きな不便)を気にせず、とりあえず生き長らえることは、普通の暮らしとは言えないらしい。

普通とはなにか、どうでもいい。でも、普通ではないと判断されて、お節介を引き寄せる。


「めんどくさそう」と言った友達は、普通の枠のなかで自立し、なんなら自律して生きているから、きっとお節介をやかれることもない。

自立と自律を両立する人は、さぞや私の引き寄せ体質に抵抗を感じるのだろう。


お節介は「余計なお世話」と言い換えられるように、あくまで「お世話したい」という親切心から生まれる。

それを親切と受け取るか、迷惑と受け取るか。受け取り方はこちら、私が選べる。

年明け早々に「お節介」を意識した私は、少し冷静になった。周りを見渡して、お節介と親切を見極めて、適度に断りを入れる。

私自身も何かをするとき、気をつけるようになった。

お節介になっていないか。

相手が断るのに、無理強いしていないか。

相手にストレスを与えていないか。

そして、私自身がストレスを感じていないか。

私が無理をして尽くすことを、相手は望まない。だからこそ、断るときは断る、手伝えることがあれば手伝うと決めた。


さらに、日常のありとあらゆる場面。たとえば食べきれないほどの天ぷらが届くとか。

「迷惑だ」と切り捨ててもいいことを「お節介だなぁ」と口に出すと(もちろん心のなかで)、意外とスッキリして受け入れられる。

「親切心でやってくれるんだから、感謝しないといけない」と思うから、ストレスが溜まる。

「お節介だなぁ」と苦笑いしてみると、どうでもよくなる。

ひとつ、私は生きやすい術を手に入れた。

そんなことに気づいた、今日だった。


最後まで読んでいただいて
ありがとうございました🙇‍♀️

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