強く。美しく。勝つ。ということ

記事の初公開日:2016年 09月 29日

強く。美しく。勝つ。
今シーズンのマリノスの弾幕に書かれた中村俊輔選手の決意。
名門の誇りを持って正々堂々としたチームとして勝ちに行くという彼の理想だろう。

その中村俊輔が今度は膝の怪我で離脱になった。
高知で行われた天皇杯・対ヴェルディ戦での怪我。スポーツ紙サイトによると4〜6週間かかるという。
これで鳥栖で俊輔のプレーが見られなくなった。地方在住者には年に1回2回しか見ることができない日本最高の選手のプレー。どんなに待ちわびていたか。私だけじゃない。この日を心待ちにしていたサッカー少年たちがどれほどいただろう。残念でならない。

怪我はサッカー選手には付きもので俊輔の怪我が特別だとは言わない。しかしこの怪我の要因となった選手の考え方と態度は絶対にあってはならないことだと思う。
このプレーについて、ヴェルディの番記者が書いたものを読んだ。それが掲載されている有料サイトの読者であるからその記事をチェックできたし、その状況を書いた部分は無料でも見られる範囲だった。

まその記事によると
ずこの選手は最初から激しいチャージをするつもりで謝る気もなかったと言っている。
最初のチャージで俊輔が左足を抑えてうずくまり一旦ピッチ外に出て治療を受けたときはしれっと水を飲んでいた。ピッチに復帰したらまた激しいチャージで俊輔を倒したという。その間倒した選手はひと言詫びを入れるどころか、助け起こすため手を差し伸べようともしないで左右を見て、取るべきポジションを取ったそうだ。(この書き方はその記者の文のままだ)記者がのちにその選手に聞いたら「俊輔さんだからといって中途半端なことはしたくない。相手が年上だとか、立派な選手というのは、戦いの場では関係ないですから。試合中は謝らない。すみませんとは絶対に言わないと決めていました」と言ったそうだ。
この言葉とこの選手の態度を記者は褒めている。それにチャージは反則ではなかったとも。さらに俊輔にも若い頃、こんなことがあっただろうとも言っている。

すごく嫌な記事だ。19歳の若手選手の熱い頑張りを評価したつもりだろうが、相手に怪我をさせるほどのラフプレーもその熱さと若さに免じているところがずるいと思うし、俊輔も若い頃そうだっただろうと、誰もがすることだと言わんばかりの書き方で逃げている。
中村俊輔は相手に怪我をさせるようなボディコンタクトを最も嫌ってきた選手だ。体が細かったのでできるだけボディコンタクトを避けてきた選手だということは誰もが知っている。FK練習で先輩にぶつけて怪我させられないと緊張しまくったというエピソードのある選手なのだ。少なくともこの選手を見て中村俊輔は俺の若い頃もそうだったとは決して思わないはずだ。

若い選手が強気な発言をする。それを持ち上げる風潮が続いている。
その中でとても気になるのは、その言葉で自分の技術の未熟さを正当化してないかということ。
技術の確かな選手がチャージしていたら怪我にならなかったかもしれないとその時感じなかっただろうか。感じなかったらこの選手は選手としても人としても成長はないだろう。その時感じたら、とっさにあやまるなり起こすために手を貸そうとするはずだ。
それは人間的な行動だからだ。それがスポーツマンシップというものだから。

今日もU-19代表のある選手のコメントに「削ってでもポジションは渡さない」というのがあった。仲間内で怪我をさせることを前提にした言葉。例えで言っているというなら、その選手にボキャブラリーの指導をすることが大事だろう。
これらのことに、まだ未熟な若手が言うことだから大目に見ろよという人がいるがそれもおかしい。ヴェルディのその選手は自ら「年齢は関係ない」と言っているのだから、言葉と行為への責任は自らが引き受けるべきだろう。


とにかくスポーツマンが怪我でその道を閉ざされるのが一番悲しい。

怪我のために泣く泣く自らチームを離れた選手を知っている。
その選手が「取り替えることができるならあなたの膝と僕の膝を取り替えてもらいたい」と呻くように言ったという話も聞いている。怪我で前途を絶たれるということはそのようなことなのだ。

間違っても怪我をさせることを前提にした考え方やプレーはやめてほしいし、指導者が厳しく注意してほしい。

技術を磨き、相手選手をリスペクトすることで絶対に試合中の怪我は減ると思う。
育成や指導の根本はそこにあると思う。

知的でありながら、激しく美しいサッカーは必ずあるはずだ。

私が応援しているチームはきっとそれを求めていると信じている。

今はまだ未熟だが、日々技術を磨くことを怠らず、相手選手へのリスペクトと人間らしさを忘れない誇り高いチームであろうとしていることを信じている。

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