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「俳句賞」に出してみて:俳句四季新人賞の場合

前回、昨年の「第7回俳句四季新人賞」最終候補作品をご覧いただきました。
ここでは、「実際に出してみて」思ったことを書いてみたいと思います。

●複数の作品を構成する機会がほしかった

本賞の応募動機。
それは上記の一語に尽きます。
そんなモードの時にちょうど募集〆切間近だったのが「第7回俳句四季新人賞」。
この新人賞は、当時の私にとって下記の理由でも条件的にフィットしていました。
・メールで応募可能(形式は自由)
・無料←これは大きい魅力w
・(期間制限あれど)既発表もOK

そして、特に新人賞の条件として多い「年齢制限」。
私はギリギリでしたが該当。
「応募すれば、これが最初で最後の経験だ!」
ある意味、がけっぷちの状態が「やってみたい!」の思いに拍車をかけ、
そこからはサクサクまとめた記憶があります。
WEB応募要項を目にしてから応募まで、ひと月ほどでした。

●出した結果、得たもの


①予選をクリアできた自信
どの俳句賞も(明記されていないとしても)、本選前に予選を実施していることが多いと思います。
その中で本賞は発表時に、予選審査員の氏名を公表しています。
その点が審査の上で公平かつ好ましく思えました。
また、第7回の予選審査員2名が私の好きな作家たちだった。
「この方たちに読んでもらえたんだ! そして、予選通過OKを出してくれたんだ!」
(予選審査員は発表時までは公表されないので)その事実が素直に嬉しかったです。
だからこそ、手応えをよりかみしめることができました。

②「最終候補者競詠作品」への参加
私はカンジンの本選では全く引っかかりませんでしたがw
最終候補者は、(辞退しない限り)『俳句四季』12月号掲載の「最終候補者競詠作品」での作品発表の機会を与えられます。
しかも、「作家への原稿依頼」というカタチでです。
作品だけでなく、作家の横顔の見える「短文」も同時に掲載されます。
この点に編集部の「編集」として「作家を発掘し、育てよう」という気概を感じました。

③「仕事」に対する姿勢への共感
「最終候補者競詠作品」を開いたとき、リード文にまず惹かれました。
正確に覚えていないのですが、確か下記のような内容でした。
「受賞者だけではなく、受賞できなかった最終候補者すべての可能性も大事にしたい」

私自身も普段、本をつくる側の仕事をしています。
ですから、特集や項目を見ていれば、編集がどんなコンセプトや狙いでその内容を企画し構成しようとしているか、
なんとなく予想がつきます。
そんなときに大事なのがリード文。その項目内容を端的に読者に伝えるための要でもあり、編集やライターの腕の見せ所でもあるからです。
その意味で、編集として、そして賞の開催者としての姿勢を感じるリード文を見て、「この賞に応募してよかった」と改めて思いました。

また、著者校正のやりとりの際のメール対応にも好ましいものを感じました(これ、結構大事です)。

よって、昨年の応募は「作家」としての参加の喜びとともに、
同じ「本をつくる側」としての職業的共感を感じることができ、
それがさらなる喜びにつながりました。
職業的共感については、もしかすると、ほかの最終候補者の方とは違う観点かもしれません。
「詠み、応募する」だけでなく「自分が本をつくる」うえでも
「こういうふうにありたい」という本(企画)づくりへのスタイルをはからずも再確認する機会となり、この点は収穫でした。

●最後に


実はワタクシ、いわゆる俳句雑誌内で実施されている俳句賞の予選を通過したことはこれまでありませんでした(^^;
いつもキレ~イに落ちるので、「くぬやろー」となることもしばしば。
やっぱ応募したんだもの、通過したいよ~!
んで、できれば、受賞したいと思っちまうのがヒトの性だよねえ。
などなどと独り言ちていたン年間。
「続けていれば、たまにご縁のあることもある」

もちろん、最終候補は受賞とは全く違います(ついでに言うと、個人的経験から受賞と佳作も全く違うと考えています)。
でも、チャレンジにより自分の作品を発表する機会を与えられたことは、普段とは違う経験をもたらしてくれました。
「百回の練習より、一度のステージ経験のほうが大きい」まさにそれと同じです。

昨年の経験で、「怖くても挑戦してよかったな」と原点に戻れた気がします。

今年の最終候補者競詠。どんな作品が発表されるのか、
そして、次回どんな受賞者が誕生するのか。
今から楽しみです。

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