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独身子無の老後③

介護虐待

病院で即入院となりました。

その後退院しましたが、足に虫刺されの後?から潰瘍になり、近所の病院で治らず入院。
長期にわたる投薬のせいか、治りが遅い、しばらく入院してもらいましょうと、ジュクジュクが消えるまで数か月入院させてもらい、時折病院へ行くだけの日々となりました。

しかし時折来る病院からの電話に「ドキ!何かあった?!」とパニックパニックパニクルーΣ(゚Д゚)でした。
母も通院でしたが、母は家から5分ほどの病院だったのでまだ楽でした。

伯母を施設に、しかも癌なので、看護のしっかりしたところ、となるとお金はちょっとかかるよね、でした。
伯母の貯金を私の知り合いを交え(第三者としてMさんに客観的判断をしてもらいました)話し合いましたが、Iさんへの送金が大きく・・・
どうしよう・・・って話でとん挫を繰り返しました。

伯母も「あんなに兄弟のように育て、何かあれば(主にお金)世話してやったのにIに裏切られるなんてつらい」という思いがあったと思います。
だんだんIのことは言わないでと母に言うようになっていました。

「聞きとうない・・・」と弱弱しく顔の前で手を左右に振っていました。

足の治療が終わり退院し、また母と二人で楽しく過ごしていました。
以前は伯母に対して「あんなに気難しい人はいない」
伯母は「あの人(母)は私を家政婦と思って使ってる」と仲良さそうでお互い憎みあっていましたが、比翼連理、一人だと何もできない、、、頼るしかない相手、パートナーとなり、伯母の命の火が消えようとしているせいか、表面的に仲良し義姉妹となっていました。

Mさんは私のお稽古ごとの仲間で、70代男性です。
現役でお仕事をされており、色々なことに詳しく、律儀。
私が母のことを相談したときも、自分で役に立つのなら~と気前よく家族の中の揉め事を収めてくれました。
今でも「近くに来たから~」と私が福岡で居ないときに実家に寄っては母の話し相手をしてくれています。
ありがとう・・・Mさん。

Mさんも「伯母さんも困ったね、なんでIさんにお金送金しよったんやろか。今後も考えてやったんやろうけど、ひどいねぇ。老人が老人からお金を取る。ひどい構図やね」
伯母80代
Iさん60代
なんだかねぇ・・・

伯母は刺身が好きだったので、食も細くなったので、私がいるときはできるだけおいしいお刺身や珍しい食べ物を買って帰っていました。
あれだけ毛嫌いしていた私に「わぁおいしそうな海鮮丼。(人''▽`)ありがとう☆!」と言ったり「お母さんの認知がだんだんね・・・二人で頑張りましょうや」と言ったりしていましたが、私は「空々しい」なんて思いながら返事をしていませんでした(・へ・)うの聞いて「同じだな」と思いました。
やったほう、言ったほうはその程度。
今の自分が大事。
自分さえよかったらいい。

伯母は転院、転院で数か所。
最終的に長く癌治療でかかっていた病院へ。
「本人希望でホスピスとのことでしたが、それでよろしいですか?」
そんな話してたんだ・・・
「何年か前も話したんですが、よく頑張りましたよ、もう治療ではなく緩和でいい頃ではないですかって話したんです。本当によく頑張りました」伯母は病気だったせいか、健康サプリを何十万単位で購入していたし、普段の食一本こだわっていました。
一本1800円の健康ドリンクを毎日飲んでいて、母は「あの人こんな高いの飲みよる( ゚Д゚)」とよくこぼしていましたが「私は好きなだけ使って死ぬ」と言っていただけあり、健康にすべて投資。身なりには気を配らなくてもかまわないという選択をしていました。

今となってはお金の心配せず、一番いい部屋にしてあげたらよかったな、と思いましたが、そのころは何年になるかわからないからと普通の個室をお願いしました。
看護師さんから写真とか飾っていいですよ、と言われたので、急いでよかったころの思い出の写真を数枚、病室に貼らせてもらいました。
「あら~ご家族ですか?」と看護師さんの感嘆の言葉に「はい、これは甥っ子、こちらは姪っ子」なんて楽し気に会話していました。
頭は最後までしっかりしていました。
私は「宿泊可能です」と言われていたので泊まっていました。
イコール長くない・・・?

何度か伯母が「あんたの写真はないんね?」
ようやく気が付きましたか・・・私は毎回家族の撮影係。
自分の入った写真はありません。
ほぼ誰も「代ろうか?」はなかったんじゃないかな。
別にいいです、それで。

「スイカ食べたい・・」
わかった今度持ってくる。
母を迎えに行って面会させて、その間私は家の事やって~ってのを数回繰り返し。
スイカを持っていき、スイカを汁だけにしたのも持っていき、母を連れて帰ったり連れて行ったり。
母は何度も「I呼ぼうか?会いたいやろ?最後かもしれんよ?」を尋ねましたが、その都度「いや、いい・・・絶対に・・・はぁ・・・はぁ・・・言わない」
最後の言葉は母が帰るとき「また来るよ、お義姉さん、頑張ってね」に対しての返事でした。

「スイカ、おいしい。汁にしてくれたんや・・・ありがとう」
ほとんど残していました。

私は病室で本読んだり、YouTube見たり、うたたねしたり・・・
伯母は自然喘鳴っていうの?いびきみたいな音を出して寝ていました。
が、何度かあれ?って感じで。
たまたま母が帰った後当直だったからと、40年近い主治医の先生が見に来てくれました。
「ああ、寝てますね~うん、痰はそのままで、体に負担がかかりますからね。これくらいなら(痰を取る処置)しなくていいでしょう。本当に、よく頑張りましたね~」ってコンバースの黒を履いた先生が戻っていきました。

看護師さんもちょいちょい見に来てくれましたが、先生がそう言ってました~というと「はいはい~」とちょっと触って体温確認したりして出ていかれました。

YouTubeのトッシー先生の動画見てました。
・・・やばい?もうすぐ・・・?

んで、しばらくして「ぐごごっ?」みたいな妙な呼吸、胸が上下してるのが大きくなったぞ?看護師さーんΣ(゚Д゚)
って来てもらったら「どなたか呼ばれますか?」え?そんなタイミング・・・?
母に即電話しタクシーで来てもらいました。
迎えに行かないと病室までたどり着けません・・・
院外で母を迎えて事情説明。
泣きながら、ゆっくりとしか歩けない母・・・「お義姉さん・・・お義姉さん・・・おいていかないで・・・」

母が到着したときはすでに、で30分ほど家族の時間いただき、先生から「ご臨終です」のお言葉でした。

色々手続き終えて後日先生、看護師の方々にお礼伝えに行きました。

病室で「ごめんけど、墓地ってどうしてる?互助会とか入っとるんやったっけ?」なんてこともお尋ねしました。
ほとんどが「わからん、適当にしとって」やったけど、ある程度几帳面にしてくれていたので、銀行は一つだったし、借金は無し。
トータルして数十万円残りました。

遺影→予め撮っていましたが最後はどこにいったか分からず、私が10年以上前に撮っていた画像を利用
お墓→契約の書類があったので手続きに行きましたが、伯母と私の関係書類が納骨には必要で遠くの役所まで行かなくてはいけなかった><
その他各所へのご挨拶
ケアマネさんには本当によくしていただきました(/ω\)

リビングの伯母が寝ていた場所はベッドが回収されてがらんとしていました。
伯母が生前いたときは、朝起きてリビングに入るとなんとなくムッとした伯母の寝息でリビングが満たされており・・・息苦しさを感じてすぐに窓を開けていました。
それももうない。

毎週実家に深夜帰ってきたら「うわぁ~びっくりした~~」「あんたおったんね」ただいまって言ったよ・・・耳が悪くて聞こえなかったんだな・・・とは思うけど、毎回です、毎回!
非常に不愉快で、兄は生前「あいつ(伯母さん)家から出せ、出て行ってもらえ、I宅にさっさとやれ、金も払わんで」って言ってました・・・
兄が病気になってからはコロッと「ありがたい、居てもらって」って態度が変わりましたが・・・

Iさんに「私名義の家なので、伯母を私の家に置くならお金を戻してあげてください」を手紙出したけど「あんたの名義とは知らんかった」と母へ言って終わりでした。
お金はとにかく一円たりとも払わない。

周りからは頑張ったね~
なんでそこまで言われてやってあげてるの
よくやってるほうだよ
なんて言われましたが、やはりもっとできたんじゃないかな?という思いは消えず・・・
時折伯母さんの人生はよかったのかな?と思い出します。
人生の最後で一番信用していた、一番好きだった人に裏切られ・・・
お金がもっとあったらいいところにも入れただろうし、とも思ったけど、人の本性ってこんな時に現れるんだ、とI嫁のすごさを見せつけられたりして悲喜こもごも。
母も最期のほうは本当に伯母によくしてあげていたと思う。
声掛けはすごいな~と感心した。
母の時に私はあの声掛けできるかわからない・・・

老人が老人のお金をあてにする。
介護するよ~と安心させておいて金を出させ、実際介護必要になったら知らんふり。
ひどいです。
でもそれがまかり通ってる。
つっちーからも「こんな記事あったよ」って送ってもらって初めて「介護虐待」の言葉を知りました。

母もだんだん義嫁から虐げられているのを理解してきています。
Mさんが訪ねてきては「おかあさん、お金は小分け、毎月いくら、とか分けて渡すと孫も来てくれるけど、一気に渡したらありがたみも薄いし、訪ねてこなくなるよ」と諭してくれてますが「そうですよ、そんなもんですよ!」って返事されるらしく、頭を搔いています。
Mさんが「孫は来ますか?うちはしょっちゅう来ますよ、って言ったら中々来ない、サッカーで忙しいし、大学生のお姉ちゃんは遠くだからって。用事頼んだらお義嫁さんは頼まれてくれますか?って聞いたら、忙しいって断られてばかりってこぼしてたよ。すごいねぇ、お義嫁さんは前世よっぽど善行を積んだんやろうね」と。
Mさんには伯母のことも色々助けていただいたので数年たちましたが、色々お礼をしています。
まだ母のこともありますし・・・

Iさん、あまりにもひどい仕打ちだったと思いますよ。

それに何度も「うちのマンションの鍵だけは返して」って・・・自己中心的ですね。
亡くなったことは風のうわさで聞いたようですが、なんの音沙汰もありません。
母はしきりに「知らせようか?」と言ってましたが「逆にお金残ってないと?よこせ」って言われるかもよ、というと「それもそうやね」とあきらめてはまた同じ話を繰り返しました。

お金はあっても困りません。
大事にしましょう。



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