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個展「Lost and Found」について④

個展についての記事も4本目になりました。

個展「Lost and Found」について①~③はこちらからどうぞ

「言語化」ということについてTwitterで見かけました。若い人の間で流行ってるとかなんとか。
そういえば絵の技術についても「言語化」できること=よいことのような風潮を感じます。
この流れ自体にどうこういえることはないし、わたしもわたしなりに言葉にすることの実践もします。(いまだってnote書いてるわけですし)。しかし「自分の絵について完璧に言語化できます!」みたいなことを聞いてしまうとなにか違和感が残る…
「言語化」、技術を上げるなどの目的には有効な手立てだと思います。一方で言葉で語れなかったものについて…さらには、言葉にしたことで失われてしまったものがあるのではなどとついつい考えてしまいます。
こうやって世の中の流れに「ちょっと待って」をしながら生きてしまった…というとちょっと大袈裟、単に天邪鬼なだけかも、でもこの感覚ももしかしたら今回の「Lost and Found」という展示につながっているのかもしれません。

さて、前置きが長くなりましたが、今回も全体同様、モチーフについてです。花束について書いてみます。
花束って身近に感じられるようで、実際のところけっこう限られたタイミングでしか見ないものだなと思ってます。お花屋さんでもしてない限り、お祝い、お見舞い、弔い…特別な場面にしか手にしないというか。日常的に家にお花を飾る人でも、なかなか「花束」という形は珍しい気がします。
特別なときに、いつもの日常ではないときを彩るモチーフが日常に紛れ込んできたとしたら、けっこうな「事件」になるかもしれない。そう思って制作したのが以下の「ぼくの勝利」という作品です。

「ぼくの勝利」

前置きで世の中の流れについて書きましたが、流されて生きてしまうことがだいたいなわけで。でもこれではなにかがいけないとざわめく気持ちもあるわけで。でもだからって大きなアクションを起こすこともできず、「社会はくそだ!」と叫びまわりたいとも違う…。
なにをすべきなのか、なにができるのかはさておき、まずはの心構えとして日常に花束という非日常を持ち込むような、ちょっとした抵抗の気持ちがあればな、みたいなことは思うところです。
(とかなんとかいいつつ、裏設定として好きな子に花束もって告白してみたものの、振られて自棄になってる帰り道かな?とか思って描いてもいました。)

メインビジュアルである「Lost and Found」だったり、「はなたば」という作品(タイトルがそのまま)だったりは、この先彼女たちが手にした花束をどこに運ぶのかということも考える余白があればいいなと思ってます。構図も横移動を感じさせるよう工夫しました。

「Lost and Found」
「はなたば」

見た目の華やかさももちろんありますが、非日常を彩る、なんなら日常とは違うものをもたらす存在としての花束についてはもう少しいろいろ考えてみる余地がありそうです。

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苗個展「Lost and Found」
場所: MOUNT Tokyo
東京都世田谷区駒沢2-40-6
駒沢大学駅から徒歩10分
期間: 2022年4月20日(水)~5月1日(日)※月・火は休廊
11:00~18:00(最終日は17:00まで)
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