連続対談「私的占領、絵画の論理」について。その29「及川聡子の「凄さ」は一瞬でわかる」

前回の続き。画家の及川聡子さんのお話を伺う

連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」
第五回「絵画における人のかたちと外部」─及川聡子─

は、土曜日20日になっております。宮城から作家さんをお呼びする、めったにない機会です。なんといっても、対面でお話ができるのは、なかなか得難いチャンスとなってしまった昨今です。ご来場くださいませ。

さて、及川さんの作品をめぐって、遠くまでやってまいりました。レオナルド・ダ・ヴィンチから始まって、ジャコメッティやヒルデブラントを経由し、果てはユングや押井守やコーリン・ロウまで出てきてしまいました。途中では急ごしらえのインスタント美術史まで製造(捏造?)してしまいました。

注意を喚起しておきたいのですが、牽強付会なこじつけをしたつもりは全くありません。及川さんの作品を虚心坦懐に見つめていけば、このくらいの引き出しは、開いてしまうのです。この古今東西感。

一般に美術は複数の文脈や歴史を踏まえて見られるとされる、それこそが「アート」の「高尚性」なのだと思われていますし、ある程度は事実です。しかし「知識や教養がなければ作品を見ることができない」わけではありません。少なくとも、及川聡子という画家の作品は、一見して難解なわけではない。だれでも、磨きぬかれた技術と構成、そして触るのがためらわれるような完成度に目をみはるはずです。誤解を恐れずにいえば、及川聡子の「凄さ」は一瞬でわかる。しかも、完全に、とはいいませんがかなりの程度、観客個々人の持つ背景や年齢や立場を超えうると思います。

そのうえで、「なんでこんなに凄いのだろう」と考えるとき、初めて美術史やひろく芸術や宗教についての図書館を開かねばならない。一目見て分かることと、相当に幅広い作品経験を要求されること、この両面を併せ持つ作家はけして多くはありません。及川聡子という作家は、だから、稀有なのです。

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いまの「現代美術」と呼ばれる領域が立ち至っている困難は、この「見た目の凄さ」が視覚エンターテイメント的な「ショー」に近寄ってしまい、かつ、複雑な文脈や歴史性が、あまりに特定の「いかにも現代美術的な」クリシェ(お約束・紋切り型)に陥っている。そして両者の結び付け方だけが、まったく外部に理解不可能な形での「ゲーム」になってしまっているところにあると、僕は思います。進化の袋小路に完全にはまり込んでいる。

そういうとき、多くの現代美術家やメディアが見落としている場所で、こんなにも豊かな実践が行われている。及川さんの成果を「いや、これは現代美術ゲームにハマらないから」という理由で棚上げしてしまうのは、あまりにもったいないと思います。というよりも、明らかに困難に直面している「現代美術」を再構成してゆく契機を、及川さんの作品に求めてもいいのではないでしょうか。

もう一つ。ここまでの記事でなんどか触れましたが、いま、美術という場所で試金石になるのは、近代というモノに対する向かい合い方だと思います。これまた書いたように「近代美術よさようなら」と簡単に言うのは、難しいかどうかというより、危険です。そこに様々な暴力性を孕んでいることは前提として、人間としての権利や尊厳を広く(この「広く」が植民地主義や文化破壊、戦争を伴っているのは事実です)いきわたらせてきたのが近代なのですから。

加えて、それがいかに特殊なものであったとしても、近代の美術が打ち込んだ楔なしに芸術を検討するのは、やはり少々もったいない。よく誤解されていますが、近代美術は十分豊饒です。ただ、近代以外のものを、どうしても排除的に(あるいは従属的に)扱う態度を呼び寄せてしまう。そこには注意がいるでしょう。

近代以外を切断するのが原理的に近代なのだ、というのはドグマティックにすぎるでしょう。まさに、コーリン・ロウがコルビジェとパッラーディオの共通性を証明してみせたように、実体として近代は近代の外部を基礎に据えているわけです(近代の外部に依存している、とまでは言わないようにしましょう)。

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及川聡子さんにしても、バックグラウンドに東方正教や人形制作といったものを持ちつつ、形式的には日本画、つまり明らかな近代絵画の一部としての日本画を、しかもかなり厳格に踏まえている。既にお寺の襖絵や、いまはイコンの制作も進めているとのことですが、これらもあくまでスタンダードな日本画制作を基礎にもってのお仕事だと捉えるのが自然でしょう(今後、どういった方向に制作活動を展開されていくかは未知数ですが)。

そのうえで、今美術芸術に関わる人々が明に暗に感じているデッドエンドを、どのようにオーバーしていくかは、やはり模索せずにはいられません。

さて、及川さんの作品については事前に書きたいことは書きました。あとはご本人のお話をお聞きしましょう。20日、ご来場下さい(「私的占領、絵画の論理」は動画公開も書き起こしもいたしません)。

ただ、及川さんとは関係ないことで、ちょっとだけ書きたいことがあるので明日も更新します。(続く)

※「私的占領、絵画の論理」は要予約です。関心ある方はこちらへ。

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