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なりたい自分になれてる?(3)

朝から小雨が降っており気温が半端なくさがっていた。
僕はサラリーマン設定だったがバックパックの中身が全部なくなるぐらい服を着込まないと寒すぎた。
バックパックはすっかり隙間ができてしまった・・・。

(※当時のイメージがなかなか見つからなかったがこれが一番近いです。)

上海駅の前は人がごった返してまるで市場のような有様だった。
長時間の移動になるので車内で食べる食料の買い出しにいく。大きなオレンジが目に入り何個か買ったのだが、入れてくれた黒いビニール袋数歩歩いたらちぎれしまい泥の中に落ちてしまいオレンジが真っ黒になった。
拾って雨で洗い流し手分けしもって入った、それにしてもあんなに真っ黒な泥は未だかつてみたことがない。

当時は上海駅から西寧駅まで二泊三日かかってたはずだ。今は一泊でいけるらしい。定刻通り電車は出発し、ゆっくりと内地を目指していった。

4人部屋の最初のお客は、えらく荷物の少ない親父で着くなり二段ベット上段の指定席へ入り寝てしまった。
とんでもなく足の臭い親父だったのが印象的だ。部屋のドアは開けておかないと臭くしょうがない。
おじさん足が臭いですよ。」と単語を調べるぐらいです。

しかし、ドアを開けてるととにかく寒い。

隙間風がどっからか入ってくるので臭いよりも寒さから身を守るためドアを閉めた。しばらくすると、昼食の時間になり弁当売りが売りにきた。6元とかだった気がする。ご飯に1菜と漬物がついてるだけだったが暖かい食べ物が恋しくて食べた。あとはカップラーメンを食べた。
お湯は車両ごとにあり、ボイラーみたいな機械からお湯を出す。みなお湯を水筒にいれて持ち歩いていたので降りたらどこかで買おうと思った。

便所は、穴があいており線路に流しっぱなしだ。線路は糞尿にまみれだ。
電車でどこまでも続く、景色を眺めていた山が見当たらずどこまでも平原で恐ろしく大きな国だと記憶してる。

西安あたりで、上海からの足の臭い親父は降りていき次に5人家族連れであぶれた親父さんが乗ってきた。四川からきたらしくとても人のいい親父で、うちの弟がこんな旅に連れてこられてかわいそうだと本気で心配していた。この家族が飯をご馳走してくれて、筆談でよく喋った。家に遊びにこいと言われて住所をもらったがすっかりこれを書くまで忘れてた。今思えば毛沢東っぽい髪型だった。このころ耳も慣れておおよそ何を相手が言ってるのか予想つくようになっていた。完全に適当だが・・・。
食堂車では一度食べた熱々の肉まんとニンニクの芽の炒め物とご飯を食べた気がする。適当に漢字をみてっぽいものをランダムに選んでいた。毎回なにが出るかわからない、この旅最後までそうだった気がする。
旅の最初はよく覚えてるものだ。

家族は、8時間もしないうちにおりて最後は誰ものってこなかった。
電車は暇だったので端から端まで歩いてみた、三段ベットの寝台車に乗ろうと思ったがチケットが売り切れて乗れなかったが刑務所みたいなベットでこれで寝るのか?と思ったら帰りも4人席がいいな・・と思った。次に普通シートでこんなとこで二泊過ごせと言われたら地獄だなと思った。最後は無座(自由席かな?)席なしで床に座ったり立ったりしてた。そして車内はギュウギュウ詰めだったのでこれもさらなる地獄だなと思った。
つまりは一番上を知ると、それより下は全部地獄に見えるということだ。だからなるだけ底辺に近いものを選んでどうしても無理ならそれよりも上のものを選ぶという習慣がこの時ついたように思える。
そうして野村さんは僕と海外へ行く時、最低の宿にいつも泊まらされる。だいたいが泊まれるレベルではなくて破棄することが多いのだけど・・・。この時代に泊まれない宿をみるのはとても楽しい。

そうして、西寧駅へ到着した。この次はゴルムドという駅でさらに内地になる。

(※当時駅はこんな感じだった、遠くの山の上に寺院がいくつもあった。)
西寧は、標高がそこそこ高く2000m以上だ。ここで高山病対策で3日ほど過ごし高地になれていこうと考えた。
外は乾燥し、空気が薄いのか遠くまで遠近感がなくみえる。そしておそろしく寒い、息をすれば鼻の中が凍りつく・・・。さっさと宿を確保して体制を整えなければと思いガイドブックに記載されている宿にいってみる。1軒目に行くのにタクシーを使ったら料金メータを人数分よこせと言われたが、表示通りの22元を渡して無視しておりた。さっそくぼったくりに会うわけに行かぬと思い強気に出てみた。近くに軍の施設があり、写真をとったら怒られた。中井ちゃんは、当時珍しいハンディカムを持って動画を取っていた。

フロントに行くとホテルはこの時期営業してないと言われ断れた。さっぱり通じなかったので今思えば春節近かったんじゃないかな?と思う。仕方なく真横のホテルに入ってみたら部屋をとれた。3人部屋で部屋も綺麗だ。
ここで初めて、日本に無事を知らせる連絡をいれた。

僕はうんこをしたら、流れない。どうやっても便器の穴が小さい、トイレットペーパーを流せないところがあると書いてるとこも多く横のくずかごにけつ拭いた紙をいれておくのだが、頭おかしいんじゃねーかと最初はおもったがこのうんこを詰まらせたことで郷に入っては郷に従えでちゃんとくずかごに入れておきました。
部屋の電話がなり、なんか言ってるがさっぱりわからない・・・。なんどもかかってくるので、たぶんうんこが詰まって騒いでたのでフロントから苦情がきたのだと思い、「ノープロブレム、無問題!」と言って電話をなんどもきったら、とうとう部屋のチャイムがなり女が、なにやら喋ってる。僕は便器代をとれるのではないか?と思い便器に手を突っ込んでうんこを流そうと試みた手にくぼみをつくり勢いよく穴にむかって空気を送り込む。鉄拳チンミで学んだカンフーをここで披露することになるとは夢にも思わなかった。
しかし・・・努力のかい虚しくうんこは再び浮いてくる。
仕方なく、従業員の女を部屋にむかい入れてこの有様をみてもらい助けをお願いした。
女は血相を変えて、飛び出ていき制服をきた従業員をさらに呼んできた。この従業員が好みの顔の女でとんでもない恥さらしだなと思いつつ・・・

彼女から中華ラバーカップを受け取ろうしたらそのままトイレに入ってずっぽんしてくれた。

このうんこは弟のです。ありがとう。」と嘘をついておきました。

部屋をさっていくかわいい従業員、なぜか部屋にのこる私服の女・・・。
お前は誰なんだ?と聞いてみたら「売春婦」だった・・・。
部屋にチェックインしたらそのまま営業にきただけだった電話で通じなかったらしく。

とりあえず、中一の弟がいるので、お帰りいただきました。

こうして、西寧の1日は過ぎていった。

つづく


40才になったので毎日書く修行です。