【エッセイ】暗い人間だから暗い作品を書いてしまうのか!?
先日、ひっっさしぶりに短編小説を書き上げました。ここまで暗い作品にする予定ではなかったんですが、なぜか頭からケツまで暗い話になってしまいました。
今までもそうで、初めて書いた『なんてね。』から『最悪の一日』『破壊したい愛』と、すべて暗い雰囲気を漂わせてしまっています。
なぜだ……。
僕の小説を読んだ人には、日常での希望を見い出せるようになってほしいと願いながら書いています。決して、僕の小説を読んで、暗い気持ちになってほしいとは思っていません。
だから、上で挙げた作品たちもバッドエンドではない(『なんてね。』に関しては微妙)。
なぜ、暗くなってしまうのか。
いや、なんで書いた本人が分からんねん!
……というのは、まあ置いといて。自分でも分からないんですよね。
僕の性格が原因なのか。
たしかに。僕はどちらかといったらポジティブなほうなんだけど、根っこはネガティブなやつだなあとつくづく感じる。
ポジティブなほうが人に好かれるからずっとポジティブに生きてるけど、元々はネガティブで、暗い人間。
作品は自分の子どもみたいなものだから、僕の暗い性格が遺伝してしまっているのかもしれない。
そう考えると愛おしく思うけど、我が子たちよ、もうちょっと明るく生きてもいいんだぞ?
そして、これはほぼ正解みたいなものなんですけど。書いた作品が暗くなってしまう理由。それは、明るい話にはドラマが無いから。
終始明るい話というのは、多分だけどつまらない。何も上手くいかなかったり、悩んだり、人が死んだりするほうがドラマがあって面白い。
面白い物語というのは、ほとんどが暗い話だと思ってる。『進撃の巨人』は人がクソほど死ぬし、『エヴァンゲリオン』だって人がクソ死ぬ、『コードギアス』だって人がクソ死ぬ。
面白い物語は人がクソほど死ぬ暗い話ばっかりなのだ。
まあ明るい話でも面白い物語はたくさんあるんですけど、でも、とにかく人がクソほど死ぬ話が多いと思います。
作家として、自分の分身でもあるキャラクターを殺すというのは相当な覚悟がいるし、罪悪感があると思う。というか、そこに罪悪感がない作家って、作家失格。
作家が覚悟を持ってキャラクターを殺すからこそ、作品には重みが増す。
作家がキャラクターを殺すことに反対はしないけど、僕はドラマを作るためといって無闇にキャラクターを殺したくはない。
覚悟が無いというのはもちろん、キャラクターを殺すというのは人を殺すということで、そんなことを簡単にしてはいけないと思う。
なんて、こんなことを言っておきながら、先日書いた『愛を込めて、メリークリスマス』ではキャラクターをたった一行で殺してしまっているんですけど。
自分はまだまだ作家としてダメですね。そもそも投稿頻度がカスすぎて……先日の投稿は約1年ぶりで。まあプライベートで色んなことがあって書けなかったというのはあるんですけど……。
いや、そんな言い訳は許されん!書け!書け!俺よ、書け!
最近はだんだんと執筆頻度が増えてきて、調子も戻ってきて、執筆も楽しめてきたので、これからクソほど投稿したいと思います。
作家としてはまだまだで、模索中という感じではありますが、何卒、長月龍誠をよろしくお願いします。
#絶望のメリークリスマス
先日投稿する前、たまたまこの企画を見つけまして、もともとクリスマスをテーマに書いていたし絶望という感じだったので、応募してみました。この企画に参加できたという面では、暗い話を書いててよかったとも思います。
山根あきらさん、素敵な企画をありがとうございます。マガジンに追加してくれたり、Twitterで紹介してくれたりと感謝してもしきれないです。また企画があれば参加したいです。
クリスマスが近づいてきて、みなさんも思うことはたくさんあるのではないでしょうか。楽しい気持ちはもちろん、嫌な気持ちだってあるはずです。その気持ちを文字にして、みなさんも応募してみてはどうでしょう。そして、みんなでワイワイしましょう。
◆長月龍誠の短編小説
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