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ひとり温泉旅行、もっと気軽になればいいのに



温泉旅行にひとりで行きます。にぎやかな温泉街から山奥の一軒宿まで。ひとりで行き、ひとりで食べ、ひとりで浸かり、ひとりで眠ります。変なやつだな、と思う人もいれば、私も同じ、と思う人もいるでしょう。


何が楽しいんですか、と言われます。「おひとりさま」というワードが生まれて久しく、食事や映画鑑賞やイベントをひとりで楽しんでいても珍しがられなくなりました。もちろん温泉旅行も、CREAをはじめ様々な雑誌媒体がひとりを打ち出してくれていますが、まだまだマイナーなのかな、と思ったり。




ひとり、いいですよ。夕食食べて温泉浸かってもまだ21時。持ち込んだタブレットでドラマ見たりアニメ見たりして過ごしています。いつもと変わらないような夜が、ぽくぽく温まった体とふかふかの布団によって、途端に心地よくなる。物理的に勤め先と家から離れて、どうでもよくなる。ひとりで計画して、たどり着いて、温泉浸かって眠る1日には、満ち満ちた達成感があります。





ひとり旅は「自由気まま」「自分へのご褒美」と謳われがちですが、現実はそんなにキラキラしていません(もちろん両方、合っている部分もありますけど)。



誰かと予定を合わせるのが苦手、そもそも誘い合うのが苦手。周りと金銭感覚が合わない。一緒にいると気を遣って、コミュニケーションのほうに意識が向く。そういう、どちらかといえば消極的な理由で、ひとりを選んでいる方も多いと思います。わたしも当てはまる部分があって、でも、だからこそ、選択的ひとり温泉旅行がもっと気軽になってもいいと思うのです。



「誰かと」にハードルを感じる自分を、後ろめたく思わないでほしい、というか。誰かとが上で、ひとりが下みたいなのは、変だなーと思うのです。自分で選んだ居心地の良さに、もっと胸を張れる社会であってほしくて。

(これは自分で働いて稼いだお金でアイスランドに行って、世界で一番大きい露天風呂ブルーラグーンに浸かりながら飲んだビール。この味、多分死ぬまで覚えてる)




わたしは時々、複数人でも温泉旅行へ出かけますが、ひとりと比較すると頻度はかなり少ないほう。「誰かと」は楽しいけれど、ひとりとの楽しみ方は全く異なります。



既婚者なので、「旦那さんと行かないの?」と聞かれます。夫とももちろん行きますけれど、共働きは休みを合わせるのも簡単ではありません。夫は私ほど温泉を好きではないから、わざわざ何時間もかけて辿り着くような地に、年に何度も足を運びたいとは思わないのです。価値観の違いは、絶対にふたりで行動して埋めなければいけないことなんてないし。


友人とも、ときどき行きます。温泉好きな人とも、温泉を特別好きじゃない人とも。友人との旅行は、いい温泉よりも、“いい滞在”を目指して予約をします。泉質はふつうでも、綺麗な内装と親切なおもてなしとおいしい料理があればOK。温泉を知らなくても、温泉旅行は十分楽しいものだから。



ひとりのときは、観光もしないし、地域のおしゃれなカフェでコーヒーを飲んだりもしない。ただ山奥まで車を走らせて、すばらしい温泉を目指しています。1日にいくつも。そんな(ちょっとストイックな)旅行の仕方を誰かに付き合わせたくはないし、相手が楽しんでいるか伺うようなひとときもいやだなと思うのです。

先日、著書「女ひとり温泉をサイコーにする53の方法」が発売されました。書籍に関連したインタビューをされることもあるのですが、毎回「なぜひとり?」と聞かれます。

本の内容は、そこまで「女」でも「ひとり」でもありません。旅館の選び方、温泉地での過ごし方、温泉の違いの楽しみ方など、温泉ビギナー向けにコツをまとめた一冊です。



それでも「女ひとり」と本のタイトルに入れた理由はシンプルで、女ひとりでの温泉旅行がもっと気軽になってほしいから。
「誰かと」が苦手な女もいるし、自分のためだけにお金と時間を使って温泉旅館でゆっくりする女もいる。女は群れる、という表現がずっときらいでした。令和的な価値観は一部にしか広まっていない可能性があるから、その一助になればとも考えています。

「みんなで遊ぼうって言ったらみんなで遊ぶけど、自由に遊ぼうって言ったらひとりで遊ぶ子ですね」。


昔、幼稚園の先生が、園でのわたしの様子を母に伝えたときの言葉です。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、わたしの性格を完全に言い当てていると思いました。

似たような性格の人が、後ろめたさをなんにも感じずに、自由に遊びやすくなりますように。ひとり温泉旅行、もっと気軽になればいいのに。

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