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「卑弥呼」と「卑弥弓呼」の出生

本文は、「永瀬淳幸」著「邪馬台国・倭国三十国」比定の「音形読み」によります。本文中の マ行音・ン音 の音形に使われた ,区切り内、 を ・容積内、 と変更してあります。

「倭国」倭王権の初まり
紀元前の数百年前です。皇紀660年になるかも知れません。「九州人国」と「九州島」に移住した「狗邪韓国渡来人国」が連合統一して出来た、

「倭国(連合を称して倭)」内は、「九州人国」内の二盟主王と「狗邪韓国渡来人国」の一盟主王の連合による倭王権が生まれました。「倭国統一三ヶ国盟主王連合」と自称しています

「倭国統一三ヶ国盟主王連合」
九州人国七ヶ国盟主王 … 弥奴国王
九州人国七ヶ国盟主王 … 好古都国王
狗邪韓国渡来人国六ヶ国盟主王 … 
          (倭国創建時)斯馬国・北九十九島地区王
狗邪韓国渡来人国六ヶ国盟主王 … 
          (邪馬壱国倭王国創建時)斯馬国・伊万里湾地区王
(魏志倭人伝からの国数です)

倭王権の拡散
「倭国」誕生の数百年後に中国を統一した「始皇帝」に東海の三神山から不老長寿の薬を取ってくるようにと膨大な援助を受けた「徐福」船団が、「倭国」内の「狗邪韓国渡来人国」の母国である「狗邪韓国」を占領して「狗邪韓国王」を捕らえ、

「狗邪韓国王」を伴った「徐福」船団が「倭国」に到着して「倭国」に移住しました。

そして、「狗邪韓国王」の下に「狗邪韓国渡来人国」と連合統一の「九州人国」を従属連合して「倭国」を征服し、「徐福,狗邪韓国王」が筑紫平野に「邪馬壱国」を建設しました。

「邪馬壱国」倭王国は、「倭国」内倭王権である「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「邪馬壱国」体制内に従属監禁して、
「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の倭王権を「徐福、狗邪韓国王」が代行しました。

「徐福、狗邪韓国王」は、代行した倭王権をそれぞれ「徐福は、親族と思える卑弥呼」に「狗邪韓国王」は、「狗邪韓国渡来人国」盟主王の「斯馬国・伊万里湾地区王」に委譲しました。

倭王権の執行
玄海灘に面した「伊都国の糸島」内に「斯馬国・伊万里湾地区王」と「卑弥呼」が駐屯して二人の倭王権を統合した倭王権で「邪馬壱国」の倭王権を執行しましたが、
「斯馬国・伊万里湾地区王」が三官「爾支、泄謨觚、柄渠觚」を組織して「卑弥呼」を拘束し「糸島」内に作った城郭の中に監禁しました。

※「倭女王」の“ 宮室、楼観の城柵は厳く設け、常に人有りて、兵を持ち守衛す ”と「魏志倭人伝」にありますから、現在の「糸島半島」から「楼観の城柵」跡が見つかるかもと思ったりします。

「卑弥弓呼」の誕生
「卑弥弓呼」は、「倭女王国(邪馬壱国本国)」と「狗奴国」の戦いの中で生まれました。

※「倭女王国」の戦力は,筑紫平野にの「伊邪国、邪馬壱国、烏奴国、躬臣国」と「筑後地区」内の「邪馬壱国、烏奴国、躬臣国」、そして、地理的に戦闘に参加していない玄海灘面の「斯馬国、末盧国、伊都国、奴国」です。
※「狗奴国」の戦力は、「狗奴国」と「九州人国十四ヶ国」の連合です。

「卑弥呼」の倭王権が、「邪馬壱国」倭王国内に従属監禁した「倭国統一三ヶ国盟主王連合」から「徐福」が代行し、そして、「卑弥呼」に委譲されています。

「卑弥弓呼」倭王権は、「邪馬壱国」倭王国を征服して「邪馬壱国」倭王国内に従属監禁されていた「倭国統一三ヶ国盟主王連合」を「狗奴国王」が収容し連合したことにより、
「倭国統一三ヶ国盟主王連合」の倭王権を「狗奴国王」が代行した結果です。

※〇「狗奴国王」の名前は、最初官(王)「狗古智卑狗」…「邪馬壱国」を占領した。
〇次に、「卑弥弓呼」は、 …「倭国」を連合して倭王権を代行した。
〇次に、「弥弥」は、自国である「狗奴国」の「王(弥)」と「倭国」の「王(弥)」を合わせ持つ、と代わりました。

しかし、「邪馬壱国」倭王国を征服した「狗奴国王」体制は、「倭国」を「狗奴国」内に統合して、『古事記』内の「伊耶那岐命、伊邪那美命」による「子淡道之穂之狭別島」を「弥奴国」内に創建しました。

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