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新田義貞の後を追って気づいたこと

 ちわっす。「群馬県に関わるものを小説にすればいい。その分野でシェアを取れれば強い」と思い込んでいる、長島です。


 私はデビュー作が「紹介文が内容と違う」「作品のテーマを変えられた」「作者のコメントを知らずに変えられた」という苦い経験があるのですが、

「群馬を舞台にしてくれてありがとう」

 と人に言われ、「あ、群馬県を舞台にすれば読んでくれる人が確実にいる」と感じ、群馬出身の強みを活かして群馬に関する人物や出来事を調べています。

 まずは中島飛行機に着手し、中島知久平を調べ上げ、

「膨大なページ数になってしまった。そうだ。『風立ちぬ』のように技術者の視点で描いてみよう」

 で、隼や疾風を設計した航空技術者、小山悌さんを主役にした「銀翼のアルチザン」を世に出すこと成功しました。



 一身上の都合でこの作品を仲介してくれたエージェントとは契約解除をしましたが、

「群馬の有名人といえば太平記の新田義貞だぜ」

 ということで、実地取材をしました。

 銀翼のアルチザンは地元だったので(既存の中島飛行機本は東京の工場にに偏っている)、何度も関係各所に足を運んで文献との照らし合わせをしました。

 今現在はデビスカップで活躍した大正時代のテニス選手の清水善造も同様に現地の取材で既存の説との違いを発見しました(※原稿は完成中)。


 とにかく太平記の五番手ぐらいの新田義貞の実地取材をしました。取材先は稲村ヶ崎です。

 この取材は、「実際に群馬から稲村ヶ崎まで向かってみよう」とバイクを
走らせて新田義貞の気分を味わうことが目的でした。


 で、鎌倉討伐への進軍ルートはいくつもあります。大所帯なので分散して進軍していました。中立派の呼びかけをしていたことでしょう。密偵である天狗や山伏とコンタクトを取りながら進軍していたでしょう。

 私は「山岳ルート」を選んで稲村ヶ崎に向かいました。だがしかし、山岳ルートなので何度も道を間違え、何度もGoogleマップを照らし合わせました(おかげで「新田一族」の名を冠した地名を発見。足を運ばないと気づかない)。

 想像以上に時間がかかり、稲村ヶ崎についたのは夕方でした。ちなみに、急にまとまった休みが生まれたので発作的に取材を敢行しました。


 理想は旅の途中の写真を上げながら、現地の図書館を調べることですが日帰り取材の強行軍を実行したので、「稲村ヶ崎公園に寄っただけ」という結果に終わりました。


 実はこの近くに、デビスカップで活躍した清水善造と熊谷一弥に関係ある人の施設があるのでついでに立ち寄る計画もしましたが、日曜日の観光地なので観光客と渋滞の多さに辟易しました。


 江ノ電が満員電車でした。雰囲気で「中国の観光客だな。スラムダンク、恐るべし」と勝手に思いながら、数々の取材を諦めて家路につきました。


 正味、バイクの日帰りとはいえ、「新田義貞はこんな気分で鎌倉討伐を目指していたのかなー」といろいろ思いながら、この経験を作品に落とし込んでやろうと思っています。


 で、このノートを読んでくれた人への取材のアドバイスを僭越ながらしたいと思います。


「取材日は前もって決めましょう」
「とくに現地に足を運ぶ際は、当時の武士のように装備を充実させましょう」
「日帰りでは、ついでにあそこも取材しよう、は無理が生じます」
「土日祝日は、観光地では観光客が多いです(駐車場探しに時間が取られる)」
「作品が世に出れば『実際に足を運びました』と言えます」


 あたりでしょうか。


「逃げ上手の若君」に便乗して、太平記作品は狙い目だと思います。


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