青山れんぺいば

れんぺいば と 六道の辻

練兵場は、「れんぺいじょう」と当たり前に読み下していますが、「れんぺいば」とも読むこと、明治大正の頃の人々が「あおやま・れんぺいば」と呼んでいたことを知りました。
工場を、「こうば」とも言いますね。
どのくらいの人が、いつ頃迄そう言っていたんでしょうね。


神宮外苑の設備は完成されてから、この年度(大正)内に、日に増して親しみの増すものがあり、この地域は元のー明治時代のー青山練兵場で(レンペイバとよむ)、「青山練兵場」には、われわれ少年時代の夢が少なからず埋まっている。

(木村荘八「大正」ということ」)より
『写された港区』4,東京都港区立みなと図書館,1984.3.
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9643090

れんぺい‐ば【練兵場】
〘名〙 =れんぺいじょう(練兵場)

※落語・阿七(1890)〈三代目三遊亭円遊〉
「また六道の辻抔(など)と云ふと現時(いま)は練兵場(バ)に成って広々致しましたが」

出典 精選版 日本国語大辞典

(注)六道の辻・・・後に練兵場になる場所に、江戸時代からあった六つの道が交差する辻。全国各地に六道の辻がある。仏教の六道にも通ずる。傍に「なんじゃもんじゃの木」があり、別名「六道木」とも呼ばれた。

「六道ノ辻」
国立国会図書館 デジタルコレクション
『〔江戸切絵図〕. 青山渋谷絵図』, doi:10.11501/1286667

横浜【勝烈庵 馬車道総本店】横にある「六道の辻通り」
後方は【馬車道十番館】 撮影・下駄
裏側


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