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世界を生きなおす、何度でも:山崎聡子歌集『青い舌』

タイトルは下記の短歌から。

青い舌みせあいわらう八月の夜コンビニの前 ダイアナ忌

ダイアナ妃が衝撃的な事故で亡くなったのは
1997年8月31日。
当時の学生ならば夏休みの最終日だろうか。
アイスの着色料で青くなった舌を見せ合って
暑い夏の終わりを楽しむ刹那に重なるニュース。

本作では「ダイアナ忌」の前が一字空いていて
そのことでそれまでの華やかな賑わいに満ちた世界を
一気に断絶する。
視覚的にも、またリズムという観点からも
このアキは実に効果的で、現実の太刀打ちできない残酷な深淵、
そんなものを容赦なく読者に突き付けてくる。

印象的なタイトルをみていると、
「青」「舌」の入った短歌が自然と目に入ってくる。

「青」
あなたの青い胸をずたずたにする人もいる世界へとはやくおいでよ
自転車が走る不思議が降ってくるわたしの青く薄かった胸

「舌」
愛の舌の根の乾かないうちに抱く私の小さな小さな子供
舌だしてわらう子供を夕暮れに追いつかれないように隠した
湿地帯でしょう あなたの広い舌、私の短い舌をかさねて

本歌集のうちで、私が一番好きな作品が
「あなたの青い胸をずたずたに」だ。
とても怖い。でも、リアルを生きて経験しないと
何も始まらない。個としての人生の悲しみも喜びも。
「とりあえず、生きてごらん」
そんな小さいけど、確かな声が作品から聞こえてきて
読者の背中を押してくれる気がするのだ。
(ちなみに、この作品を読んだとき、大島弓子の作品
「バナナブレッドのプディング」
を思い出した。
主人公・衣良の姿と作品のラストシーンで彼女の姉が
口にする「生まれてきてごらんなさい」
(だったと思う、違ってたらすみません)が私の中で重なった)

二首目「わたしの青く薄かった胸」
過去形で語る胸(こころ)は現実を受け入れて
今、ここに生きて立っている。
同時に、「不思議が降ってくる」記憶もその感触も
掌中にある。現在の作家のやり方で世界を把握し直して。

世界を把握し直す。
思えば、その行為はなべての創作に通ずるだろう。
わけても「韻文」は、その短さゆえに
「描写」と「時空間」を超えた意識の飛翔の自由を許し、
世界を我がものとする機会を与える、
そんな恩寵に満ちたスタイルでありシステムと
筆者は考えている。

そうやって把握し直した世界を
作家は本歌集の中でしばしば「前世」と呼ぶ。

はじまりよ 子どもを胸に抱きながらサルビア燃える前世を捨てる

子を産み母となった作家による本歌集には
子どもと自分との関係や子どもを詠んだものが多い。
言葉は違うが、「生きなおす」という章が
設けられていることからも、
作家にとってこの観念は重要なものであることが推測できる。

かつて現実の世界で青い胸を傷つけ(られ)た人間が
今、母として一個の成熟した「表現者」として
生活という地上に足をつけながら
創作という天上へ意識をとばし、言葉を紡いでいる。
その豊かな強さ、しなやかさ。
次の二首を読むとそのことを感じずにはいられない。

クロールの腕の形をつくりつつ死ねって人に思われたこと
子の頭に帽子をのせて長生きをしてもしなくてもあなたをまもる

この二首は隣り合って並んでいる。
一首めの痛切な内容、しかし二首目は
そんな若いころの痛みを表現の栄養として咀嚼し
詩語として昇華し、強く大きな作品として
読者の眼前に堂々とその姿を現している。

ひとはこころは壊れやすくて原君の荷物「はらばこ」に詰められていく

上記の作品は、仕事の一場面だろうか。
壊れそうな瞬間を作家自身もまた
何度ももったことがあるのだろう
(今も時折あるのかもしれない)。
そのたびに作家は「短歌を書く」行為で
たましいごと「生きなおす」方向へ
意志的に舵を切ってきたのだろう。

どうにも辛くなったとき、上手に眠れないとき
私はこの歌集に手を伸ばす。
そしてページを繰りながら
私の中にもある「死んでくれない十代」や堅固な現実が
私に俳句を作らせること。
そのことをあきらめの気持ちと
「だからこそ作る」という強い気持ちと
ともに受け入れねばならないこと。

そんなことをもう一度思い出して
私もまた生きなおす。
新たに俳句を作ろうと思うのだ。

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