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欲望という名の音楽: 狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ

(敬称略)

「欲望という名の音楽: 狂気と騒乱の世紀が生んだジャズ(二階堂尚著)」

薬とか
殺人とか
暴力とか
内容はヘヴィですが
手ごろなヴォリュームで
さくっと読めます。

BGMはやはり
スクラツチノイズにまみれて
紫の煙の向こうから
聞こえてくるようなヤツがいいのでは。

べつにジャズという
「ジャンル」の音じゃなくても
かまいませんが。

「ジャズというジャンルはない。
ジャズな人がいるだけだ」by 菅原正二

この本に
描かれているのは
南の島国の雑踏のなかの
屋台で売られてる
見た目では組成が判別できない
怪しげでヤバそうな
だけどうまそうな匂いがする
食い物みたいな音楽。

「証言で綴る日本のジャズ(小川隆夫著)」は
大変貴重で素晴らしい記録ですが
生々しい話は
あえて触れていないのだと思います。

(オフレコでは色々話されていたのでしょう。)

あの時代を現役で過ごした
ミュージシャンからしたら
当たり前のことばかりでも

(例えばあるミュージシャンの)ひ孫なんかが
学校で友だちから
「お前のじいちゃんむかし覚せい剤
やってたんだって?
パパが読んでる本に書いてあったぞ。」
なんてこと言われたりしたら
ややこしいでしょ。

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※小林旭が週刊誌で
女性とか酒とか
ヤ●ザと映画界とか諸々について
語ってます。

梅宮辰夫なんかも
生前同じような趣旨の発言を
してましたね。

「昔の映画界(音楽、舞台、演芸、、、)は
こんなに●●だったんだぞっ!」ってヤツ。

現在の感覚で言えば
もちろん
そのすべてが
「アウト」なんでしょう。

「また爺が
昭和の価値観で
暴言吐いてる。」と
切り捨てるのが
正しいのかもしれません。

だれかが諭して
喋るのを止めさせるのが
いいのかもしれません。

(誰が猛犬に
首輪をつけるか論争が起きそう。)

でも

あの時代の俳優の
倫理観をどうのこうの言うのは
関ヶ原の合戦のど真ん中で
戦争反対の旗を振るのと同じくらい
不毛だと思います。

小林旭は存命とはいえ
なんというか
「遡及」の限界を
超えているように
思えて仕方ないのです。

どのあたりから
現在の価値観、倫理観で
はかればいいのか
わかりませんが。

(本当に分かりません。)

褒めたり
おだてたりするのは
もってのほかですから
放置しておくわけには
いかないでしょうか。

※終戦後間もない頃から
令和に至るまで
趣味と実益を兼ねて
性犯罪行為を重ねてきた
あの男の罪は
とことん遡って
暴き出されても
仕方ないと思いますが。

そうしなければ
彼の「栄光」の部分を
正しく評価することなど
できないと思うのです。

フィル・スペクターの「甦る伝説」のように
「負」の部分を
しっかり書くだけの力量がある人が
伝記を書くべきだと思います。

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RAA(特殊慰安施設協会)、米軍放送、Vディスク、
ジミー荒木、伊勢佐木町、モカンボ・セッション、ハナ肇、植木等、守安祥太郎、秋吉敏子、
ヘロイン、ヒロポン、マイルス・デイヴィス、
チャーリー・パーカー、
「jass」、カンザス・シティ、ニューオリンズ、
禁酒法、
「朝日の当たる家」、ニーナ・シモン、
クレージーキャッツ、
山口組、美空ひばり、シカゴ、アル・カポネ、
『ゴッドファーザー』、
ベニー・グッドマン、ジョン・ハモンド、
アルフレッド・ライオン、
フランク・シナトラ、ガーシュウィン、
『ポギーとベス』、
「奇妙な果実」、ビリー・ホリデイ……。

売春、ドラッグ、酒、犯罪、戦争、人種差別、
民族差別、リンチ――。
社会の暗部が垣間見える興味深い
エピソードに満ちた
二十世紀日米ジャズ裏面史。

[目次より]
第一章 ジャズと戦後の原風景
第二章 みんなクスリが好きだった
――背徳のBGMとしてのジャズ
第三章 戦後芸能の光と影
――クレージーキャッツと美空ひばり
第四章 ならず者たちの庇護のもとで
――ギャングが育てた音楽
第五章 栄光と退廃のシンガー、
フランク・シナトラ
第六章 迫害の歴史の果てに
――ユダヤ人と黒人の連帯と共闘


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