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待ち合わせとZ(enly)世代

Zenlyとやらが終わるらしい。

アナログ人間だし、TikTokは情報抜かれると聞いて入れていない。アホみたいなショート動画を見るのは何かに負けた気がしている。

Zenlyは自分の位置情報が友達と共有できるらしく、近くにいることが分かるとそこから「いま○○いるん?遊ぼ!」みたいなことができるそうな。

あとは待ち合わせにも使えるらしく、どこそこにいるということを地図に表示される位置情報をもとに表示させることができるらしい。

これを必要としてこなかったということは、自分はそれを必要としない人としか関係がなかったということになる。

そもそも待ち合わせって、場所が決まっていて何時にどこにいるかを共有すればどうにかなるものではなかったのだろうか。

ご飯だって、お店の場所を送って何時にそこに行けばいいかが分かればそれでよかったのではないか。

そう思っていたけど、Zenlyに頼っていた人たちにとっての待ち合わせはそうではないらしい。

偶然そこにいる人と繋がることに意味があるらしい。

例えば街中でアプリを開いて、そこに出ていた友達が近くにいたら「ご飯食べよ〜!」と連絡を飛ばす。

なるほど、確かに自分は絶対に使わない機能だ。

自分の「お出かけ」は、「いかに1日の外出で全ての用事を終わらせるか」を全力で達成すべく過ごすものになっている。

例えばこの前の外出だって、映画を観て、服を買って、それから散髪。イベントはなるべく全てを詰め込む。それを目標に予定を組む。出不精なだけなのだけれど。

その予定に、予想外はない。誰かと偶然会ってそこから食事をするなどはそうそうない。それ以前にそんな友達がいない。

偶然性を求めて街を歩く世代と、必然性を守るために街を歩く世代。普段通らない道を歩いて偶然あった喫茶店でお茶をする。みたいなそれとは違う何かを感じた。

まぁでも、自分の自分による自分だけのお出かけに、突然誰かが入ってくるのは、なんかこう、違う気がする。旅行先とかで偶然会うとかはちょっと抵抗がある。

自分が一人で飲んでいるところに偶然近くにいたからといって合流されるのも、何か違う。

結局こうして繋がろうとするアプリは、自分が一番になってしまう人にとっては必要のないものなのだろう。

こうして世間の流行が耳を通過するやつ、どこかで見たことがある。スマホとかモバイルオーダーができない老人だ。

うわ自分もうそれに片足突っ込んでんの??マジで???

とりあえず何か新しいことに触れるところから社会性を戻す、保つ?ように頑張りたい。リハビリです。

いやでも、そこまでして繋がりたいもんなんかね。わからん。


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