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【エッセイ】努力は宗教

努力は嘘をつく。

努力をしたって報われないときはある。それは努力が足りなかったというより、仕方がなかったと言うべきだ。

「完璧な努力などといったものは存在しない、完璧な絶望が存在しないようにね。」そう言って慰めたい。


僕だって何度も努力に裏切られてきた。どんだけ誰かに勝ちたくて、勉強をしても、ダンスを練習しても、スマブラを毎日しても、負けることはたくさんあった。

なら、努力に意味はないのか?

努力に意味があるか。もし世界中でアンケートを取ったら、結果は五分五分になるだろう。

才能は遺伝で50%は決まり、あとは育った環境で決まる。ましてや努力をできるかも遺伝で決まるなんてことを言われている始末。

努力すればなんでもできる! そんなことを言った日には、あだ名が「悪徳インフルエンサー」になってしまうこの世の中で。

努力に意味はある、僕はそう言いたい。


努力は宗教だ。

宗教って悪口で使われがちだけど、宗教はどちらかといったら良いものだ。

「神」という僕たちを救ってくれる存在をつくり、それを信じることで、それが拠り所となり、力になってくれる。

つまり宗教とは、信じることで僕たちの力になってくれるものだと言えるだろう。

それは努力と同じだ。

努力は信じることで、僕たちの力になってくれるのだ。

なんでもかんでも遺伝で決まると言われている世の中で、努力を信じることができれば、自分はなんでもできる気がしてくる。

逆に努力を信じることができなかったら、自分はなにもできないと寝込んでしまいそうだ。

このどちらかだったら、僕は努力を信じる。

そういう意味で、努力に意味があると、僕は言いたい。


僕は小説家になりたい。才能がどうとか、そういうのは置いといて。とりあえず努力を信じて、書き続けたいと思います。


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