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【喉声とは何か?】

「喉声」とは差別用語である

「喉声」が差別用語だってことを知っている人は多くないかもしれません。
今でも、まだ平然と、喉声という言葉が使われてますもんね。
ボイトレ関係の本には頻出するし、ネットでもたくさん見かけます。
たぶん音楽大学の声楽科でも、よく使われてるんじゃないかな。
まぁ、音楽大学は「喉声」という差別用語を作り出した元凶みたいなもんだから、今でも使ってて当然ですかね。

江戸時代が終わり、明治の新政府が起こったとき、世の中は激変しましたよね。
チョンマゲがザンギリ頭になったり、日本語が簡素化されたり。
士農工商の廃止、廃藩置県などなど、いろいろ激変しました。
とうぜん、音楽の世界も変わった…。
江戸時代まであたりまえだった日本音楽は、劣ったもの、悪しき慣習を引きずったものとみなされたんですよね。
明治新政府は、かわりに西洋音楽を人々に推奨しました。
西洋音楽こそ、高尚で、価値の高いものだと絶賛したんですね。
この頃の明治新政府は、イキってたから…。
日本の公用語を英語にしよう、なんてたくらみもあったらしいです。
まぁ、ふり幅が大きいほうが、いかにも体制が刷新された感が出るから、明治新政府がイキってたのも仕方ないですけどね。
とはいえ、一般の庶民にとって、おかみが江戸幕府だろうが明治新政府だろうが、それほど関係ありません。
趣味嗜好だって変わらない。
いきなり上から、「これまでの日本音楽は低俗です。聴くもんじゃないぞ」とかアナウンスされても、ハイそうですか、とはいきません。
それまで、ふつうに好きで聴いてたんだから。
やっぱり、結婚式では「♪高砂や~」って謡いたくなります。
たしかに明治になって生活は激変したけど、人々の心の中までは、新政府でも変えられなかったのですね。

しかし明治新政府は、なんとしてでも伝統的な日本音楽を絶滅させたがった…。
西洋音楽を日本に根付かせようとしたのですね。
それが新しい日本にふさわしいと思ったのでしょう。
ところが、なかなか人々の好みは変わらない。
小唄端唄、義太夫やら新内の人気が衰えないわけです。
業を煮やした明治新政府は、伝統的な日本音楽のネガティブキャンペーンに乗り出しました。
それが「喉声」なのでさぁね。
音楽大学とタッグを組んで、「ほら、伝統的な日本音楽って、声が汚いでしょ? 喉声だからだよ」って喧伝し始めたのです。
国費でヨーロッパの音楽大学へ留学生をおくり、西洋音楽の発声法を学ばせる。
そして、「これぞ綺麗な歌声でしょう? 喉声ではないからです」なんて言いふらす。
謡曲は「喉声」だからダメ。
平曲も 「喉声」だからダメ。
義太夫も 「喉声」。
小唄も 「喉声」。
あれもこれも日本音楽は、みんな 「喉声」だからダメって、ネガティブキャンペーンを張りまくったのですね。

「喉声」は汚い。
「喉声」は稚拙。
「喉声」は非文明的。
「喉声」を好むヤツは野蛮人の、ダメ人間さ、って感じで…。
いくら心の中は変えられないと言ったって、やっぱり国家のチカラは甚大ですよね。
それに、正直、明治時代の日本人がヨーロッパに強い憧れを持ってたのは事実ですから。
ただYouTubeもレコードも無い時代なので、じかに西洋音楽を聴く機会がほぼほぼ無かった。
だから伝統的な日本音楽の人気が衰えにくかっただけなのかもしれません。
やっぱり、だんだん留学生が帰ってきて、本場仕込みの歌声が知れ渡るにつれ、「おお、たしかに綺麗な歌声だな」って感じる人が増えたのでしょう。
だんだんと「喉声」は、さげすまされ、見下され、差別されるようになっていきました。
国家が先導して、 「喉声」を差別用語に仕立て上げ、差別を助長していったのだから。
ひどい話ですよね。

だけど、ここまで読んでおわかりの通り、喉声は悪い声じゃありません。
日本音楽の発祥がいつなのかは諸説あるにせよ、少なくとも何百年もの長きにわたり育んできた日本人の歌声が、悪いもののワケがない。
喉声は劣っていないし、汚くもないのです。
もしもそんなふうに思ってた人がいるなら、いい加減、明治新政府の呪いから解けてください。
明治時代なんか、とっくに終わってるんですからね。

喉声こそ日本の声だ

日本というのは、かそけき国ですよね。
国土における森林面積が多く、四季がわかれてて、動植物が姿を変えます。
つまり、自然からさまざまな音が聞こえてくる国です。
今、これを書いてるのは秋なんですけど、さっきまで台風の雨がザーザーだったのが、すっかり止んでコオロギがチロチロ鳴いてます。
ほんと、自然からの音楽が、豊かな国ですよね。

人間というものは、生まれ育った環境に、かなり左右されます。
声も、環境によって、大きく変わるものなのですね。
モンゴルみたいな、見渡す限りの大草原で暮らせば、ホーミーといった特殊な響きの声を好むようにになります。
石の洞窟の多いヨーロッパで暮らせば、ウィーン少年合唱団みたいな、澄んだクリアな声を好むようになります。
日本で生まれ育てば、それにふさわしい声を好むようになるものです。
それが、俗に言う「喉声」なのですね。
ただし、「喉声」って言葉は、差別用語だったりします。
「喉声」って言葉は、なるべくなら使わないほうがいいのかもしれませんよね。
とはいえ、言葉狩りも好きじゃない…。
昔、作家の筒井康隆さんが、表現の自由を訴えて断筆宣言したことがありましたよね?
今は、あの頃より、もっとヒドくなってます。
コンプライアンスって言うのかな?
「不快感をおぼえる人がいる可能性があるので、この言葉を使うのはやめましょう」なんてのが、幅をきかせてます。
しかし、使える言葉はたくさんあったほうがいいに決まってます。
「喉声」は差別用語だから使用を禁止しましょう、なんてバカげてると言わざるを得ません。

昔、「芸人」って言葉は、差別用語でしたよね。
まだテレビの無いころ、「物乞い」と同列にあつかわれていた言葉でした。
「芸人なんてマトモな人間のやることじゃない」
「娘を芸人の嫁なんかにやれるわけない」とかね。
だからテレビが始まったとき、テレビに出る人を「芸能人」と呼んだのでした。
「芸人」と呼んじゃったら、さげすまされ、見下されて、かわいそうだから。
わざわざ違う呼び名の「芸能人」という呼称をつくり出したのですよね。
あるいは「タレント」とか。
ところが、テレビが勃興期を過ぎ落ち着いてくると、様相が変わってきました。
好んでみずからを「芸人」と呼ぶ人たちが現れたのです。
そう。
お笑い芸人の人たちです。
みずからを物乞いと同じような、どうしようもない存在だと卑下しながらも、むしろ、そっちのほうがカッコイイと主張したんですね。
「芸能人」とか「タレント」といった呼称は、なんかお高くとまってるようで、カッコ悪い。
地べたを這いずりまわって、もがいているかのような「芸人」のほうが、お笑いにはふさわしいしカッコイイ。
そんなふうな価値観の転換が、起こったのですよね。
これは、すごいことです。
なかなか無い。
だから、たしかにカッコイイ。

「喉声」も、同じかもしれません。
今はまだ差別用語だから、他人から「あんたは喉声だ」と言われたら恥ずかしいことでしょう。
しかし、だからといって何か別の呼称をつくり出したら、そっちのほうがカッコ悪くないでしょうか。
少なくともこの日本で、「喉声」が差別用語として使用され、傷付いた人が存在していたことは事実です。
そこから目をそらして、うわべだけ取りつくろったかのような呼称を使うのは、気取りすぎの感が否めません。
ならば、やはりお笑い芸人にならって、みずから「喉声」と言ったほうが潔いかもしれない、と思うのです。

というわけでぼく永井雅楽は、「喉声」を誇り高き言葉として、使用していきたいと考えています。
芸能民というのは、もともとは河原乞食と大差ない。
お笑い芸人さんたちの心意気を見習って、あえてみずから「喉声」と呼びたいのです。

喉声なら原曲キーも楽々

最近の歌には高音域を多用するものが多く、とくに男性ボーカルの歌でその傾向は顕著ですよね。
一般男性の多くは、たとえばカラオケで、原曲キーのままだと高すぎて、最近の流行歌はうたえないことでしょう。
流行歌なのにふつうの人が歌えない、なんて、ポップソングらしからぬ事態が起きてます。
ポップソングは大衆性のあることが前提だろうに、大衆性を捨て、一部の人のものになってる…。
しかし、俗に言う「喉声」だと、カンタンに高音域をうたうことができます。

喉声というのは、西洋音楽家によって否定的に語られることが多いですよね。
響きもザラついてて、なんとなく身体に悪そうなイメージもあるかもしれません。
だが、じつは良くできている発声法です。
喉声は、身体に負担をかけることなく、もちろん喉にも負担をかけずに、高音から低音まで幅広い音域を発声できるのです。
喉声にもさまざまなバリエーションはあって、たしかに身体に負担をしいる喉声もあるっちゃあります。
だけど、まったく負担のかからない喉声もあります。
だから、喉声で発声できるようになると、高音域を多用する最近のポップソングでも、簡単に歌えるようになります。
まぁ、ボカロ曲のように、そもそも人間が歌うことを想定していない楽曲は、話が別ですよ。
機械なら音の高さは無限でしょうから。
だけど、人間が歌うことが前提の、J-POPなどのポップソングなら、喉声をマスターすれば、ほぼほぼ歌えます。
もちろん、人には個人差というものがありますから。
すべての人が可能になるわけではありませんよ。
とはいえ、おおよそ大丈夫だと考えていいでしょう。
喉声は、とても優れた発声方法なのですからね。

喉声は、古来より日本人が育んできた、日本の環境にふさわしい発声法です。
ながらく人々に愛され、実践されてきました。
しかしながら、昨今の日本は、欧米化が甚だしいですよね。
現代人の価値観や好みは、確実に変容しています。
和風のものを嫌い、洋風のものを好む傾向が進んでいる、と言わざるをえません。
だから、喉声の響き、聴き心地を嫌う人も多いかもしれないです。
たしかに喉声は、西洋人が歌う洋楽やオペラなんかの声質とは、大きく異なります。
欧米を見上げて、日本を見下したがる人のなかには、「喉声なんかじゃ歌いたくない」と言う人がいるかもしれません。
しかし、なにかおかしい。
欧米人が喉声を否定するのは、無知ゆえとはいえ、理解できます。
生まれ育った環境がちがうのだから、否定する気持ちが芽生えても、当然でしょう。
しかし、日本人が、日本の喉声を否定するのは、おかしい。
自分が生まれ育った環境、まさにその環境にふさわしい声として古来より愛されてきた「ザ・日本人の声」を否定するのは、イカれてる。
自分で自分を否定している。

人は、自分の生まれ育った環境からは逃れられません。
良かれ悪しかれ、生涯にわたり、つきまといます。
もちろん、日本は完全じゃあないですよ。
天国でもなければ極楽浄土でもない。
悪いところや不完全なところ、醜いところや未熟なところが、少なからずあります。
だからといって、それを否定するのは、まちがってます。
否定して、無かったことにして、まるで自分が欧米に生まれ育ったかのように振る舞って…。
自分を人間だとカン違いしてる犬が、たまにいますが…。
そんな犬みたいに、自分を欧米人かのごとくカン違いしてる日本人…。
どれほど欧米を崇め奉り、日本を軽蔑しまくったところで…。
キミは日本人なのだぞ!
いくら否定したって、生まれ育った環境からは逃れられないのです。

喉声の響きが嫌いだとか、汚いだとか言う人の意見は、だから、自己喪失者の意見です。
気にすることはありません。
日本人ならば日本人らしく、地に足をつけて、喉声を大切にしていきましょう。
日本の環境に最もふさわしい声を極めていきましょう。

喉声の実践例

ぼくが原曲キーで最近のJ-POPを歌ってみた、喉声の実践例をご紹介します。

まずは、LiSAさんの『炎』。
アニメ『鬼滅の刃』の主題歌として有名な曲ですよね。
LiSAさんは女性ですけど、闘いの多いアニメだけに、カラオケなどで男性も歌いたくなることでしょう。
しかし、男性が歌うには、やや高い…。
一般的な男性が原曲キーで歌うのは難しいだろうと思います。
ところが!
「喉声」だと歌えるのですよね。
ぼくは伝統的な日本音楽が好きなので、それっぽい歌い方でうたってますけど。
この歌い方には好き嫌いが分かれるかもしれません。
歌い方ではなく、発声法にご注目して聴いてみてください。
LiSA『炎』永井雅楽が歌ってみた
https://youtu.be/Wb5peRuTF6Q

同じ発声法で、歌い方を今風のハッチャけた雰囲気にしてみました。
古い日本の歌が嫌いだという現代人でも、こういう歌い方なら違和感はないかもしれません。
Aimer『残響散歌』ハッチャけて歌ってみた
https://youtu.be/IjoTfvVcEs8


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