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旅の話.64 ナポリ①

ブリンディジから夜行列車に乗って、ナポリに着いた。
今はどうだか知らないけれど、当時のナポリは治安が悪いと聞いていた。
1999年8月の話だ。

「青の洞窟」のあるカプリ島へ行きたいジョセフィンとは、ここでお別れだ。知り合って約1週間だけど、結構長い間一緒にいた気がする。

僕はまず、ホテルを探した。
駅の近くにある安宿は「ホテル・コロンボ」だけだった。
1泊40,000リラ(2600円程)だった。
久しぶりの個室。
となりの部屋のテレビの音がうるさかった。

夕方、街を散歩した。
駅で日本人旅行者の赤井さんと出会った。
「どこか安宿を知ってたら教えて」
と言うので、僕と同じ「ホテル・コロンボ」へ案内した。

赤井さんは大阪のおじさんで、1995年の阪神淡路大震災の経験者だった。
さらに数日前にトルコでM7.8の大地震が起きた時、イスタンブールに居た。
大震災に縁のある人みたいだ。

一緒に街を散歩した。
イタリアの主要都市に必ずある大聖堂(ドゥオーモ)を見た。
食事をした帰り道、後ろから走ってきた2人乗りのスクーターとぶつかりそうになった。「危ないな……」と思ったけど、話に夢中になって歩いていたので、気を付けなきゃいけない場所で、僕は油断していた。

しばらく歩いて、一瞬の気配を感じ、ふと左後方を振り返ると、さっきのスクーターに乗った2人のどちらかと目が合った。
「!」と思った瞬間、強い衝撃を受け、よろけた。
スクーターは走り去るが、15m程走った所で停まり、こちらを振り返った。
僕は何が起きたのかわからなかった。

しかし、スクーターの男の手に、僕が斜めがけしていたサコッシュがあった。そのサコッシュは、エジプトのヌエィバでショウキーからもらったものだ。中にはカメラが入っている。作りはちゃっちいので、強く引っ張れば本体と紐が簡単に外れてしまう。

ひったくられた。
と、思った瞬間、僕はダッシュしていた。
15m程先に停まっていたスクーターの2人はあわてて逃げた。
路地を曲がられ、見失ってしまったが、音を頼りに勘で探し回った。
しかし、この街は常に多くのスクーターが走り、すぐに音もどれだか判らなくなってしまった。土地勘も無いし、あきらめるしかなかった。

怒りは収まらなかったが、半分は相手へ、半分は自分の不注意へだった。
治安が悪いと知っていたのに、夜に無用心に出歩いていた事が悔やまれる。ここはこう言う街なのだ。

赤井さんの所に戻ると「良かった~、追いかけて行って誘い込まれて、さらにひどい目に遭ったり、最悪の場合殺されちゃう可能性もあったから、無事戻って来れてよかったよ」と言われた。

ホテルに戻ってからも、怒りで眠れなかった。
となりの部屋のテレビの音は、夜中もずっとうるさかったので、余計に腹が立った。


……と、いう事があったので、アテネの途中から、この先しばらくの間の写真が無いです。スウェーデンの友人の納まった写真が無いのが悲しい……。

つづく


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