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低温ヤケドって知ってます? 怖! それはユックリと襲ってきます。深酒危険。

低温やけどの経験あります。痛かったです。すぐ治ると思ってましたが甘かった。通院が終わるのに半年かかりました。

年末の忘年会が続き、( 2007年12月の話 ) 仕事、最終週の木曜日も、しこたま飲み、終電で帰宅。風呂に入った記憶も定かではなし。家族の用意してあった湯たんぽを足に当てて寝る。年末ともなると風も強く吹き、グッと底冷えがする感じ。足が冷たくて眠れない日もある。トイレに起きることもなく、その日は連日の忘年会疲れもあってか水銀のようにドップリと寝る。グーグー。そして、眠い目をこすりながらいつも通りに、夜明け前に置き身支度を開始。年末最後の出勤日、仕事納めだ。靴下を履く時に左足首内側に違和感あり。痒いような突っ張ったような、暗がりでよくわからなかったが、明るくなった駅のホームで靴下をずらしてそこを見てみると大きな水ぶくれが。7センチ×5センチ×標高1センチの、小判型の水ぶくれができていた。色はピンク。中に液体がたぷたぷしている。痛くない。びっくり。電車が来たので靴下を上げていざ乗車。

210217 寝姿

治るイメージは、そのうち皮が破れて、中の液体が出て、くっついて、かさぶたになって、痒くなって、ポリポリかいて、ツルンとむけて、オシマイ・・というストーリーだった。違ってた。

ほっとくと腐る。正しく治療すれば治る。根気よく通院する。医者の話を良く聞く。よい患者になる。通いやすい病院を本気で探す。この事を伝えたくて発信します。でも医者じゃなくうまく伝えられないので、患部の自撮り画像を貼ります。少しグロ・閲覧注意、104枚。7ケ月間の治療だったので、2.02日に1枚の割合の患部画像日記となります。少しずつ良くなってくけど長い道のりですよ、奥さん! 日記。

物語の始まりは、2007年12月27日木曜日。

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翌日の12月28日は、もうこの日に病院に行っとかないと、年末年始を挟むので大変だと思い、会社に相談し通院を許してもらう。インターネットで皮膚科を探す。近くの病院へ。埼玉県さいたま市。ドクター曰く、破れるまでほっといてね・・だって。こっちとしては、メスでプシュッて穴をあけてもらって、消毒してガーゼで覆って塗り薬と抗生物質の飲み薬を処方されると思ってたら拍子抜け。四日間の帰省があるので不安な思いで小判を抱いて年を越しました。1月2日、帰省先で破水。自力でオキシフルらしきもので消毒+ガーゼ処置の記憶。正月二日酔い。

年が明け、通常勤務が始まり、営業職であるため、新年の挨拶回りが大変。患部は痛くはないけど痒かったり、むくんだり、とにかく気になり始めた。10日ほど経ったある日、とても痛いので、出先の宇都宮にて皮膚科に駆け込む。通いやすい所に行くのが王道と承知しているが、スケジュールがコミコミで病院に行く暇がないのです。何日間も。

画像として貼ってあるカレンダーは日曜日始まりの様式です。最右列が土曜日となります。一週間後、自宅近くのこじんまりとした内科を訪ねる。皮膚科もやるって、家族が言ってたような。ひと月の間に、三件目の病院。処方される薬がどんどん変わる。カレンダーの中のメモは処方された薬の名前。治療方針が定まらないまま、会社の業務が優先される暮らし、今度は新年会始まっている。酒を飲むと患部がドクドクいってる、痛い。このままじゃダメだ、患部の色が変わってきた。通院しやすい病院を、昼間に動きの取りやすい、勤務先の周辺で、本気で医者を探そうと決意する。発生から一か月後の1月26日、長く御世話になることになる病院で診療開始。「こりゃ大変だ、痛いでしょ! 」 と、活発な女医先生。ニコリ。笑顔に救われる。

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( ひと休み ) とにかく女医先生はパワフルな診察です。速い、無駄がない、正確、医療行為に徹底していて、包帯の止め上げる所の10秒間ぐらいの動作は看護婦さんに任せてその時間を次の診療に充ててこなしていく。テニスのボレーボレーの練習を早送りでやるようなスピード感。朝の魚市場に居るようで楽しかった。

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画像を遠目で見ると、プラムとか杏が成長してみたいにも見える。2021年1月の状態はコレ。靴下の跡がついてる。テヘッ。

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現在は、湯たんぽは使っていません。怖い。また、忘年会・新年会もなくなりました。安心。低温やけど、意外と手ごわいぞ! という話でした。


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