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連載「アジア文学への招待」最終回でラシャムジャ『雪を待つ』(星泉訳、勉誠出版)を取り上げました。

チベット文学、いや、アジア文学の大傑作です。この連載のお話をいただいたときから、最終回は絶対にこの小説にしようと決めていました。

この物語はチベットの奥地にあるマルナン村に、雪が降ったある朝の情景から始まります。1980年代。文化大革命が終わったばかりのチベットは、新しい時代の幕を開けようとしていました。

文革で破壊された僧院が復興され、中国政府によって教育の普及が進められると、この村にも学校が建設されます。その学校で〈ぼく〉や幼なじみたちが成長を遂げる姿を鮮やかに描写する本作の前半にあって、文字は、チベットの人々に内面的な変化をもたらす近代化の象徴として描かれています。

つまり、この作品はチベットがいかに近代を経験してきたのかを僕たちに教えてくれる長編小説なのです。「ポスト文化革命」とでも呼びうる時間のなかでチベットの人々はいかなる生の変容を体感したのか。そのことがまざまざと書かれています。

〈ぼく〉は、繊細な優しさを持つ少女のセルドン、僧に憧れるニマ・トンドゥプ、洟たれ小僧のタルぺといった幼馴染の三人とこの村で育つ。その純朴なまなざしで見つめる、チベットの世界はあまりに牧歌的で、あまりにまぶしい。しかし、その輝きにどこか「寂しさ」が滲み出てるのは、この小説が、大人になった〈ぼく〉が21世紀の、伝統が壊れつつある現在に、失ったものを懐かしむように書かれた作品だからなのでしょう。

あたしたち大人にならなければどんなに楽しかったでしょうね。

書評でも引用しましたが、これは、大人になったセルドンの言葉です。チベットの変化という現象に内在する悲喜交々の感情を、巧みに掬い取った世界文学の傑作。今なら勉誠出版のホームページからオンデマンド出版で購入できます。

絶版にならないうちにぜひお求めを。

さて、これで「アジア文学への招待」全6回が終わりました。『英語教育』という英語の先生のための専門誌でアジア文学の連載をしてくださいと頼まれたときには、えっ?と思いましたが、とても楽しかったです。担当の方はヒンディー語で修士課程まで進み、インドにもしばらく住んでいたことのある異色のキャリアの編集者さんだったのですが、彼が毎回、僕の取り上げる本をしっかりと読み込んでくれてたので、こちらとしてもやり甲斐がありました。ほんとうにありがとうございました。

* 全6回は許可を得たのでそのうちにネットに転載します。

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