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青いうちは大海を眺めよ

自分の若さに価値があると思っていた 。
他人から褒められ、青春を楽しめと言われた 。
だが遅かった、精神年齢が追いつくのが、気づいた頃には遅かった。
高校生生活には終わりが近づいてきている。
そうだ、僕は大海を知らなかった。
そしてその一粒一粒の輝きに興味を示さなかった。
幸福とは相対的なものだ。
その相対性は時に妬みを生み、慣れを覚えさせ、いつかそんなことがなかったような日がくる(そう思いたいだけなのかもしれないが)それはいいことでもあるが後悔を残す。
只々、変えられない過去として意識の深いところに残留する。
過去の記憶として残すことは非常に容易であるが自分だけでは不可能に近い。
他人がつける記憶の傷は大きいが自分がそこに傷付けることはできない。
そして他人からの干渉を嫌う僕は傷つくことがもうないであろう。
今は傷のついた自分の体を眺めている。
色々あったがこれでよかったのだろうか?

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