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essay#1 ハイボール

ハイボールを飲む時、私がいつもこっそりしていることと、瞬間的に引きずり出される記憶があります。

それはトラウマだとか嫌な記憶ではなく、むしろとてもあたたかい記憶で、でも切ない記憶で、

『研修で半蔵門駅近くの会場まで来るから、なんか近場で安いビジネスホテルおさえといてよ、でついでに当日の夜空いてたらお前ももう大人だし一緒に飲もうよ』
という高校の恩師からの電話がきっかけで、たった一度だけお酒をご一緒できた夜の記憶。

研修がだいたいこんくらいの時間に終わるから…というメールをもらい、じゃあそんくらいの時間にこの辺に突っ立ってますね〜と返し、突っ立っていたら対岸にジトっとした目つきでニヤニヤとこちらを伺う怪しい人影。先生その人でした。

先生に、焼き鳥かイタリアンが食べたいです!とだいぶ振れ幅の大きな2択を迫ったところ、せっかくだからオシャレにイタリアン行くべよとなり、

おお〜先生がエスコートしてくれてる!
なんて珍体験に感動していたのにお店に入ってすぐ「小野﨑、トマト食べられるの?お前は虫か!俺はトマトは絶対無理、青い味がする」と言い出し



何故イタリアンを選んだ???????



とさすがの私も突っ込みたくなりましたがもう席に通していただいちゃった後でしたし気まずいしおすし、
何を頼んでもトマトが付いてくるのでひたすら私はトマトを食い、先生はトマト以外の部分を美味しく食べてました。

何だったんだよ…


で、せっかくだからとまた言い出すのでその「せっかく」発言何のフラグだよと身構えていると、お酒が飲みたいとのこと。

飲む気満々だった私は「ハイ?そりゃそうですよ??」と返し、2人で慣れない赤ワインとかを飲みました。銘柄なんざよく見てなかったし何も知らない我々でしたが、しっかり熟成された赤ワインというぶどうジュースは苦くてちょっと甘くて大人の味がしました。



元教え子に宿を取らせるわ、あまりにトマトばっかり食わせるわで先生も罪悪感が出てきたのかそれとも楽しくなっちゃったのか(そうだといいな)どんどん饒舌になり、
「もう一軒行くぞ!!もっと飲むぞ!!!」

と勢いづいた先生にそこから歩いてすぐの焼き鳥屋に連れて行かれました。

最初からここで良かったのでは…冷やしトマトとかトマトの肉巻き頼まない限り多分トマト出てこないっす…


そこで初めてハイボールなるものを知り、初めてハイボールなるものを飲み、それから私はすっかりハイボール大好き人間となるのです。

「先生、このハイボールってやつよく見るんですけど、何ですか?」

「ハンッ、お主もまだまだ子どもよのぅ、ハイボールも知らないとは。あのな、ハイボールっていうのはウイスキーの炭酸割りのこと。んで、正式にはそこにレモンをちょっと入れるのよ。ワイン飲んだ後だがせっかくだから今日は小野﨑とハイボールを飲みまくるぞ!!」


そう、私にハイボールを教えてくれたのは先生でした。


お酒を飲みながら、先生が嬉しそうに「ああ久しぶりに飲むなぁ、楽しいなぁ、いいなぁ、ああ俺、今、小野﨑と飲んでるのかぁ、お前も大きくなったなぁ」と笑ったんです。

先生ってお家じゃお酒飲まないんですか?奥さんがお酒嫌いとか?ていうか久しぶりっていつぶり???と訊ねると


「んー、えーと25年ぶり」












まさかの四半世紀ぶり!!!!!!!!!

当時の私が生まれる前ぶり!!!!!!!


な、なんで…?と訊き、そこで初めて先生が肝臓に難しい病気を長らく抱えていることを知りました。
ということは、お酒が体に良くないから、肝臓に良くないから、25年間控えていたということです。


「え…四半世紀ぶりのお酒の相手が私でいいんですか…?もっとこう、可愛いオネェちゃんがいるとこでとか、奥様とご一緒にとか、、、」と狼狽する私をよそに、すごいペースでハイボールをおかわりしながらどんどん顔がとろけるような笑顔になっていく先生。



恐縮だけど、嬉しいなぁ

それがその時の本音でした。



お酒はどんどん進んで、焼き鳥の串入れもいつのまにかいっぱいになり、
あまり酔わない体質の私を尻目に四半世紀ぶりのハイボールは先生には随分こたえたようでした。

そしてさっきまでヘラヘラフラフラだった恩師がふといつもの見慣れた横顔に戻り、

「ああ、楽しいなぁ、小野﨑、多分な、これが俺にとって最後の酒になるんだよ。俺はな、どうも移植手術でもしない限り長生きできないらしいんだってよ。だから、一緒に飲んでくれてありがとうなぁ。ああ、小野﨑と一緒に飲めて嬉しいなぁ」


急にそんなことを言われて面食らった私は先生の言葉の意味を咄嗟に掻き消そうと、その焼き鳥屋さんのガヤガヤとした空気に身を任せるように大いに酔っ払ったふりをして

「はぁぁあ!?先生が死ぬわけないじゃん!!!こんな問題児を3年間面倒見てくれて死ななかったんだから!!欲しい臓器があるならあげるあげる!!!なんだその冗談つまんなー!!!!ああつまんねぇえー!!!!がはははは!!!!!」

と無理やり笑って、「本当なんですか」「どんな病状なんですか」「私にできることはないんですか」といった、本当に言いたかったことをハイボールと一緒に喉の奥へ飲み込んでしまいました。



…少しの間を置いて、先生もまた照れたような笑顔になって

「ははは確かにな!お前の世話で過労死しなかったんだから俺は肝臓がおかしいくらいじゃまだまだ死なないわな!そうだそうだ!!ははは!!」





その後もお酒が進み、時計の針も進み、
まだまだ飲み足りない、何ならお前も同じホテルで別に部屋取ってどっちかの部屋で眠くなるまで深酒しようと珍しく駄々をこねる先生をなだめてホテルまで送り、

終電にほど近い、私達が楽しんだそれとは別のお酒のにおいがあちこちから立ち込める電車の中で先生から受け取ったメールには

『あ〜〜本当にありがとう。本当に楽しかったねぇ。まだまだ飲み足りないですよ、また俺の愚痴に付き合ってやってくださいな』

普段酔わない私も少し酔っていたのか、思わずふふふと声が漏れたのを覚えています。






そしてそれから何度目かの冬、本当に、私の大好きな先生は逝ってしまいました。


後に先生の奥様から生体肝移植(移植手術は通常心臓死もしくは脳死状態のドナーの体から臓器を取り出し患者に移すことを言いますが、この生体肝移植においては両者が生きていて、ドナーの健康な肝臓の一部を患者に提供するものです。肝臓の半分こみたいな。)という術式を使えばもしかしたら助かる可能性もあったかもしれないと聞き、

あの時の先生の言葉は本当に本当だったのだと、なぜあそこであのトーンで笑い飛ばしてしまったのか、なぜそこでもっと先生の話を聴こうとしなかったのか、もしかしたら私の肝臓の一部を提供することで先生は今も生きていられたんじゃないか、私がこの血液型で生まれてきた意味は先生の役に立つためだったんだ、なのに私は…

同じ血液型の私は今まで生きてきた中で間違いなくいちばん後悔しました。


なぜなのかはわかりきっていて、大好きな先生が亡くなってしまうなんて信じられなくて、信じたくもなくて無理やり冗談にでもしなければ自分を保てないと思ったからです。

そう、自己保身のために私は大好きな先生から弱音を吐き出す機会を奪ったのでした。

大好きな先生なのに、私はその大好きな先生を傷つけてしまいました。


白髪が増えておじちゃんになった先生を見たかったし、
退職のお祝いには友人達と花束を持って駆けつけたかったし、
先生が今度俺の伴奏で歌ってくれとリクエストしてくれたメモリーも歌いたかったし、
また先生と飲みに行きたかったです。

先生がその日の夜に言ってた、「お前は多分男を見る目がないから苦労しそうだなぁ、ははは。恋愛なんて何回失敗してもいいんだから、ちゃんとお前のことを愛してるって堂々と言ってくれて、嘘をつかなくて、いつだってお前の味方でいてくれて、お前のことを世界中でいちばん大事にしてくれる男を最後に選ぶんだぞ。最後に選ぶ男だけ失敗しなけりゃいいんだ」

「それから、その時俺がもし生きてたら結婚式には絶対呼ぶんだぞ、お前が高校生の頃どれだけ問題児だったかスピーチしてやるから」

今も耳の奥には先生の言葉が先生の声で残っていて、目の奥にはハイボールのジョッキについた汗をおしぼりで拭きながら笑う先生の横顔が焼きついています。

「じゃあ私先生と結婚すればよくない?先生私のこと大好きだし私も先生大好きだもん!なに!?既婚者か!!くっそぉイイ男って大体既婚者の巻…!!」

「そうだなぁ俺が独り身だったら嫁に来ないかって歌ったなぁ〜、いや俺お前よりお前のお父様に年近いぞ」

なんて笑ったのも懐かしいなぁ。
その言葉も、あたたかく懐かしく今も私を支えてくれています。


先生は、今の私を見たらなんて言うんだろう。

なぁーに悩んで痩せてんだよ!悩んで痩せるとかお前はJKか!じぇえーけえー!!
なんて言うんだろうな。


…ああ、早く先生に会いたいなぁ。

いつか先生のところへ行けた時、胸を張って再会できるように、それまで私がしっかりしていられるように…
お酒が飲める歳になっても中身はまだまだ子どもだから、だから私のこと、いつまでも見守る…じゃないな、見張っててくださいね。

って、ハイボールを飲む時はいつも、こっそり先生に献杯をしている私です。

ほんと、先生に、会いたいなぁ。

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