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ヒラメを食べるのは何故なのか?

定期的にお越しくださっている小学生男子から意見を求められました。

内容を要約すると以下の通りです。

「他校にてクラスで育てたヒラメを食べるかどうか議論され、多数決の結果食べられてしまった、納得できないのですがどう思いますか?」

これは適当に答えて良いお話ではありませんね。

詳細がわからないため、とりあえず保留したところ「返答はブログ(noteのこと)に投稿してください」と宿題を賜りました。

まずは事の経緯を把握しなくてはなりません。

ネットで検索すると、件の報道が見つかりました。記事が削除されずに残っていて良かったです。

(前略)2日に行われた6年2組の授業には、児童25人が参加。ヒラメを食べるのか、食べないのかを多数決で決めるため、討論した。(中略)
児童らは再び話し合い、多数決を採った。19対6で、食べることが決まった。(以下省略)

読売オンライン

僅差かと思いきや、なんと「食べる派」がトリプルスコア、圧勝ですね。

同記事内で、食べない派はこう語っています。

「大きくなったので、海に逃がしてもっと大きくしてあげたい」
「天然のヒラメが減っていると習った。放してあげて、子孫を残してもらうほうがいい」

読売オンライン

どちらも、納得のご意見です。合理性も備えていますので文句のつけようがありません。

一方、賛成派の主張はこうです。

「育てた責任もあるし、命のありがたみを感じたい」
「食べることで、最期を見届けたい」

読売オンライン

なんと言いますか、微妙ですね。説得力はありません。

もっとも、記事だけでは言葉足らずに感じますが、本来の主張は「育てた責任もあるので、海に戻して死なせてしまうくらいならクラスの皆で食べるべき」こういう事ではないかと予想します。


さて、ここで考慮しなくてはならないのが、ヒラメは偶発的にクラス飼育する事になったのではなく、養殖振興会の監修の元で行われた授業だという点です。

最初から養殖として飼育するなら、最終的な結論が「食する」になったとしても不思議ではありません。

ところが、飼育するうちに、ヒラメたちに愛着を持ってしまうと困った事になります。

ペットと養殖、同じ命とはいえ、同列で考えてしまうと自分の中で整合性がとれなくなってしまうのです。

なんらかの事情で飼えなくなったとしても、学校で飼育していたウサギを食べたりはしないでしょう?

「食べることで、最期を見届けたい」と主張する声があがるはずもありません。

結論と致しましては、「食べる」という前提で飼育していたため、多数決でも「食べる派」が優勢になった、そういう事だと思います。

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