夢玉


「なぁ、ケンジ。今からオレが話すことは、絶対にだれにもナイショだぞ。」

いつにも増して、いたずらっぽい表情のワタルが声を潜めて言った。

「オレ、すっげーの持ってんだ。」

「なになに、新しいゲーム?」

「ちがうって、そんなのよりもっとすげーの!」

そう言って、ベッドサイドの棚から小さな紙袋を取り出した。

「『夢玉』っていうんだ、これ。」

「ユメダマ?」

「そう、夢玉。見た目はただのアメなんだけど、これを食べながらお願いごとをすると、なんでもかなうんだ。すげーだろ!?」

そう言って、ワタルは飴玉を一つずつ丁寧に並べた。

この飴玉にそんな不思議な力があるなんて、ボクはまだ信じられなかった。

週末になるといつも、ボクはワタルに会いに行く。

白い階段を上って、折り紙や風船で飾られた廊下を抜けたつきあたりの病室、そこが僕らの思い出の全てだった。

ワタルとボクは親同士が仲良く、小さい頃から兄弟のように育った。

しかしいつからか、ワタルの腕には管がつながれるようになり、外で一緒に遊ぶことはできなくなった。

幼い頃からずっと入院しているためか、10歳になったワタルの体はとても小さく、その部屋だけ時が止まっているように思えた。

「夢玉なんて、そんなの信じられないな。」

「本当だって!証拠だってあるんだぜ。」

ワタルは枕の下からハート型の折り紙を取り出した。

「これ、ミクちゃんからもらったんだ。ラブレターってやつかな?」

「ラブレターだって!?あの805号室のミクちゃんから?」

「そうだよ。」

ワタルは得意気に言った。

ナースステーションの前で絵を描いていたミクちゃんが、こっちをチラリと見たような気がした。

「じつはね、夢玉にお願いしたんだよ、ミクちゃんと仲良くなれますようにって。そしたらコレ、もらえちゃったの、かなっちゃったの、お願いが。」

「えー!見せろよ、その手紙!」

「だーめ!!これは二人のヒミツなんだから。」

結局そのラブレターとやらは見せてもらえなかったが、ボクはすっかり『夢玉』の話を信じてしまった。

「ケンジも夢玉ほしいだろ?」

「ほしい!すっげーほしい!いいの?」

「しかたないな、分けてやるよ。10こずつ、はんぶんこな!」

「マジ!ありがとう!何お願いしようかなー、なやむなぁ。」

「あせって決めなくてもいいよ、10こしかないんだからさ。」

くしゃくしゃの紙袋をポケットに押し込んで、その日は寄り道もせずに帰宅した。

そして翌週、ボクはひとつの願い事を夢玉に託した。

「なぁワタル、夢玉やっぱすげーよ。」

「なんだよ、もう使っちゃったのかよー大事にしろって言ったのに。で、何に使ったんだ?」

「そうだな、ワタルと似たようなことかな。」

同じクラスのルミちゃんのことは、ワタルにしか話していなかった。

ルミちゃんは決して目立つタイプではないが、みんなに優しくて、綿アメみたいに色が白い子だった。

ずっと気になっていたけれど、ボクはなかなか話しかけられずにいたのだ。

「それでね、夢玉をつかって、思い切ってお祭りにさそってみたんだよ。」

「そしたら?」

「そしたら、、、」

ボクは両腕で大きく丸を作った。

「夢玉のおかげだな」

ワタルは満面の笑みを浮かべていた。

それからしばらくの間は、ワタルに会いに行く度に夢玉の話をした。

テストでいい点がとれたことや、サッカーチームでレギュラーに入れたことなど。

「夢」と呼ぶには小さなお願いごとばかりだったが、ワタルはどれも楽しそうに聞いていた。

中学に入学してもワタルの具合はよくならず、病院での生活が続いていた。

ボクはというと部活や塾が忙しく、以前のように毎週会いに行くことはできなくなっていた。

「なぁケンジ、実はオレ、もうすぐ退院らしいんだ。」

久しぶりに会いに行った時、ワタルがいきなり変な事を言いだした。

「何言ってるんだよ、まだ退院できるわけないだろ。外に出たいのは分かるけどさ、、、」

「いや、本当なんだよ、信じられないかもしれないけど。オレだって信じられないんだけどさ、あと2ヶ月くらいだって先生が言ってた。」

「本当に!?そうかそうか。退院したらまず何したい?どこでも連れて行くよ。」

「うーんと、、、サッカーしてみたい、かな。」

「サッカー?だめだめ。こんな細い足じゃ、ボール蹴ったら折れちゃうよ?」

「そうだな、ははは、ケンジが怒られちゃうな。」

ワタルの笑い声が弱々しく病室に響いた。

それから、ちょうど2ヶ月後の事だった、ワタルが死んだのは。

いつもの病室に入ると、ワタルのお母さんがお父さんに抱きしめられて泣いていた。

ずっと管に繋がれていた腕は、やっと自由になった。

ボクは、まだ温かいその腕をつかんで、何度も名前を呼んだ。

しかしワタルは柔らかい笑みを貼り付けたままで、ピクリとも動かなかった。

どうして、こんなに早く死なないといけないのか。

ワタルだってきっと、大人になって叶えたい夢があったはずだ。

夢、、、

そうだ、夢だ。

ボクは病室を飛び出し、家へ急いだ。

確かもう一つだけ夢玉が残っているはず。

なんでもっと早くお願いしなかったんだよ、ワタルが元気になって退院できますようにって。

いつも自分のことばかりで、ワタルのことを全然考えてあげられなかった。

せっかくワタルがくれたのに、ボクは本当に使うべきものに夢玉を使ってこなかった。

何てバカなんだ、ボクは。

家に着くと、くしゃくしゃの紙袋を机の奥から引っぱり出した。

もういちどワタルと話したい、ボクの願いはそれだけだ。

はやる気持ちで手を突っ込むと、ベッタリと溶けたアメが指にからまった。

「なんだよ、これ、、、こんなんじゃ願い事なんて叶わないよ!!」

怒りと悲しみと悔しさとで視界が遮られ、ボクはその場に崩れ落ちた。

投げ捨てた紙袋に目をやると、白い紙切れが入っている事に気付いた。

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なぁワタル、ボクは知ってたのかもしれない。

お前がくれたのは『夢玉』なんかじゃなくて、ただの『飴玉』だってこと。

わかってて、でもお前の喜ぶ顔が見たくて、自力で叶えられそうな願い事ばかりしていたのかもしれない。

そしてお前はわかってたんだな、自分が長くは生きられないってこと。

ボクが本当につらいとき、側にいられないこと。

だから『夢玉』なんてものを作ったんだよな、きっと。

病院という離れたところからでも、自分がいなくなってからも、ボクの背中を押せるように。

ボクはさ、やっぱりこの『夢玉』ってやつを信じてみる事にするよ。

こいつが本物だってことを二人で証明しようじゃないか。

嗚咽をこらえながら、ボクは夢玉でベタベタになった人差し指を噛み締めて祈った。

—— 生まれ変わるなら、ワタルの生きる世界に。 ——

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!