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2023.12.15 ぐっとくるシーン

1学期に娘の運動会があって、自転車を漕いで学校へ行った。応援合戦には間に合わなかったけど、4チーム中3チームの応援団長が女子だったということをのちに知って、そういえば、わたしが小学生とか中学生のときの応援団長は全員男子だったな、けど、高校のときの生徒会長は女子だったな、とかそんなことを思い出したりした。
 4年生がソーラン節を踊っていて、ソーラン節はわたしも小学生のときに踊ったから、まだやってるんだ、と懐かしい気持ちで見ていたら、応援席にいた5、6年生の何人かが、ぱらぱらと立ち上がるのが見えた。その何人かは、音楽にのって、今4年生が目の前で踊っているソーラン節を、一緒に踊り出した。最初に踊り出した何人かにつられて、ひとり、またひとりと、踊り出す子が増えていき、合いの手みたいなかけ声みたいなのを入れながら、踊る子どもたちはどんどん増えていき、終盤には、応援席にいた高学年の児童ほぼ全員が立ち上がり、歌って踊っていた。昔取った杵柄なのだろうなー、と思いながら、その光景を眺めていたわたしは、かなりぐっときてしまった。
 ちょっと前に読んだ小熊英二の『民主と愛国』の中に、なにかの反対運動の最中に、群衆が肩を組み、誰からともなく歌い出し、最後は大合唱になった、みたいな場面が確かあって、今『民主と愛国』を人に貸してしまっていて手元にないから、確認できないのが残念なのだけど、わたしはそういう、たくさんの人々がいて、ひとつの歌を誰からともなく歌い出し、それがだんだん広がっていって、最後は全員が歌っている、みたいなシーンに、かなりぐっときてしまう。小説とか映画でも、そういう場面を描いたものは、探せばいくつかあるかもしれない。けど、やはり実際にあった話の方がぐっとくるし、ましてや、その現場に立ちあってしまったものだから、かなり強い「ぐっと」がきてしまい、涙をこらえるのが大変だった。
 昔取った杵柄、という言葉をつかうと必ず思い出すのは、昔に見たお笑い番組だ。わたしが中学生ぐらいの頃だから、相当昔のネタ番組で、ネプチューンとか海砂利水魚(今はくりぃむしちゅー)とかXーGUNとかフォークダンスDE成子坂(お二人とも亡くなられて悲しい)とかのボキャブラ芸人と呼ばれていた人たちがおもに出ていた。
 その番組では、ネタをやっている芸人のうしろに出演芸人全員が座っていて、だからテレビを見ていたわたしたちは、ネタを見ると同時に、そのネタを見ている他の芸人の様子も見ることになり、当時の芸人というのは、けっこうライバル意識みたいなのが強かったようで、たまにふふっ、と微笑んだりはしていたのだけど、わたしが面白くて大笑いするネタでも、全然笑っていなかったりして、子どもながらに、怖っ、と思った。
 それで番組中、当時でもほとんど無名に近く、わたしもその番組で初めて見たコンビが出てきて、そのコンビはそれからすぐに解散してしまったから知っている人はほとんどいないと思うんだけど、ふたりのネタが始まり、どんなネタかは覚えていないけど、ツッコミの人が確か幼稚園の先生役、ボケの人が子どもの役、という設定で、うしろで見ている芸人たちはやっぱり全然笑っていなくて、セリフもなんだかたどたどしい感じ、動きもぎこちなく、変な間があったりして、見ているこちらまで緊張してしまう空気の中、終盤でボケの人が、
「昔取った杵柄」
 と、ぼそっと呟くと、わっ、と大きな笑いが、会場からもうしろで見ていた芸人たちからも起こって、その場面が、なんだか良かったね、とこちらまでうれしくなってしまった思いとともに、とても記憶に残っている。わたしは当時まだ「昔取った杵柄」という言葉を知らなかったから、調べて、意味を知って、そうしてわたしは「昔取った杵柄」という言葉を、昔のネタ番組とセットで覚えている。

 今朝は旗振り当番で、時間的に息子も連れて行かなければならなかった。いつもより早く起こされ、ぼくは疲れているから行きたくない、とごねる息子に、大きな横断旗を渡し「○○くんかっこいい!」などとおだてると、その気になった息子は肩に旗を担いでついてきてくた。帰りに転び少しテンションを落としていた。
 昨日は急に面倒になりコロッケを作らなかったので、今日こそは作る。

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